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赤いきつねのCMの映像から何を読み取るか


 東洋水産「マルちゃん 赤いきつね」のCMが炎上しているらしい。面白い事に炎上しているかどうかも議論されているらしい。らしいばっかで失礼。



製作者のフェティシズム

  自分含め、「正味、どうでもいい」という感想が圧倒的に多数派であろうこの話題だが、一つ懸念すべき点がある。それは「全く性的でない」という人々は本当にあのアニメーションを見て、何も性的なものを読み取れないのか?という点である。一応ですが、「性的であるかどうか」は「抜けるかどうか」とは違う。

 こんな事を言うと、かまととぶった人々から変態扱いされるかもしれないが、あの映像からは製作者のフェティシズムが強く感じられる。具体的に言えば口唇フェチだ。また、女がエモーショナルなモードになっているのも、このCMが拒絶される理由を作っているように思う。
 SNS上で流れてきた「性的である」とする意見の人々は、皆さん上品なので核心をはっきり言う人を見かけなかった。しかし、はっきり言おう、うどん食ってる様子の然るべき角度にちんちんをおけば完全にソレに見える。というか、男たちは内心「こんなん、後はちんちん置くだけやんか!」と思ったはずだ。条件が揃いすぎている。
 大抵の人は「髪をかき上げる仕草が〜」とか「顔を赤らめている〜」とか、遠回しな主張をしてましたね。俺が下品過ぎなだけか。

 また、個人的に製作者のフェチを猛烈に感じたのは食べさしのうどんのカットである。食べさしとは本来注視したくないものだ(別に必要以上に見るのを避けるものでもないが)。そこに焦点を当てるのに変態的なこだわりを感じる
 欠けたきつねはもちろん、出汁やネギが縁に付いてる生々しい感じが凄いフェティッシュ。自分は苦手だが、誰かの苦手は誰かのフェチであるのは世の常だ。

 部分的に切り抜いて議論する人もいるかもしれないが、やはり全体を見て考えるべきだろう。映像作品において、どういう脈絡でそういうカットがあるかというのは非常に重要な事だ。

「全く性的でない」という主張の欠点

 「全く性的でない」と言っている人を見ると「嘘つけ!」と思ってしまう。でもそっち側の意見を持つ人の気持ちもよく分かる。彼らは使命感に燃えているのだ。そういう人は「ありとあらゆる表現に寛容さのある社会」を望んでいる。その点に関しては全く同感だ。表現に対する寛容さが縮小傾向にある昨今、その危機感は正しいと思う。
 しかし、自分の意見に一貫性を持たせる為にあの映像から「性的な要素を一切感じない」とするのは無理がある。さすがに鈍過ぎる気がする。その意見の為に感覚が鈍い人になってしまっては、「表現」というカテゴリーで意見を言うときに説得力がなくなってしまうのではないだろうか。
 鈍感な人は何を見てもわかりやすく意図されたもの以外何も感じないし、何も考えない。そんな人が語る表現に誰が耳を貸すのか。だから素直に性的と捉えられる側面に理解を示した上で意見を述べるべきであり、そうでなければ水掛け論だ。
 それでも本当に分からないと言う人に送る言葉は「あ…そうなんすね…」しかない。

 まとめると「確かに見ようによっては興奮する奴もいるだろう。しかし、検閲しなければいけないほど過激ではない」というのが個人的な見解である。武富士ダンサーズの方が刺激的だ。


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