【寄稿】実業団で走り続けるという選択。
Track Town SHIBUYA5月17日放送回では
プレス工業の山田翔太選手と川村駿吾選手をゲストに。
OTTのペースメーカーでのおつきあいのなかで
山田選手の経歴を知るうちに
ひとくちに「実業団」と言ってもいろんなかたちがある。
そんな話をうかがいたかったのです。
山田選手からは本番前に「すごく丁寧なメモ」が届きました。
このメモをもとに話をうかがうこともできるのですが、
ラジオでは、あえてフリーで話してもらうことにしました。
その場でおもい出したことが生放送ではやはり面白いので。
とはいうものの、山田選手が用意したメモは
読み応えたっぷりの内容でしたので、
こちらもアーカイブとあわせてお読みください。
1)プレス工業に入った経緯
順天堂大学→カネボウ化粧品(4年間)→(戦力外通告)→順天堂大学大学院(1年半)→プレス工業(4年間)
カネボウ化粧品に入社して4年目の1月、戦力外通告を受けた。
その時、同じく戦力外通告を受けた同期はサラリーマンとして会社に残った。
ただ、競技者として「まだまだやれる」と思っていたし、このまま終わってしまうのが嫌だった。
だから、僕は競技を続ける道を選んだ。
そこで、移籍先を探したが、当時は実績がなかったので、受け入れてくれる実業団がなかった。
それならば、「1人で走って、実業団に入れるような結果を出す」と決めた。
将来的に指導者になりたかったので、その勉強も兼ねて、順天堂大学の大学院に入学した。
大学院では、スポーツ心理学を専攻し、主に「指導者のリーダーシップ」について研究した。
「2年間で結果が出なければ、きっぱり諦める」と両親を説得して、千葉の実家に帰った。
そして、研究の傍ら、一人で練習を行い、数々の記録会に出場した。
両親をはじめ、色々な方々に迷惑をかけたが、とにかく強くなることに必死だった。
中学の恩師にお願いして、走りを見てもらったりもしていた。
その後、縁があって、プレス工業の夏合宿に参加させてもらい、「プレス工業に入りたい」と強く思うようになった。
そうして一人で走り始めて1年半。
プレス工業の現監督である上岡さんと部長の藤田さんに、記録会での結果を評価してもらい、入社、入部させてもらった。
このような経緯で今でも陸上を続けさせてもらっている。
こういう経緯があるので、自分の為に陸上をやっているけれど、チームの為にも頑張りたいという気持ちが強いかもしれない。
2)澤木先生と僕
在学時、既に陸上部の長距離監督は、後任の仲村明先生になられていたので、澤木先生には本格的には指導を受けていない。
澤木先生はインカレ前や箱根駅伝の前など、大事な練習の時にだけ、グラウンドに現れて、指導されるという感じだった。
それでも12月に入ると朝練習には必ずいらっしゃっていた。
澤木先生がグラウンドに現れた瞬間、空気が変わる。
和やかな雰囲気が、一瞬にしてピリッとした緊張感のある雰囲気に変わる。
あれほど、オーラを持っている人に出会ったことはない。
当時、先輩方には、「あれでも大分丸くなられた方だよ」と言われた。
僕らの代は、良い結果が出せず、澤木先生には、とにかくめちゃくちゃ怒られた。
僕は、すぐに結果を求めるあまりに「焦って練習をして、ケガをする」という負のスパイラルに陥っていた。
3年生時、箱根駅伝の成績が良くなかったので、「責任を感じているなら頭丸めてこい」と澤木先生に言われて、悔しくて人生で初めて、坊主にした。
4年生時、僕は長距離キャプテンを任されていたが、関東インカレで不甲斐ない走りをしてしまった時に、「そんな走りしか出来ないならキャプテン交代だ」と澤木先生に言われて、6月でキャプテンを降ろされた。
当時は、個人やチームの事も含めて、余裕がなく、想いだけが先行して、全てが上手くいかなかった。
そして、4年生時の箱根駅伝の予選会では、昭和33年から52回続いた連続出場記録を途絶えさせてしまった。
在学中、澤木先生には本当に怒られっぱなしで、褒められたことなど一度もなかった。
カネボウを退社し、大学院在学中、順大で練習していた時にも「お前は何のために走っているんだ?」とよく冗談半分に言われていた。
そんな僕でも、一度だけ澤木先生に褒められたことがある。
プレス工業に入社して、2年目の東日本実業団駅伝。
エース区間を任された僕は、前半から積極的に第二集団から第一集団を追っていく走りをした。
結果的には、集団には追い付かず、あまり納得のいく走りとは言えなかった。
その翌日。澤木先生から突然電話があり、
「昨日は良い走りをしていたじゃないか!プレス工業に入った意味があったな!」と言われた。
不意打ちをくらった僕は何も言うことが出来なかった。
すると、間髪入れず、
「ただ、腿の上りが弱いな!Jogの後にバウンディングを何本か入れて、その後に流しをするように!以上!」
と言われ、即座に電話を切られてしまった。
嵐のような電話があったそれ以来、「いつか自分が納得のいく走りをして、それを澤木先生に褒めてもらう」、というのがひそかな目標となっている。
3)プレス工業というチームについて
プレス工業という会社は、主にトラックの足回りの部品(フレーム、アクスル等)を製造している。
主製品の国内シェアは一位。
陸上部は神奈川県藤沢市を拠点としている。
部員18名(日本人のみ)、スタッフ3名。
全員、藤沢工場に勤務している。
上岡監督が指導されて9年目。
今年のニューイヤー駅伝には10年連続10回目の出場を果たすことが出来た。
陸上部は、今では会社の理解を少しずつ得られてきているが、昔はそうではなかった。
例えば、部車がない。陸上部の寮がない。合宿がほとんどない。勤務時間が長い。など。
他のチームでは当たり前なことが、プレス工業では当たり前ではなかった。
しかし、歴代の先輩方が頑張ってきたおかげで、今は少しずつ良い環境になってきた。
それがプレス工業というチーム。雑草集団だと思う。
自分たちではよく分からないが、チームの雰囲気は良い方だと思う。
遠征先の方々には、「プレスさんは良い雰囲気ですね」、「仲良いですね」と言われることが多い。
確かに、合宿時の食事の後にすぐに帰らずに皆でだべっていたりする。
それと、良くも悪くもだが、ギラギラした選手は少ないかもしれない。
4)仕事との両立について
実業団と言っても、様々な形があると思うが、プレス工業は、ニューイヤー駅伝に出場している実業団のなかでも、割としっかり仕事をしている実業団だと思う。
まず、社内の方々への基本的なスタンスとして、「競技で結果を残しているから応援してください」というチームではない。
「仕事もきちんとこなし、その上で、応援してください」というチーム。
会社の方々からすれば、強いとか弱いとかは一切関係ない。
なので「会社にお金を出してもらって活動させてもらっている」という意識が他のチームよりも強いと思う。
ただ、当然だけれども、スタート地点に立てば、皆一緒。
仕事をしているのは言い訳にはならない。
実業団では珍しいと思うが、配属部署がバラバラ。
まず、総合職(いわゆるデスク)と技能職(いわゆる現場)に分かれている。
私は事務課という部署に配属されている。
事務課は、工場内の総務的な仕事をしていて、その中でも、私は主に環境を担当している。
仕事内容は、環境関連の資料や行政届出書類の作成、工場内の掲示物の作成など。
その他の陸上部員の配属先の部署は、その他に人事部、労働部、情報システム部、原価管理課、品質管理課、設備課などがある。
最年長の今村俊さんは毎日、雨の日も風の日もフォークリフトを運転している。
当然、デスクよりも現場の仕事のほうが辛い。
今村さんが仕事の愚痴を言っているのを聞いたことが無く、そういう部分は凄く尊敬している。
配属先がバラバラなので、従業員の方が誰かしら陸上部の顔を覚えてくれている。
なので、他の実業団よりも、社員と選手の距離が近いかもしれない。
5)ある一日の流れ
4:40 起床
5:10 寮に集合(連絡、全体トレーニング、朝練習へ)
7:10 家を出る
7:20 出社(作業着に着替えて、食堂で朝食、各職場へ)
7:55 社員全員でラジオ体操
8:00-15:00 仕事
16:30 寮に集合、グランドに車で出発、ポイント練習
19:30 (車orダウンjogで)会社に戻る、食堂で夕食
20:30 帰宅
22:00 就寝
金曜日は1日練習日で出社はしていない。
その他、2ヵ月に1、2回は合宿に行かせてもらっている。
朝はとにかく時間がないので慣れるまでが大変。
6)ニューイヤー駅伝に出場するということ
元日に行われる「ニューイヤー駅伝」には、各地区(東日本、九州、関西、中国、中部、北陸)の予選会を勝ち上がったチームが出場できる。
東日本地区は本戦突破をかけた争いが最も熾烈な地区。
個人で日の丸を背負うような選手がいないため、プレス工業というチームにとって、チームの存在意義となるのは「ニューイヤー駅伝に出場すること」。
そのため、「東日本地区の予選を突破すること」はチームの最大の目標となる。
そして、その次の目標が「ニューイヤー駅伝で15位以内に入ること」となる。
昨年は10年連続、予選を突破し、ニューイヤー駅伝に出場することが出来た。
しかし、プレス工業には外国人選手がいないため、毎年ギリギリの戦いになっている。
近年、東日本実業団駅伝では、外国人選手を起用するチームがどんどん増えている。
昨年は、本戦出場12枠に対して外国人選手を起用したチームは13チームだった。
今年はさらに増えると聞いている。
また、今年から東日本実業団駅伝のインターナショナル区間が3区から2区に変更になる。
つまり、前半から良い流れを作れることから、外国人選手を起用するチームがさらに有利になる。
実業団駅伝では外国人選手がいることが当たり前という流れになっている。
仕方がない事だが、外国人選手がいないチームにとっては、正直かなりきつい。
それでもプレス工業は、日本人選手だけで頑張っている。
今のところ、チームの方針として、外国人選手を入れる予定も無いと聞いている。
7)東日本実業団駅伝に懸ける想い
個人として目標としている大会はあるが、チームとして、絶対に外せないというのが東日本実業団駅伝。
なぜかというと、チームがニューイヤー駅伝に出るか出ないかで、色々なことが変わってくる。
例えば、出場できなければ、1月、2月の合宿は無くなる。
ここでは言えないようなことも大きく変わってくる。
簡単に言うと、会社からのサポート面が少なくなってしまう可能性が大きい。
大げさではなく、廃部もあり得ると言われている。
上岡監督はよく船に例える。
「部員全員がニューイヤー駅伝に向かって、同じ船に乗っている。
沈む時は皆一緒。沈んだら次は無い。そして、船頭は自分。
だから責任は全て自分が取る。ただ、同じ船に乗っているという意識は全員で共有していこうや。」と。
上岡監督はチームに共有意識や緊張感を持たせて、選手をその気にさせるのが上手いと思う。
勿論、チーム内に不満がないわけではないが、基本的には選手全員、上岡さんのことを信頼している。
それは、上岡さんが一番熱い想いを持っていると皆感じているから。
関西の方なので、普段は冗談や下ネタばかりいっているが(笑)