「真面目だね」と言わないで。
「渋川は真面目だね」
小学校、中学校、高校……と、人生のあらゆるところで、僕はしばしば「真面目」と言われてきました。
もちろん、言った側は褒め言葉のつもりで言っていることはわかります。
そして、たしかにそう言われてイヤな気はしなかったし、むしろ素直に嬉しがっていました。
ある時期までは。
具体的に「このとき」というのは覚えていないけれども、
ひとくちに「真面目」といっても
の異なる2種類が存在することに気づいたとき、
自分に下された「真面目」という評価に対する感じ方が変わりました。
まずは、この2つの「真面目」の違いについて、それぞれ説明します。
「真面目」には2つの種類が存在する。
「他者基準」に対して真面目な人
こちらは「他者あるいは世間が決めた基準に従う」という意味です。
例えば、
校則などのルールや、公共の場でのマナーを厳守する
側から見て、勤勉に見える振る舞いをしている
人に迷惑をかけないよう常に気をつける
みたいな。
一般によく使われる「真面目」とは、こちらの意味だと思います。
「自分基準」に対して真面目な人
一方、こちらは「自分で決めた基準に従う」という意味です。
具体的には、
自分で決めた目標に向かって、ストイックに努力する
自分なりの美学や信条に基づいて行動する
他人の意見や価値観に左右されず、自分の頭で考える
のようなことです。
こちらは「周りのことは気にしない」とも言えるので、ときには周りからは「不真面目」に映ることもあるかもしれません。
「他者基準」に対して真面目なのは、自信のなさの裏返し
先に断っておきますが、
もちろん、ルールやマナーを守ることは大事なことですし、「他者基準」に対する真面目さを全否定したいわけではありません。
ただ、「なんとなく真面目でいることは、必ずしも良いとは思わない」ということを伝えたいだけです。
ただ真面目でいるだけなら誰でもできる
他人が決めたルールや価値観に従って、まわりと角を立てずに過ごすのは、ぶっちゃけ誰にでもできることだと思います。
よって、真面目さを売りにするのは他にアピールポイントがないことの裏返しだと思うわけです。
また、同じ理由から、評価されるポイントに「真面目であること」が真っ先にくるのは、他に良いところが特に思いつかないことを表しているのではないかと思うのです。
恋愛における「いい人」とは、恋愛対象外の「(どうでも)いい人」のことである、みたいな感じですね。
なんとなく真面目でいるのは、他人の目を恐れているから
極端にいえば、「真面目さをアピールする=媚びている」と捉えられかねません。
過度な真面目さアピールは、言外に
「あなたに迷惑をかけないようにしますんで、どうかお手柔らかに……」と、下手に出ているように映る可能性があります。
つまり、周りに迷惑をかけないように、角を立てないように、とばかりする姿勢は、自分の意見・意思をはっきりと主張できない弱さに映ることもあるのです。
以上の2つの理由から、「真面目だね」と言われると、僕は自分が弱く見られているような気がして少しかなしく思うわけです。
自分に対して、真面目になりたい
つまるところ、せっかくなら「自分に対して」真面目でありたいよね、という話です。
当然、自分さえ良ければ他の人の邪魔をしてもいいというわけではありませんが、
自分の目標や理想に向かってまっすぐ努力し続ける
自分で決めたことはきちんとやる
自分の信念・美学に反することにはNOと言えるようになる
といったことがしっかりできるようになりたいものですね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?