信じているものは何(14)
出会い
このシリーズは、一人の男性の信じる対象の
変化をドキュメント形式でお届けしてます。
さて、大阪チェナクルムに参加し、お手伝いさせて
頂くと同時に、個人でHPを作って情報発信をしていた。
その内容は、もちろんキリスト関係の内容であり
特にマリア様の内容を載せていました。
(現在は閉鎖)
するとそのHPを見た一人の信徒からDMをいただきました。
信仰に関してのことで、「大変感銘を受けた」とのことでした。
私は嬉しく思い、メールでのやり取りが始まりました。
その信徒は女性でした。(Tさん)
愛知県の方で、愛知県にてチェナクルムに参加しており、
話がとても弾み、信仰以外の普通の話もするようになり
いつしか、お会いすることになりました。
今では、ネットで出会うことも珍しくなくなりましたが、
当時もありましたが、今ほどメジャーではありませんでした。
でもお互いそんなことはお構いなく
気持ちが高ぶり、「会いたい」という気持ちになり
Tさんと会うことになりました。
(この件の描写は程々にしておきます)
名古屋で会い、教会へ行き、食事をして
ゆっくりお話をしました。
いつしかお付き合いをするようになりました。
そうして、自分のパートナー的な存在に出会い
同じ価値観を持った方なので、危うかった信仰が
元に戻り、改めてマリア様に感謝しました。
本当に奇跡のような出会いのように感じました。
キリスト教こそ、この地球上に必要な信仰であり
人の救いはここにあるんだと信じていた。
ただ、私の中の問題を整理すると、まだまだ信仰が足りない
んですが、時間をかけて育てていけばいいと思っていました。
霊視女性Mさん
そんなある日、夙川教会の土曜日の前日ミサの帰り
教会を出たところで、Mさんという一人の女性に声をかけられた。
Mさん「すみません、こちらの信者さんですか」
私「はい、そうです」
こうして始まったんですが、なぜ私に声をかけたかというと
私が、信徒として周りに合わしていなかったというのが
大きな理由でした。
それは、聖体拝領の時、他の方々は手で御生体を拝領していたが
私は口で拝領していたので、それを見たということです。
当時は、こうやって同じ信仰を持っているもの同士が
集まって行くのかな?などと思い、どちらかというと
嬉しい気持ちになっていった。
というのは、やはり人と違うことをすること、特に
少数(マイノリティ)なので、気の小さい私には
割と大きな犠牲を払って行っていた。
そこに、同じような信徒が現れると男女問わず
嬉しいものですね。
でも、少し気になることがありました。
私と話す時(他の人も同じですが)少し興奮気味
というか、過呼吸気味にお話をされるんです。
気持ちが高ぶってるんだろうと思っていました。
そんなある日、教会の帰り道ではなく、少し
喫茶店でお話ししたいと言われました。
特に断る理由もなかったので、行くことにした。
帰りの電車の乗り換え駅(ここからお互い別方向)で
一旦降り、駅近のコーヒーショップだったかに入り
話をしました。
最初は、信仰の話や、生い立ち、どのように
キリスト教になったかなどを話していた。
そろそろ、帰りましょうという時。
Mさんが迷いながら何かを話そうとしていて
私が、
私「なんかありましたか?」
と尋ねると
M「いえ、何も無いんですけど・・・
これは、言っていいものかどうか
迷ったんですが、やっぱり、言ったほうが
と思ったのでいいます。」
私「・・・」
M「私、見えるんです。それから
聞こえることもあります」
私「え?見える?見えるって・・・もしかして」
M「そうです」
私は、身体中に鳥肌がったった。
それは、怖さ60%、驚き20%、嬉しさ20%でした。
その時は、瞬間でしたが「怖い!」と思ったのです。
怖いというのは、そういう「見える方々」が
怖いのではなく、(むしろ好き)今の私の前に
そのような方が現れたというのが怖かったのです。
LP運動で、信仰が危うくなり、立て直すところ
そういう現象がなくともヒントを読み取るべく
教会内の伝記を頼りに育んでいた信仰に、またしても
稲妻の矢のような一撃があり、また不安な信仰生活に
戻るのでは?という恐怖でした。
そして、私は聞きました。
私「それは(見えるもの、聞こえるもの)どういうもの
ですか?天からのものですか」
M「わかりませんが、良いものと悪いものはわかります。
良いものは暖かく幸せな気持ちになり、悪いものは
体調が悪くなります。」
私「私に何か見えますか?」
M「・・・わかりませんが、気になることはあります
でも悪いものではなさそうです」
私「よかった、また教えてください」
そう言って次もお話をするということで、
その日は帰宅した。
・・・。
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