第7章【アメリカでの日々】とよ先生の半生記
合宿以外のアメリカの日々といえば、午後まで授業に出て、午後から練習が基本でした。
休みの日は宿題と自主トレ。試合の日は朝からチームに合流という感じです。
フットボールがシーズンオフの時はシカゴでの柔道大会に出場したりもしました。
とにかく、自主トレーニング。筋トレです。
筋トレが毎日の歯磨き。いや、呼吸のようになったのもこの頃です。
別に私が筋肉バカだからってわけじゃないです。
アメリカでは一般人も体を鍛えるのが当たり前です。
もしくは、そうでない人は、もの凄い太るか、がアメリカでの選択肢。
肥満が国民病。アメリカの闇です。
私はジムへ毎日のように通っていたので、友人や周りの人はトレーニング系の人ばかり。
私の眼科の先生が現役フットボール選手の私より重いバーベルを上げていて、
ビックリしたもんです。
それくらい一般人でも体への意識が高く、トレーニングが当たり前の世界でした。
日本の雑誌モデルなんかが「病気か!」と思うくらいガリガリなのは今でも抵抗があります。
生活は車が無いとどこにもいけないような田舎での生活でした。
中古車を買って、時速100km出して牛乳を買い行っていました。
スピード違反って意味では無くて、それくらい広いって事です。法定速度内です。
北海道での生活に少し近いのかも知れないです。
大学での専攻は、スポーツマネージメントでした。
当時は、日本では耳慣れない分野でしたが、今では日本でもメジャーになってきました。
簡単に言うとスポーツ関係のビジネスです。
ジムを作ったり、プロスポーツチームの運営をしたり、
更にはキッズが体を動かすお教室を開いてみたり?英語も入れて???(笑)
「文武両道」なんて言葉は意識したことが無いくらい当たり前でした。
シーズン中は毎週、各クラスの成績がフットボールのコーチのところへ届き、
成績の悪い選手は練習後集められ、同じ部屋で一定時間勉強をしなければなりませんでした。
はい、数回該当者だったので知っています・・・(汗)
それでも成績が悪いままだと、練習への出席が認められません。
練習に出られなかったら試合も出られないですね。
ところで、
優秀な選手って決まって成績もいいんです。
同じ時間を使うでも集中力が違う、練習も勉強も。
日本では全てでは無いと思いますが、
体育会系の生徒は授業にでないで、「部活だけやっていれば単位をもらえる」
なんて現状を聞いたこともあり、びっくりしました。
運動やってない人も授業に出ないで卒業した、なんて日本の大学ではあるみたいです。
スポーツの為に勉強を怠る。また、その逆も。
そんな概念が存在しません。
私は成績が良い方では無かったので、
練習に出られるように必死に成績を落とさないようにしました。
辛くて出たくない練習。その練習に出るために必死に勉強する。
人生の厳しさをほんの少し分かり始めた時期でした。
もちろん、この時の経験もe-kidsの指導に生かしています。
バイトもしました。
ジムの管理人とプールの先生。
留学生ビザでは大学内でのみバイトが許されています。
プールの先生をしていた頃、お母さんに「うちの子を良く見てくれてありがとう」
なんて言ってもらえたのはとても嬉しかったの今でも覚えています。
全くの違う人種でも先入観無しで子どもを預けてくれるアメリカの良い所に触れられたと思いました。
流暢な英語で無くても一生懸命教えれば気持ちは伝わってくれました。
こんな経験が今のe-kidsに生きているのは、もう皆さんなら気がついて下さっていますね。
進路を気にし始める3年生頃。
「卒業したら帰国しよう」と決意は固まってきていました。
この頃、アメリカでは日本からの多くの留学生が目的意識も無いのに留学して、
目的意識もなく学生ビザで滞在して遊んでいることが問題になっていました。
「アメリカ留学」って言うと聞こえもいいから、
中身なんかどうでも良くて、薬物に手を出したり、
大学に籍だけ置いてブラブラして、って人が多かったようです。
特に観光地としても有名な地域にそういう人がたくさんいるみたいでした。
私はアメリカにフットボールをやりに来た。
フットボールが終わったら帰国しよう。そう思い初めていました。
フットボールをやるならアメリカでプロの道もあるんじゃない?
そう思われる人もいると思いますが・・・
私もアメリカに来て本場のフットボールをやるまでは、
プロって道も目指していました・・・
なんて、今は言うのも恥ずかしいですが。
私は2部の大学で1軍に上がれない選手です。
プロの世界というのは1部の大学の1軍の選手の、
更にほーんの一握りが、行けるか行けないかの世界です。
10年に1人くらい2部大学からプロに行っちゃう奇跡の選手もいますが。
私のチームメイトで化け物みたいに強い選手と、
目の前にいてタックルしたいのに触ることすらできない速い選手が、
プロのテストまでは行ったけど、落ちて帰ってきました。
現実を見せつけられて、「フットボールは大学まで」・・・だからやりきろう。
そして帰国しよう。
そう思い始めていました。
予期せぬケガまでは・・・
予期できるケガなんてないですが・・・
e-kids設立まで後9年
184cm 107kg(人生最高体重) 大学3年生
第7章【アメリカでの日々】とよ先生の半生記
最後まで読んで下さりありがとうございました。
次回はフットボール引退のお話です。
ここから、どうキックボクシングを始めるのか。
e-kidsまでもう9年間しかありません!!!
ここからのたくさんの急展開
お楽しみに!