信じているものは何(11)
ボランティア
南に行ったホームレス
南といっても、九州や沖縄のことではなく
少し南へ移動しただけで、歩いて行けるところです。
何度か、ビルのシャッター前などで見かけましたが、
なかなか安住の地が得られず、転々とされていたようです。
アパートなども勧めましたが、頑なに断ってました。
理由はわかりませんね。
さて、近くで奉仕することができなくなりましたが、
それと同時にボランティアをやってみないかというお話が
ありました。
それは脳性麻痺で車椅子生活を余儀なくされており
手足が自由に動かないため、かなりの日常生活に
困窮されている方でした。
その方のお世話を週末だけ行うというものでした。
することは、買い物、料理、一緒に食事する
そしてお風呂でした。
私たちは複数名いましたので、(いつも3人)
皆で伺ってました。
料理は主に私が担当してましたね。
あ、料理と言っても、買ってきたものを
お皿に並べたり、するだけですがw
お風呂も交代で入れましたが、大変でしたね。
あ、もちろん男性ですよ。
その男性の住居は市営住宅の一階で、バリアフリーに
改良されておりました。
なのでお風呂も、段差が少なく入れやすかったですが
どうもがいても、腰を曲げる体制には変わりないので
腰が痛かったですね。
食事は、一緒に食べるんですが、食べさせてあげる
ということです。
確か、平日はケアサービスが来られるが、週末は
来られないので、お願いしているそうです。
そのかたは、とても頭が良く、お話は大変面白かったと
記憶しております。
この奉仕は、自発的ではないにしても、いい経験になり
人とは?神とは?など考えさせられる機会となりました。
しかし、このボランティアも数回行った時点で
対応する施設が変わったため終えることになりました。
懐疑的
私たちが、キリスト信徒らしく活動する中
LP運動の中で、少し変な噂が出ることがありました。
それは、次のような二つの事例です。
まず、京都での同志との集いの時、なぜか
私が入ろうとした時、建物の二階の窓から
「入らないで、待って」
という声が聞こえた。
ふと顔を上げると。その施設で教会の
お手伝いをしている方が、心配そうな顔をして
覗いていた。
「どうしたの?」
と返しても、
「ちょっと待って、ちょっと待って」
と繰り返すだけでした。
5分ほどして、
「大丈夫、上がってきてください。」
と言われ、いつものところへ上がった。
すると、同志の一人が
「今日、ここに来る人で○×時くらいで、
〇〇な服を着てる人は、
悪魔の手先なので入れないように」
というメッセージを聞いたそうです。
(神父様が言われた?)
私はその時、少し類似している服を
来ていました。
なので、一旦止められたそうですが、
服ではなく、歩いてくるとか
何人目に来るとか、別の条件が色々と
あったそうで、すぐに違う となったそうです。
もちろん、これを書いている私は
悪魔の手先なはずはありません。(よね?)
程なくして、もう一人の男性が歩いてきた、
どうやらその男性が該当するらしく、
「ここには、来ないで」
と、手伝っている人は窓を開けて言った。
男性は
「なんで、どうして」
と質問してましたが、答えることはなく
「まず、神父様のところに行って」
と言って、神父様のところへ行かせた。
それは、そうするように言われていたからです。
しかし、それらを言っている人も
どのような人が、とか、何時にとか
あまりはっきりわからず言っていたようで
私は、その出来事にちょっと怖いな〜
という気持ちになった。(狂信的)
しばらくすると、大丈夫とのことで
その男性は、こちらに来て皆と合流したが
時々来られる男性でした。(特に変なことはない)
ちょっとエスカレートしているような、
ヒステリックになっているような、そんな気が
しました。このような幻視、幻聴、メッセージなどが
起こる界隈では、よくあることですからね。
「・・・やばい?」
心の片隅でちょっぴり思いました。
その悪魔騒動があって数日経った頃、長崎へ巡礼に行きませんか?
という誘いがあった。
その最大の目的は、佐世保にYKさんという日本で幻視を受けている
唯一の人(当時)に面会しに行くということでした。
当然その方もLP運動の一員であり、家には綺麗なマリア像もありました。
こうして2泊3日の長崎佐世保の旅が始まるのでした。
交通機関は新幹線を利用、その車中も皆ロザリオを祈るほどの
熱心な信者でした。私には、そこまでの信心が育ってはおらず
祈りましましたが、旅の高揚感で集中できなかったです。
車内という場所も影響したのかもしれません。
教会ではちゃんと祈れるのですから・・・
そうするうちに博多に到着、乗り換えてまずは
長崎へ行きました。
まずは長崎駅前(長崎駅徒歩5分)の「中町教会」へ行った。
一発目から度肝を抜かれた。
本などで下調べはしていましたが、本と実物では
雲泥の差があり、その質感、雰囲気、音、匂い
五感が私の魂を揺さぶり祈りへと誘いました。
『・・・これが教会だよな』
そう思った。
そして、宿は紹介してもらった(巡礼者用)駅前の安宿
素泊まりで一部屋を四人で泊まった。
寝るだけなのでなんの問題もなかった。
そして翌日、佐世保のYKさんのお宅へ向かいました。
お宅へ伺う前に、YKさんが通っている教会へ行って
ご聖体訪問をしてから、伺おうということになった。
「三浦町教会」そこはYKさんが通っている教会で
戦争の空爆にも耐えた奇跡の教会とされています。
建築もいわゆる西洋の教会の建物で、天高くそびえ立つ
尖塔は圧巻です。
そこでロザリオを祈った後、お宅へ向かいました。
お宅は、さほど豪華ではなく、一般の家庭のようでした。
その一部屋に祭壇を築き、マリア像が安置されておりました。
その祭壇に一礼をし、YKさんを囲むように座った。
当日は、YKさんとお手伝いの方一名と他に面会に
来られている方が二名ほどおられました。(ちょっとうる覚え)
自身の霊的体験談などを話された後
次のようなことを言い始めました。
「私は、色々な人に何がついているかが見えたりします」
これも、来る前の予習でわかっていたことで
特に驚きませんでしたが、見えるものの中に
「とても邪悪な霊を連れてくる人がいる」
そう言い出したのです。
誰が、とは言いませんでした。
その為に、聖遺物やお守り(メダイ)などを
ちゃんと身につけるようにとアドバイスをいただきました。
(でも私じゃありませんよ)
そして、霊体験の話などを小一時間ほど
話したのち、少しお祈りをしてお宅を後にした。
私が感じたことをお話しすると、
正直なところ、威厳を感じられなかったのです。
威厳というのは神々しいものではなく、幻視者特有の
謙虚で、質素な暮らし、優しい眼差し、
一言で言えば、その方から愛が溢れているような
雰囲気。
それらが感じられず、ただ腫れ物に触るように
機嫌を損なわせないように気を遣って話していた。
そんな気持ちで接していました。
「なんだろう、この違和感」
他の同志はわかりませんが、私はそう感じました。
「勘です」
「たかが勘です、されど勘です。」
勘は守護の天使の囁きと習いました。
(後に大変気の強い方だと聞きました)
悪魔騒動に怖さを感じた勘。
信じている一つが少しずつ色を失い
抜けていくのがわかる出来事でした。
・・・。
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