刺青があれば悪人か
偏見と経験則
「偏見」という言葉は悪いイメージで用いられる言葉だ。差別的な物の見方に対して使われる。一方で「経験則」という言葉があるが、これはネガティブなイメージでは用いられないし、むしろ良いイメージかもしれない。誰の経験則であるかにもよるが。ちなみにどちらも個人的なものと集団的なものがあるように思う。
偏見と経験則の共通点は、どちらも収集された情報を元に見解を生み出すという点だろう。そこに悪意を感じたら偏見と捉えられる。「刺青を入れている人は〜」といった表面的な部分で決めつけてしまうのは偏見かもしれないが、もしかしたら経験則でもあるかもしれない。
刺青のイメージ
「刺青を入れる人は〜」の例で考えてみよう。何も悪い事をしていないのにも関わらず、刺青によって「どうせ悪い奴に違いない」と思われるのは不憫だ。この偏見が生み出される為にはどのような経緯があるのか考えてみる必要がある。
日本において、刺青=悪人という構図はヤクザのイメージが強いのが一番大きな原因だろう。昔からヤクザが長い時間をかけて作り上げた刺青の厳ついイメージは一朝一夕で拭えるものではないし、簡単に忘れ去ることが出来たらそれはそれで「ヤクザ舐めとんのか」という話だ。また、その厳ついイメージに憧れた人々が刺青を入れる為、恐い人≒ヤクザ≒犯罪者といったイメージが数珠繋ぎになる。
実際、刺青を入れている人はファッション面でも厳つい物を好む傾向があるのではないだろうか。見た目で威圧感を与えるのが職務上重要だろうし、そうなると傍から見て堅気ではなさそうだという印象を持たれる。
ただ、刺青の中でも和彫とそれ以外で印象が変わる事もあるだろうし、和彫以外でもギャングっぽいものとアーティスト志向だと話が違う。全部一緒くたにするのは解像度が粗い。
比率をイメージする
また、刺青を入れる事が出来る社会的立場は現代の日本の社会においては限られている印象があるのも理由に挙げられる。それらの背景を踏まえると、刺青を入れていない人より入れている人の方が犯罪率が高そうだ。距離を取りたがるのは要らぬ揉め事に関わりたくないからだろう。
「刺青を入れていない人より入れている人の方が犯罪率が高そう」というのは明確な数字を調べたものではなく、個人的なイメージだ。「イメージでそんな事を言うな」と言う方もいらっしゃるだろうが、実際に数字で出された明確な比率よりも、感覚的な比率で考える人は多いのではないだろうか。ことあるごとに明確な数値を確認した上で発言しようとするのは何らかの公式な場であったり、相当な学者気質の人間以外いないように思う。これもイメージによる比率だ。
では、「イメージによる比率」は何をもって形成されるのか。それこそ「経験則」であり「偏見」と呼ばれるもの、つまり収集された情報を元に生み出した見解なんじゃないかと思う。
刺青を入れているからと言っても悪人とは限らない。愛想が良いからと言って善人とも限らない。恐らくそれは多くの人が分かっている事だ。しかし、万が一を想定して安全圏にいたいのが現代人のサガだろう。