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信じているものは何(25)

今までの流れを少し整理すると、家を追い出され
信じる何かを求めて、模索し始め、キリスト教に目覚め
当時の新興宗教に影響を受けた。
しかし、いろいろな人との出会いで、少しずつ軌道修正し
信仰生活をいう形で、歩んでいけるものと思っていたが、
信仰とは関係なく人間的なことで、少しずつその関係も
薄まっていき、そこに父の死。それから私の周りの人々が
少しずつ離れていった。

私の財産は、私の歴史です。
この何十年間で培った感覚や信じるものを、大切にしながらも
まずはフラットになり、目の前のやるべきことを真面目にとり
組もうと考えました。

仕事をしながらも、その時間以外の中では、いろいろ考えてしまうので
何かに集中したいと思った。

トライアスロン、マラソン、などスポーツ系をしていた。
トライアスロンは、以前からかっこいいなと思っていたので
始めたことがありました。
その練習ということで、マラソンを行なったりしていました。
その時の大会に父がよく写真を撮りに来ていたのは、私にっと
大切な思い出であり、私の歴史の1ページですね。

そして、友人に釣りに誘われて釣りを始めました。
子供の頃に少しやってはいましたが、本格的に始めたのはこの時が
初めてでした。

初めて連れていってもらった港から、イカ(アオリイカ)を
釣りました。
教えられたまま見よう見まねでやること2時間、人生初の
アオリイカを釣り上げたのです。

いろいろ気持ちが塞ぐ中、気持ちの持っていく場所が
見つかった瞬間でした。
それ以来、私はどっぷり釣りに浸かり、今でも趣味として
時間を見つけて行くようにしています。

仕事をし、週末は釣りに行き、時々彼女とデートをする、
そんな世俗的な生活をしながらも、どこか「私には信じるものがある」
という感覚があり、何があってもその「信じるもの」に救われた。

ところが、いろいろな考え方が巷には溢れている。
キリストを使った新興宗教、霊言など、一応目を通した。

私自身はカトリック失格の人物なので、日々懺悔をしなければ
到底御国へ行くことなど出来ないであろうと考えていたので
そういう本などを読んだときは、少し救われた気がしたことも
事実です。

そうであれば、厳しく物事を考えなくてもいい、普通に生活して
いれさえすれば、そこに信仰があればいいんだ。と思い、益々
私の心の信じるものが確定しつつも薄い色合いのものになっていった。

いろいろ並べて書きましたが、要約すると次の通りです。
信仰生活は厳しいが、本物であればそれは喜びになる
しかし信じる対象が「真実ではないかも」となった瞬間、
それは容器の中の氷がどんどん溶けて水になる。

私の心の中の信じているものはどんどん溶けていく。
しかし氷も元は水なので、またいつか氷になるのだろう
と思っていました。

しかし、水になった状態で、普通に放置しても氷にはならない
のは明白であり、氷にするには、アクションをおこなさければ
ならないこともわかっていた。

より一層わかりにくくなったとの声も聞こえそうですが、
信仰生活はなかなか出来なくても、神は信じている。
神を信じるには、神の意志を受け継がなければならない。

そういうことです。

普段通りの生活を送っている中、Mさんからの電話があったんです。

・・・。

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