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別大2022

この時期になると、別大から東京マラソンへの春マラソンへの流れの中で引退を表明する実業団選手の名前がちらほらとSNSにあがってくる。その中のひとつに三菱重工の江島 崚太選手のものがあった。

初マラソンを走った思い出の地でのラストラン。
と、ツイッターに書いてあったのをみて、「俺、それ観てたかも」と思い、HDDの中を探してみると別大2022というフォルダーに江島選手がフィニッシュする写真があった。2時間14分52秒。19位。写真を見返しながら当時のことを急に鮮明に思い出してきた。ちょうど前年の秋、あまりに細かすぎる箱根駅伝2022に絡めたニューイヤー駅伝向けの記事の一環として、三菱重工の選手らにインタビューをした記憶がある。その中で、期待の若手として江島選手も登場し、「ニューイヤーのあとはマラソンを走ります」と意気込みを語っていた。写真を見ると、あの時自分が江島選手のフィニッシュを首を長くして待ち続けた情景が目に浮かぶ。どういう気持ちでその瞬間を切り取ったのか、自分の記憶が今もその一枚に宿っているようだ。

その日の別大では、トヨタ自動車の西山雄介選手が堂々の優勝を飾り、そのままオレゴンでの世界陸上に向けて駆け上がっていった。表彰式が終わった後、荷物を片付けながら自転車置場へ向かった自分がいた。なぜ自転車置場へ向かったのか――そう、できるだけ別大のコース全体を味わいたかったからだ。当時、EKIDEN NEWSの大分にいる地元フォロワーの協力を得て、スタート地点まで車で走り、スタート後は県立美術館へと移動。そこで選手たちの走りを見届けた後、県立美術館に停めてあった自転車でフィニッシュを目指すという、少々無理のあるルートを取っていたのだ。今振り返れば、あの時お世話になった大分のフォロワーには本当に感謝している。

競技場の自転車置場で鍵をかちゃかちゃしていると、偶然にも江島選手とばったり出会った。悔しさと同時に、始まったばかりの彼のマラソン人生に対する期待が胸に湧いたのを覚えている。「これから。これからだよ」と交わした言葉――あの一言が、今もなお心に響いている。そうか、あれからもう3年が経ったのだと実感する瞬間でもあった。

また、2022年の別大には、初マラソンでありながら7位、2時間9分17秒の走りを見せた九電工の赤﨑選手の姿もあった。彼は35kmまでは先頭集団とともにレースを進めたものの、終盤に大きく失速し、かろうじてサブ10(目標タイム)を達成するに留まった。その日、多くの選手がMGCファイナリストの座を手にする中で、赤﨑選手はその機会を逃した。しかし、彼がMGCファイナリストとなるのは、この年12月の福岡国際マラソン。あの時も終盤で大きく失速したが、結果としてMGCを獲得し、なお多くの課題を残した。誰が想像できただろう、あの赤﨑選手がたった2年後にはパリ五輪代表として6位入賞するとは。(たぶん、九電工の監督くらいしか予感していなかったに違いない)人は、2年あれば大きく飛躍できるものだと、改めて実感する。

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