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信じているものは何(1)

こんにちは
このシリーズを書くにあたって、経緯など少しご説明いたします。
私は、多少紆余曲折な人生を歩んでいるのではと考えていました。
義母からの虐待、障害を持つ家庭、親と離縁などと、私の周りには
あまり同様の境遇の人は居なかったと思います。
ただ、その事を書くのではなく、そんな中、何を信じていけばいいのか
という感情にぶち当たり、日々の出来事や変化の中、それを追い求め
続けている現状を振り返るために記事に残そうと思ったからです。
他人の目にはいわゆる一人の日記でしょうが、私としては、みなさまに
読んでいただくことで、真理に少しでも近づけるのではと思い決意した
次第です。どうぞ長編になりますが、末長くお付き合い頂くと幸いです。


みなさんは、何か信じているものはありますか?
宗教、科学、人、家族・・・小さい友達の約束から人生観を左右する事柄まで、それは様々だと思います。

今現在、私が信じる対象はおぼろげに見えていますが、確信を得られない状態です。私の信じる基盤はキリスト教(カトリック)にあります。
これは親の影響もありますが、親が私に教会へ行こうと促した時期は
プロテスタント教会でした。(のちに父はカトリックからの改宗と知る)

小学校五年生の頃から、日曜日は家族で教会に行き、日曜礼拝を受けていました。礼拝の後は茶話会があり、信者同士賑やかに過ごしていました。
その頃は、特に信じるということではなく、あまり意味がわからないままついて言ってました。教会には同学年の子供も居ましたので、その子と遊んだりするのが日曜の日課のようなものでした。

中学生になり、部活動が忙しくなり、日曜日も練習があったりで、教会に行く頻度が減ってきました。同時に親も地域の活動が忙しくなり、私と同様あまり行かなくなりました。ただ、親は行ける時は行っていたようですが、私は全く行かなくなりました。

それから、中学〜高校と多感な時期が訪れ、色々と反発していました。
そこまでグレるということはありませんでしたが、好奇心もあり、まあまあ悪さをする奴でしたので、親と大喧嘩をしてしまい、あげくに家を追い出されることになりました。(母は義母で私とは冷戦状態でした)

「もう二度と帰ってくるなよ」と言われ、

「帰れへんわ」と買い言葉。

親は安アパートを用意し、そこに放り出したのです。
そのアパートは、共同トイレ、共同台所、一部屋四畳半、家賃¥7000
なかなかの所でしたね、その建物はもう無いのですが「笹舟荘」というアパートでした。そこで、人生初の一人暮らしを始めることになりました。

やっと一人になれた、自由な時間、起きるも寝るも自由、誰にも干渉されない時間が始まったと思った。実際そうでした。
自由の扉が開かれ、その真っ白な空間に飛び出したような感覚。
その真っ白さ故に、どこまでも真っ白で、掴みどころがなく、常に空中に浮いている感覚があり、次第に「これからどうしよう」「何かあったら?」「正解は何?」地に足がつかない感覚に陥り全てのことに対し「?」がついた。

・・・。


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