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信じているものは何(23)season2終

父の死

父が死んだ。
母は病室で泣いた。
母ほどでは無いが、妹も泣いた。
しかし、私は、その時、涙が出なかった。

家族で相談したとはいえ、スイッチを切る選択をし、
それを、私が医師に伝えたこともあり、責任を感じ
張り詰めていたのだろう。

今後の予定を看護師より聞き、霊柩車が来るまで
病院で待つことになった。
時間は深夜に差し掛かろうかという時間でした。

車を待つ間、少し時間があったので、コンビニへ
食べ物を少し買いに出た。

そして、父の死を彼女に電話した。
とたん、気丈に振る舞っていた心が溶け
寂しさと悲しさとが込み上げてきた。
そして、周りも気にせず泣いた。

「やっぱり、寂しいよ」

そう言って、嗚咽が出るほど泣いた。

いくら、信仰があっても、人は心と体の生き物です。
体で温もりを感じ、会話し、お互いを認め合う。
そして、心で愛し、それが行動に出る。
それを、信仰だけで拭える訳が無い。

人は本当に弱いものだ。
弱い人は、それだけ心が敏感なのだろう。

信仰があれば、父とはひと時の別れであり
主の国へ行ったと思えば、なんら悲しむことは
無いはずだ。

しかし私には、そこまでの信仰が無かったのだろう。
信仰者になりきれないのは、両親のこともある
特に父親。

父も障害も抱えていた。
そして、苦労の末、就職先も決まり、結婚、私を授かる。
しかし姑問題で、母と離婚。
私は一旦母の元に行くが、裁判にて親権がこちらになり
母を離れて父の元に。
その後父は再婚(今の母)2度大病を患い入院。
そして定年。
定年後は趣味の写真をゆっくり楽しもうと考えていた。
が、今回の病。享年62。
そんな人生でした。

人から人を見て、幸せかどうかなんてはかれない。
五体満足な私からすれば、どうして?という疑問が残る。

父の言葉で頭に残ってる言葉がある
「もっと生きたかった。」
何も答えられなかった。

そして、父の亡骸は家へ帰りました。
それから、葬儀屋、町内会と思いがけないほど
忙しくなりました。

腹立たしかったことがあります。
どちらも、いろいろ葬儀のための、祭壇や花など
いろいろな物を準備しなくてはいけないのですが、

どちらも、高額な物を薦めてきます。
まあ商売なんでしょうけど、葬儀などは、豪華であれば
良いという物ではないと私は思います。

キリストの言葉で次の言葉があります。
「この貧しいやもめが、誰よりも一番献金した。
 金持ちたちは、有り余る中から献金したが、
 この者は貧しい中から、生活費を全部入れた
 からである」

この言葉は、ものの多い少ないで人をはかっては
いけない。ということや、苦しい中でも、生活費
を入れるという神への心のあり方で信仰の深さも
伝えているということがわかります。

高額な物を薦めてくる葬儀屋ではありますが、
母と私は連携して、粛々と「父の意向です」と
言い、質素なものにしました。
本当に父が望んでいたそうです。(母談)

町内会の方が、私は頭にきました。
私たちはマンション住まいなので、特に町内会
の付き合いはなかった。
たまに回覧板が回ってくる程度でした。

とくに、連絡もせず、葬儀屋だけ連絡して
ことを進めていましたが、なぜか町内会の人が来て
こう言いました。

「まず、連絡してくれないと」

一瞬意味がわかりませんでした。
「どういうことですか?」
私が聞くと

「〇〇会の中に属しているので、このような場合は
 町内会からも、いろいろ手伝わせていただきますので」

ほとんど(ほぼ皆無)付き合いもない私たちに
いきなり来て、連絡くれだの、手伝うだの言われても
素直には受け取れなかった。
ま、言い方も少し気に障ったので・・・
もちろん丁重にお断りし、香典だけということにしました。

そして、葬儀の日が決まりました。
喪主は母でしたが、とても負える状況ではなかったので
代理で私が務めました。

本来、教会で葬式をと考えましたが、私もプロテスタントは
ほぼ行っておらず、母も乗り気ではなかったので、町の
公益社で執り行うことになりました。

ここで、一つの区切りができたと感じました。
信仰と信じるもの、彼女、幻視女性、幻聴女性など
いろいろな物(者)とに隙間が生まれ、人生の流れが
一気に変わった瞬間でした。

皆様、長きに渡り、ありがとうございます。
ここで、season2を終えさせていただきます。

葬儀での出来事、父の遺品整理、など
当日の出来事から、私の世俗回帰の人生。
信じるものの変化、その時何を信じて言いたのか、
これはseason3にてお話ししたいと思います。

では、失礼します。

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