山下達郎とジャニー喜多川と人間の二面性
発端
松尾潔氏が故ジャニー喜多川氏の性加害問題に触れた事を機に、所属事務所であるスマイルカンパニーとの契約が解除された。世間ではスマイルカンパニーがジャニーズとの関係性の為の忖度をしたと捉えられた。
また、その際に松尾氏はスマイルカンパニー所属の山下達郎氏の名を挙げ、彼も契約解除に賛同しているという事から波紋が広がる事となった。
それに対し、山下達郎氏は自身のラジオで応えた。そこには性加害を批判しながらも、ジャニーズから受けた恩恵は軽視できないという板挟み状態の氏の姿があった。
スタンスと音楽
俺の率直な感想としては「まぁ、そんなもんだろう」という感じだ。皮肉でもなく失望でもない。そもそも俺は山下達郎がどんな人間なのかを知らない。知るにしても彼の音楽を通して想像するしかない。むしろ音楽からのみ山下達郎の印象を得ている。ちなみに音楽自体は好きだ。
では、山下達郎の音楽をどの様に受け止めているか。山下達郎、シティポップ。シンプルで洗練されつつどこか淡白な印象で、情熱的な音楽やゴテゴテした音楽が好きな人からすれば浅薄だと後ろ指をさされそうな雰囲気だ。しかし、過剰装飾や情熱とは無縁のシンプルでモダンな雰囲気だからこそ2020年代の人々に受け入れられている。ファッション的にシナジーがあるのかな。そういう意味では奥様の「プラスティック・ラブ」はシティポップを代表する曲であるだけでなく、精神性も表していると言える。切り離そうとしているところも含めて。
おそらく山下達郎が反権威的なパンクロッカーなら今回の動きはイメージに合わないと言えた。しかし、シティポップだ。ポップスである以上ビジネス感も否めないし、聴いている人々も商業的な雰囲気を感じながら楽しんでいる。だからこその中間管理職よろしく板挟みなのだ。都会的サウンドなのか社会的サウンドなのか。
山下達郎の立場
山下達郎の立場に関しては「大変そうだなぁ」の一言に尽きる。憶測だが山下達郎は積極的に松尾潔を追い出そうとした訳ではなく、聞かれたから答えただけという感じがする。憶測だが「お偉方がそう言うならそれで良いんじゃないですか」ぐらいに答えてたら松尾潔から名前を出されて主犯格っぽくなって困惑しているというイメージだ。憶測だが。
正直、お上の言う事ならどちらにせよ流されてそうな気がする。俺自身山下達郎の音楽が好きだから彼にとって好都合なバイアスが掛かっているだけかもしれないが。「だったらいいね」で言ってもしょうがないか。
ラジオではあくまでも仕事を受ける立場であり、内情に立ち入る立場ではないというスタンスだった。まぁ、そりゃそうだ。わざわざ触れる必要ないし知ったこっちゃない。数ある仕事の一つといったぐらいのものだろう。
一方で所属タレントに対する配慮もあった。ジャニーズのタレントを知っているからこそ、騒ぎ過ぎる事によりセカンドレイプになってしまうのを危惧しているのかもしれない。騒ぎたい人からすればジャニーズに所属しているタレントのイメージが傷だらけになった方が面白いんだろうけど(もちろん、自分も騒いでいる自覚はある)。
松尾潔氏との関係
批判自体は良しとして、松尾さんもスマイルカンパニーと近しいジャニーズを批判(提言)するならば、ある程度の覚悟の上でやっただろうに、契約解除でなぜわざわざ山下達郎を巻き込んだのだろうか。おそらくスマイルカンパニーの意向がメインだろうから名前を伏せる事も出来ただろうけど、そうしなかった背景が気になる。あるとすれば山下達郎の意向がメインの場合だがそれはラジオで否定している。
他にも人間関係が良くなかったのかな、とかも想像してしまう。山下達郎からすれば松尾潔の発言のせいで矢面に立たされている訳だから「てめえの発言なんだからてめえで勝手にしやがれ」といったところかもしれない。1アーティストという立場や音楽方面で支える事を強調していたあたり、今回の問題に対する主体性の無さが伺える。
それにしても松尾潔は山下達郎の何を見たのだろうか。何かないとおかしい。
恩人が罪人
山下達郎とジャニー喜多川の関係で思い出したのは麻原彰晃と三女アーチャリーこと松本麗華の関係だ。さすがに一緒にするのはちょっと気が引けるし、「そんな名前出すなよ!」と思われるかもしれないが、あくまで「恩人が罪人」という点においては共通している。
実際、恩人が罪を犯した人間であるという立場にある人は少数派だろうし、もし自分がそんな立場ならどう反応すればいいのか分からない。人間は二面性があり(二面どころではないかもしれないが)、自分にとって良い面を見せていた人が別の面では非道な事をしているという事はあり得る話だ。
しかし、山下達郎もアーチャリーも受けた恩を捨てきれない様子は同じだし、我々もそういう状況になれば似たような反応をするだろう。受けた恩全部忘れて批判に徹するのもちょっと恩知らず過ぎやしないか。そういった考えが「性加害」と「御縁と御恩」を「別の問題」とする発言に繋がったのだろう。切り離そうとしている。
「私の姿勢を忖度と解釈するなら構わない。そういう方々に私の音楽は不要でしょう」ファンからすれば冷たく響く言葉ではあるが、直接受けた恩を強く感じる気質である事もわかる。というか、怒りすら感じる。この発言もこれまでの繋がりにより現在がある事を重んじている。繋がりがあるが故に切り離したい。
「支持しますか、しませんか」と聞かれればなかなか答えに困る。山下達郎の立場じゃないと分からない事だらけだ(結論出せない人の言い訳の常套句!)。しかし、彼の音楽は淡白な音楽であるが今回の対応は淡白過ぎたのかもしれない。 今回の事で多くの人が「悪人、山下達郎」を発見したかもしれないが、俺は「ビジネスマン、山下達郎」を見出した。
違和感
しかし、ジャニーズの性加害問題なんてのは昔からあるのに今更何なんだという感じもする。あまり山下達郎に批判的になれない理由はここにある(もちろん、この期に及んでまだ批判させない方がおかしいんだけど)。
結局ジャニー喜多川が死んでからアレコレ言っているあたり目クソ鼻クソではないか。生前触れる事ができた人はどれだけいるのだろう。暴露本が出た事もあったが、その時どれだけの人が被害者の味方になったのだろうか(ジャニーズを聴いていないのをいい事に言いたい放題である)。
直接関わりのある人は呪縛から逃れにくい。ジャニー喜多川の生前、無邪気にジャニーズを聴いていた人も囚われていただろう。無自覚に。噂と知っていても。都合の悪い事には目を背けたいものだ。「知りませんでした」と。
今も尚、我々はどこかで助けを呼ぶ人々の声を聞こえていながらも聞こえていない事にしているのではないか。
上岡龍太郎さんが今年の5月にお亡くなりになった。彼が生前、鶴瓶さんとやっていた番組「パペポTV」のポスターにあるキャッチコピー、「見てるあんたも同罪じゃ。」が頭から離れない。