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【第1回】 日本で一番多い「佐藤さん」は、なぜ東北に多いのか?

『自分のルーツを辿る「名字の世界」』

約30万種もあるといわれる名字。貴族の末裔、武家の子孫、地名や職業由来……その起源を辿れば、自分のルーツを知ることができます。本連載では、家系図作成代行センター株式会社代表の渡辺宗貴氏が、様々な名字の起源や分布を解説していきます。今回取り上げるのは、日本で一番多い「佐藤」です。

武家の藤原氏にルーツをもつ「佐藤姓」

昨今、家系図への人気が高まって来ています。その発端になったのが、相続が発生した富裕層です。家族が亡くなり相続が発生したときに、戸籍を取りよせることがあります。そのなかで「自分の祖先」に興味をもち、戸籍調査を行い、その結果を家系図として残す……。そのような流れが生まれたのだと考えられています。

祖先を知ることは、相続トラブル防止にもなるので、相続が発生する可能性の高い富裕層の間で、家系図づくりが広まったのでしょうね。

その流れは、今や広く知られるようになりました。そして日本人なら誰もが持っている「名字」に興味をいただき、「この名字はどこから生まれたの?」と、問合せをうけることも多くなりました。そこで、みなさんの「名字」の起源をご紹介していきたいと思います。

今回は、全国で200万人以上、日本で一番多いといわれている「佐藤」に焦点を置きたいと思います。

全国の佐藤家は第38代天智天皇の重臣、藤原鎌足(614~669)の流れをくむ武家・藤原氏の子孫といわれ、藤原公清が京の御所の左側の門を警備する左衛門尉(さえもんのじょう)に任じられたことを記念して、左衛門尉の「左」と藤原の「藤」を組み合わせて「左藤」と名乗り、後に人名なのでにんべんを加えて佐藤に改めたといわれています。

佐藤公清の嫡流(本家の家筋)は東北でおおいに栄え、なかでも福島県からは源平合戦(治承の内乱。1180-1185)のころ、源義経に仕えて忠勤を励んだ佐藤継信・忠信兄弟が出ました。東北に住む佐藤氏で源氏車の家紋を使っている家は、この兄弟の子孫か、その一族の末裔といわれているんです。

このような佐藤姓は、現在全国にどのように分布しているのでしょうか。電話帳から、探ってみましょう。

都道府県別「佐藤」の分布 出所:2019年 NTT電話帳調べ
都道府県別「佐藤」の分布 図青の色が濃いほど、佐藤姓が多い(出所:筆者作成)

やはり今も佐藤姓は東北に多くなっています。東北6県のうち、青森県を除く5県で1位の名字なのです。

全国で62位の「工藤」は、なぜ青森では一位なのか?

ここでちょっと佐藤姓から離れ、「ある県に」「なぜ」その名字が多いのかという、名字分布について見てみましょうか。同じ東北でも、青森県で第1位の名字は「工藤」。ちなみに全国では第62位となっています。

青森県の工藤氏は、藤原不比等の嫡男、武智麻呂が興した藤原南家の流れをくみます。藤原南家は平安時代の初期には仲麻呂らが権力を得て、朝廷の中枢に君臨しましたが、陰謀などによって権力の座から追われ、武士化への道を歩む者が出ました。それが藤原為憲(ためのり)です。

為憲は天慶3年(940)関東で反乱を起こした平将門を討伐して、おおいに武名を高めました。その恩賞として木工助(もくのすけ)に任官されます。木工助とは宮内省の宮廷造営職の次官です。為憲はこれを名誉とし、木工助の「工」と藤原の「藤」を組み合わせて工藤と名乗りました。これが工藤氏の始まりとなります。

工藤為憲は伊豆国(静岡県伊豆半島)を本拠地とし、一族からは伊東・伊藤・入江・曽我・二階堂氏などが分立し、駿河国(静岡県)に移った一族は駿河工藤、奥州(東北)へ下向した系統は奥州工藤と称し、それぞれ大いに栄えました。奥州工藤氏からは江戸時代(1603-1867)、弘前藩(青森県弘前市)津軽氏の家臣となった家も多々出ました。そのため青森県では最も多い名字となっています。

では佐藤姓に戻りましょう。佐藤姓のルーツ藤原氏は東北から栃木県にかけて本拠地としていました。そのため西日本にはさほど佐藤姓は多くありません。そのなかで特異なのが大分県。ここでは9291件で第1位です。

これは鎌倉時代、幕府の御家人(家臣)となった佐藤氏が、豊後(大分県)に領地を与えられ、地頭(領主)として下向したことに由来し、その子孫が繁栄したためと考えられています。

また前述の通り、佐藤姓の家紋でよく使われているのが「源氏車」。「源氏物語絵巻」によく登場する貴族の乗り物である牛車の車輪にちなんだものですが、佐藤家の場合は源義経の家来だったことを忘れないよう、「源氏車」という名称の家紋を愛用しているともいわれています。

佐藤姓の家紋で広く使われている「源氏車」

◆名字調査の具体例 ①『姓氏家系大辞典』を使って

名字調査はどのようにして行うのか。その一例として、日本の代表的な名字辞典『姓氏家系大辞典』(太田亮著、角川書店)を使う方法を見てみましょう。『姓氏家系大辞典』は、大きめの図書館であればたいてい置いてあります。
『姓氏家系大辞典』は系譜学を提唱した立命館大学教授・太田亮(あきら)(1884-1956)が一生を捧げて完成させた労作で、名字・家系研究の根本資料とされています。第一巻の巻頭に神代御系図・皇室御系図を掲げ、次いで約5万種類の姓氏の解説を旧かなづかいの五十音で収録しています。

では佐藤姓を探っていきましょう。サトウ(佐藤)の冒頭には「藤原秀郷の後胤・公清より~」という記述があります。「『後胤』ってなんだ?」と疑問に思ったら、インターネットで検索してみましょう。読みは「こういん」、意味は子孫です。後裔(こうえい)という言い方もするようです。

また、佐藤の項目には実に58もの佐藤姓のルーツが記載されています。備後の佐藤氏、安芸の佐藤氏、土佐の佐藤氏、薩摩の佐藤氏……と説明がされています。さすが日本で一番多い佐藤姓ですね。

もう少し深く調べたい場合、たとえばあなたが広島県の人であれば、44項目の「備後の佐藤氏」を読んでみてください。そこには「桑田氏の家士に佐藤氏あり」という記述があります。検索してみると「備後」は広島県の東半分、「家士」とは家臣のことだとわかります。備後の桑田氏とは誰でしょうか?  さっそく桑田の項目を見てみましょう。

『姓氏家系大辞典』は旧漢字・旧かなづかいで記されています。「クワタ」は「クハタ」で記されています。そこには「桑田クハタ 丹波国桑田郡は和名抄に久波太と註す」とあります。「丹波国(たんばのくに)」は京都。「和名抄」は和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)の略で平安中期の漢和辞典のことです。「註す」は「ちゅうす」と読み、「書き記す」の意味です。

続いて、目的の「備後(広島県)の桑田氏」を探しましょう。桑田姓の4の項目に記述があります。「大友氏流備前国の豪族にして福山志料に(省略)又、備後の古城記に(省略)家士に桑田、(以下省略)」。広島県の佐藤氏が仕えた桑田氏はこの人だったみたいです。

さらに「大友氏って誰?」と疑問を抱いたら同書の大友氏の項目を参照し、「福山志料って何?」と思ったら検索して……と、『姓氏家系大辞典』があれば、名字調査は永遠に続けていくことができます。深い知識がないと行き詰ることもあるかもしれませんが、少しずつ進めていきましょうね。

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