第5章【渡米】とよ先生の半生記
渡米の日。
ずっと1匹を売りにしていた高校生活だったのに、
友人が10人くらい空港まで見送りにきてくれてとても嬉しかったです。
さー、後は前を見て新しい世界に挑戦するだけ!
アメリカ、インディアナ州の小さな町、Valparaiso に単身乗り込みました。
まず、英語。
「話せる」と「思っていた」だけでした。
まったく通じません。
そりゃそうです。日本にいる時に相手をしてもらっていた英語なんて、
所詮アメリカかぶれの日本の子が背伸びしているんだろうと、
誰もが日本で付き合ってくれていたからなんとか通じていたんです。
ところがここはインディアナ州の田舎町。
外国人すら見たこと無い人がたくさんいる町です。
ちょっとRでもLでもTHでも発音しないようなもんなら、もう通じません。
題:「合鍵物語」
作:e-kids とよ先生まで11年前の人
そこは、どう見ても古びた鍵屋。
「鍵しか扱っていません」みたいな鍵屋です。
この「どうみても鍵屋」が後でキー(鍵)になるから覚えておいて下さい。
アメリカでの新しい生活です。ドアの合鍵の一つくらい必要です。
古びた店の古びたドア開けて、
私 「スペアキーを作って欲しいんすけど」
おっちゃん 「あ?」
私 「いや、あの、スペアキー欲しいのよ(元の鍵見せながら)」
まあ、今思えば "Spare" スペアよりも、
「複製」を意味する"Duplication" なんかを使って文章つくるといいんですが。
簡単なところでは "Copy" なんて単語も良いかもしれません。
でもそこは渡米数日後の和製高校生。和製英語で丸出しで
私 「スペアキー頼んますよ」
おっちゃん 「うちにスパゲティーはおいてない」
私 「・・・(汗)」
見つめ合う二人・・・。
いやいや、おっちゃんの店どうみても鍵屋ですよねー!!!(泣)
鍵見せながらお話ししましたよね、私!
それにね、例え私が「スパゲティーください」と言ったとしてもさ、
こうやって手に持つ鍵をクルクルとフォークみたいに回しながら
注文しちゃったとしても!
それでも間違えて合鍵作れよ!おっちゃんだけは。(大粒涙)
なんなら、フォークをも鍵に変えちゃうくらいのアレでよ・・・
・・・
・・・
・・・
などと英語で言えるわけもなく・・・。
おっちゃんにできる限り罪悪感を持たせるために、
できる限りの寂しい背中をして振り返って、店を出ました。
それからしばらく鍵を無くさないように大切に大切に扱い生活しました。
----「合鍵物語」・完 ----
まぁ、真面目な話ししちゃうと、
白人の町だからアジア人相手への人種差別なんですが。
笑っときましょ、今となっては。
いやー、悔しかったです。
おっと、そんなレベルの悔しさに浸っていられません。
私はアメリカンフットボールをしにこの地にきたわけです。
まずはどうする。
とりあえずアメリカンフットボール選手に会わないことには情報も何もない。
もちろんインターネットなんてありません。
アメリカンフットボール選手の集まる場所!
ジムだ!ってことで、
毎日空き時間にはジムに行ってトレーニングをしました。
そこで見る体のデカイ人に声をかけまくりました。
「アメリカンフットボールの選手ですか?」
どうみても、アメリカンフットボール選手だろ!って大きな人達が、
野球やバスケットボールの選手、
時には特にスポーツやってない人なんかでびっくりしました。
アメリカンフットボール選手じゃなくてこんなデカいの?(汗)
数日間ハズレが続きましたが、下手な鉄砲を数打っていたら数日後、
後に大学の記録を塗り替え続けているエースWR「ワイドレシーバー」
(ボールを取るポジションの人)
と知るアメリカンフットボール部の中心選手に出会えました。
彼が優しくてコーチの部屋まで案内してくれて、
I want to play football. 「フットボールがやりたいんです」
これしか言えない私を監督とつなげてくれました。
この大学がスカウトされた奨学生だけでなく、
自分で希望した選手も受け入れてくれる制度であった事が幸運でした。
監督は言ってくれました。
「じゃ、6週間後にキャンプ(夏合宿)があるからそこに来なさい」
こうして私のアメリカでの第一歩が踏み出されるのでした。
それから夏合宿までの6週間、
エースWRと一緒にトレーニングをしてもらいたくさんのものを吸収しました。
WRと言えばアメリカンフットボールの中では、
パワーよりもスピード系のポジション。
足は当たり前に私より速い彼が、パワーなんて桁違いにあります。
「えーと、一応日本では力があるってのが売りだったんですけど・・・
どうなっちゃうんだろ、俺」
高校からこの地に降りるまで、
ずっと怖いもの知らずだった私の心の雲行きが少し怪しくなった頃でした。
トレーニングも私が日本で地元の不良仲間と
家の駐車場でいきがっていたものなんかとは全然違います。
アメリカでの最初の頃のトレーニングは、
終了後のシャワーで石鹸が握れないほど
握力が無くなっていたことも良くありました。
腕がパンパンで頭まで手が届かない、シャンプーができない。
それでもエース選手が教えてくれるトレーニングに
毎日必死についていきました。
トレーニング後に彼と一緒に食事した時間なんかは
今ではとても良い思い出です。
全てが新鮮だった渡米から2ヶ月。
東京も恋しかったです。
英語学校で仲良くなった外国からの留学生グループは、
川辺にテント張るお遊びキャンプに行く中、
私は外国籍の生徒としてはただ1人、
猛者の集まるアメリカンフットボール部サマーキャンプへ参加しました。
ここで私の人生、初めての挫折が待っています・・・地獄の始まりでした。
窪田豊彦 184センチ 97キロ
渡米2ヶ月後、初のアメリカンフットボール夏合宿キャンプイン。
「とよ先生」まで後11年。
地図(マップ)買いにいったらモップ売り場に案内されたりもしました。
サンドウィッチのお店「サブウェイ」の注文は、
「野菜やトッピングは何にしますか?」聞かれても
何も言えないから答えは
Everything「全部」!
野菜や味付け全てごちゃまぜのトッピングでサンドイッチが出てきます。
好き嫌いが無くて良かったーなんて、
親への感謝を感じ始めたのがこのころでした。
とよ先生の半生記 10周年記念バージョン
第5章 【渡米】
最後まで読んで下さりありがとうございました。
次回は、いよいよ夏合宿に入ります。
今思い出しても辛い心の中を書き起こすので楽しみにしていて下さい。