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和田さんと中田さん

和田伸也選手が東京パラリンピック5000mT11では銅。そして1500mT11で銀メダルを獲得した。そんな8月31日。世田谷大蔵運動公園でOTT(オトナのタイムトライアル)が開催されるわけだが、6年前、同じ大蔵運動公園のOTTを和田さんが走ったことがある。このときは伴走者の中田崇志さんにワイヤレスマイクをもってもらい、いつもレース中、和田さんにどういう声がけをしているのか、会場にいるひとたちにも聞いてもらいながら市民ランナーとともにタイムトライアルを行った。

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このときはリオパラリンピックでメダル獲得が目標だったが、リオでは1500m6位、 5000m6位、マラソン5位。3種目すべてに入賞したが、メダルは逃した。このとき和田さんは39歳。東京パラでこれ以上の成績は望めないのではないか?と、外野である筆者は思っていた。しかし、リオから帰ってきたばかりの中田さんとばったり出会ったときに、伴走者の中田さんはこう言うのだ。

「リオから帰ってくるときに和田さんに伸びしろがあることがわかったんです。これから取り組めば東京に間に合います」と。

1500mや5000mといったスピードが求められるトラック種目では年齢を重ねるにつれ、絶対的なスピードが落ちてくる。東京パラまで4年。(結果的に5年となったが)周囲のレベルもあがってくるだろう。なのになぜ?中田さんは眼を輝かせながら言った。

「リオから戻ってくる飛行機に座ろうとする和田さんの身体がとても硬いことに気づいたんです。帰路、和田さんの身体をチェックしてみたら、走りに必要な柔軟性が全くないことがわかりました。これからじっくり時間をかけて柔軟性を取り戻していけば、ストライドも伸びるし、もっと効率よくスピードも出せるはずなんです。いまはガーミンで身体の上下動も数値化できます。4年かけてフォームを改善すれば、東京でメダルもとれると思います」

そこから、中田さんは和田さんにヴェイパーフライを履かせ、フォーム改善に取り組んでいく。日本では品切れで手に入らなかったヴェイパーフライはロンドンに出張するたびに、NIKEストアで大量に購入してもちかえった。イギリスでは日本人にとってちょうどいいサイズが逆に小さくて在庫がだぶついていたことに眼をつけたのだ。

その後、トラック種目でヴェイパーが履けなくなるやいなや、中田さんはすぐにドラゴンフライの導入に動いた。これもなかなか手にはいらないため、中田さんは渋谷のB&Dに毎朝、開店前に行き、開店と同時に「ドラゴンフライありますか?」と手に入るまで通いつめたという。店員から「入荷したら連絡しますから」と言われても「確実に手に入れたかったんです」と通いつめた。

そういう背景を漏れ聞いていただけに、リオパラから足掛け5年の和田さんの2つのメダルは感慨深い。フィニッシュに5年前、和田さんの伸びしろを見つけた中田さんの姿はなかった。中田さんは、パラ陸上にかかわるきっかけとなった高橋勇市選手に請われ、今シーズンはパラトライアスロンの伴走者となっていた。 和田さんはこの後、トラックからマラソンへ移行していくときく。百戦錬磨の伴走者、中田さんの力がまた必要になるに違いない。


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