信じているものは何(10)
マザーテレサ共労者会
カトリック終末論に酔い、それが登竜門んとなって
カトリック信仰に目覚めた私は、終末論ではなく
本当のキリスト信者となるべく、先輩方とお話し
していたところ、一人の女性を紹介された。
その女性は、京都で喫茶店を営んでいる方で
その方の話がためになるので行ってみなさいと
言われ私を含む数名(いつものグループ)は
教会訪問の後お店に向かった。
その方は、マザーテレサ共労者会の会員で
「マザーテレサと共に」の本の中に体験談を
寄稿されている方でした。
私たちは緊張しつつお店に入った。
なぜ緊張していたかというと、そのお店の
ある席に座ると、その人は悩みを話したり
人生や霊的な事柄に影があるような人が
その席に座り、その人が同意(心で)すれば
その問題は解決に向かうというものでした。
どこの席かは分からず、席についた
残念ながら、というか良かったのかもしれませんが
カウンターのある席が、問題の席で、私たちは
テーブル席に座った。
後に、その席に座らせてもらったが、
その席に座ると丁度、キリストとマリア様の御像が
同時に見える唯一の席だったのです。
(ちょっぴりスピリチュアルなこと)
本題に戻ると、その方は、地域の中で
自身の教区内、町内会にて、マザーテレサのように
愛を与えるという行動をされていました。
愛を与えると言っても、困っている人を助ける
というだけの事で、特に難しい事ではなく、歩いて
入ればその機会に出会えるという事でした。
簡単に言えば、これだけ日本が豊かになり、生活水準が
上がってGDPが世界のトップクラスにある日本なのに
路上生活者があらゆるところに見られたのです。
その路上生活者に、声を掛け、福祉を受けさせ
できればキリストの愛を伝える事だそうです。
キリストは言われました。
「最も小さい者にした事は
私にした事である」
それは、各々自分の教区内で通えるところで
普段の生活の中で行えばいいという事でした。
私の活動
そして、私は自分の教区内での、奉仕活動を探した。
すると、大阪の有名な地域の「越冬隊」なるものが
存在し早速訪ねた。(カトリック系です)
おそらく現在でも行っていると思いますが、
当時の活動を簡単にお話しします。
確か曜日が指定されており、週末が多かったのですが
できるだけ参加していました。
それは、路上生活者が集まる地域で、確か3〜4グループに
別れて、おにぎりと味噌汁を持って、配りながら、その方々
の健康状態などをヒアリングしたり目視したりします。
明らかに状態が悪い方に対しては、救急車を呼び
その後、区の福祉課(だったと思います)に連絡し
アパートを付与し(生活保護にて)社会復帰の後押し
をするというものでした。
さらに、社会復帰を果たした方々でも、お年寄りが多く
孤独で、亡くなっていく方がいることから、話し相手も
出来るだけ行いました。
これらは、すべて活動団体からの指示などで、動くものでした。
ある日、私は、同年代の青年達と回ることになり
ペアを組んで回りました。
おにぎりやパンなどを配る担当と、味噌汁などを配る
担当で分けて行動していました。
そこへ、少し離れたところをついてくる一人の路上生活者がいて
私は、パンをもらってその方にあげようと思い、ペアのA君に頼んだ。
するとA君は、
「あの人はあげなくていいいよ、いつもついてくるから
きっと他でもらってるよ」
と言ってくれなかった。
私は
「え?」
瞬間、言葉を失った。
しかし、その方はずっと付いてくるので、
他の人にあげる分を、何個かもらい、A君に分からないように
その人にあげました。
すると、その人は付いてこなくなりました。
そのA君だけでは無いのですが、その活動をしている
人の言動が、びっくりするような発言もあり、個人的な
気持ちをポロッと言っちゃった的な感じなんだけど、
私はそれからは、あまり行かなくなった。
なぜなら、私の気持ちと、あの方々の気持ちにズレがあり
同じように活動できなくなってしまいました。
この時の私の気持ちは、
「キリスト信者って、みんな、こんな気持ちで
してるのかなぁ。」
歩道橋の下
あまりあの地域に行かなくなった私は
当時勤めていた職場のビルの前に歩道橋があった。
その階段の下に数名のホームレスの方がおられた。
仕事は喫茶店で働いており、サンドウィッチなどの
パンの耳を捨てていたのを、袋にまとめ持って行き
少し話せる時は話したりしていた。
その近辺では、その歩道橋以外にも複数あり
それぞれにホームレスの方が、生活していた。
時々、地域の方が、お店で余ったものを持ってきて
その方々に渡しているのを見て、損得勘定なく
ものを与えられる心がとても新鮮に思えた。
買って与えるのではなく、持っているものを
分けるという考え方がとても人間的で、愛のある
行動だと感じていました。
そんなある日、一人のホームレスの方が明日
ビールがくるから、一緒に飲もうと言ってきたんです。
ちょっと、不思議な感覚になりましたが、快諾し
指定された日時に行きました。
おっちゃん
「おお、よう来たな、ここ座り」
「何のむ? まあ、ビールしかあらへんけど、ははは」
わたし
「じゃ、ビールでいいです」
いわゆる関西のノリで、歓迎された私はコップを持ち
そのコップにビールが注がれた。
わたし
「え?おっちゃん、これビール?」
おっちゃん
「せやで、ビールや、どないしたんや」
わたし
「いや、ちょっと、色が・・・」
そうなんです、ビールが濁っていたのです
私は、もしかしたらやばいかも(お腹)と覚悟を決め
そのビールを口にした。
ちょっとワインのような酸味があるビールでした。
ビール独特の透き通ったオレンジ色ではなく
濁った黄色みがかった色でした。
泡もあまりたたず、新しいお酒を飲んでいるようでした。
確か瓶ビールのキリンだったような気がするが、あまり
覚えていない。
なんせ、その濁りが衝撃的だったので。
まあ、ちょっと酔っ払ってきたし、あまりもらっても
悪いので程々にしました。
ふと、思うことがあった。
ホームレスになる人には、いろんな過去があり
また、いろんな性格に人がいるが、基本的に優しい気がする。
越冬隊をしていた時も、今回も、揃って、一回は断ってきます。
そして、何回も感謝の言葉を述べます。
「ありがとう、ありがとうな、にいちゃんありがとうな」
「おおきにな」、「すまんな」「・・・」
その方々との別れは急に訪れました。
道路の拡張工事や整備工事により、歩道橋が撤去されることになり
それと同時に彼らも居なくなった。
「南の方へ行くわ」
と最後に言い残して行ってしまいました。
・・・。
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