うしなったり手に入れたりするもの
先週ワタクシごとながら
子宮と卵巣をひとつとった。🙄
もともと
月のものがとても
重かったからとゆうのも
ある
月に一度のこととはいえ
月経前はホルモンの乱高下で
クラクラし
骨盤がグッとひらく感覚
失われてゆく
大量の血液と
鉄分と体力
されとて
わたしは既婚モノである。
赤ちゃんが授かる
可能性が
0ではなかった
だけど
ちょうど去年のいまごろ
昨年 不妊外来の検査にて
腫瘍マーカーが
通常の十倍以上の数値がでる。
さいわい次の週に
大急ぎで
予約をとったMRIでは
腫瘍は良性だった。
でも 70をすぎたばかりの
不安げな母に粉雪ちらつく
寒い日に病院につきそってもらった
日のことは 一生忘れないだろう。
十年前
ワタシの従姉は
ワタシの年ぐらいに
叔母とかわいい
二人の幼子をのこし
この世を去っている。
癌とゆう
自分とは縁遠いとおもっていた
存在が
すぐ近くまで、よってきていた
その事実。
今まで おしこめていた
素直な混じり気ない気持ちが
わきでてくる。
腫瘍治療も
不妊治療も
身体や経済的に
負担がかかるのは同じだか
治療のアプローチは
ま逆にあった。
女性ホルモンをへらすか
女性ホルモンを注入するか
赤ちゃんと
腫瘍の 栄養素は
同じものだから。
そこが ずっと
迷いの種だったけど。
「まだ この世の
何処にもいない赤ちゃんより
まずは 私の命と人生を 大事にしっかりと 守りたい。」
そこが、安定していないと
まず 自分を大切にできてないと
子どもたちを大切に
育てられるわけがないじゃないか!!
ありのままの気持ちがあふれてきた
腫瘍の完治に舵をまわすと
決めてしまうと
モノゴトはとんとん拍子に
すすみはじめた。
若い頃
低用量ピル一週間で
嘔吐しひっくりかえたったことのある
ワタシだけど、
レルミナとゆう
ホルモン薬は
ワタシの身体にすこぶる
あっていて
副作用はホットフラッシュだけで
生理から開放してくれた
半年間は メンタルをとても
前向きに安定させてくれた。
そのホルモン薬の半年の治療が
おわるころ
不妊治療の先生が医者の
不養生で たおれてしまい🙄
転院🙄🙄
自転車で20分のところに、
国内指折りの婦人科の
腹腔鏡手術の名医が
週一で 執刀していたので
一月以内に手術はきまった。
そして先週
子宮と 一足はやいサヨナラをした。
あんなに清水の舞台からとびおりる
つもりで 挑んだ手術なのに
「あの、、
呼吸器がずれているのですこし
治してください😳」
と お願いし
看護婦さんが
微笑んで
なおしてくれたところから
まったく記憶がない。
気づくと
集中ケア室だった。
お腹に穴が3つあいたのも
中身が2つなくなったのも
信じられないくらいだった。
そして術後 毎日
つづく産婦人科メシは
3食 ご馳走。
かあさんは産婦人科での
手術をワタシがダメージをうけるのではないかと心配していたけど
逆である。
保育室の窓からのぞいた赤ちゃんは
やっぱり可愛いし
がんばれ!とおもうし
人が、生まれてくる場所である
産婦人科は
やさしい空気にあふれていた。
わたしの子宮は
赤ちゃんが生まれる産道から
外にだされたらしい。
ああ そうか
ワタシは
子宮を産んで
手放すことで、
生まれ直せたんだ🙄
そんな気持ちにあふれていた。