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音楽のジャンルを分類する際のややこしさ


 「あれはロックだ」「いや、ロックではない」、音楽好きの中でよくある会話だ。「いや、本当の音楽好きは〜」とかは勘弁してください。何にせよ音楽をジャンルで括るのは難しい場合がある。しかしなんで。
 もちろんわかりやすくまとめやすい勢力がいるからこそジャンルという分類は成立しているのだけど、音楽はジャンルの枠を跨りながら発展していく事が多いので(というか基本的にそうか)、どうしても跨り中の分類しにくいアーティストが出てくる。

 もっと基本的な事を言えば同じアーティストでも違うジャンルに聴こえる曲を持っている。
 ハードロック/ヘビーメタルを漁っている時にホワイトスネイクを初めて聴いた。最初に聴いたのが「Is this love」だった。バラードだったので「話が違う!」と思ったのだが、冷静に考えれば1つのアーティストから色々な曲が出るのは当然っちゃ当然。まぁ、1曲目に聴いただけに衝撃が凄かったのだ。好きではないです。
うっすらした記憶だがメタル界隈はジャンル分けの細分化が凄まじかった(他も似たようなものなのかもしれんが)。メロディックスピードメタル、メロディックパワーメタル、メロディックデスメタル…細かい事はあまり覚えていないがこんな感じだ。「メロディックメタル」という名称では統一できない何かがあるのだろう。
 彼らはこだわりが強そうだ。過去の俺も同じだった。ジャンル名とはファンの縄張り意識の発現の場なのかもしれない。

 逆にプログレは大らか過ぎてどんな独特な事をやっていようがプログレの範囲に収まった。従来とは違うロックをやればプログレだ、といった具合に。
 キングクリムゾン、イエス、ピンクフロイドが同じジャンルの代表として扱われるのだ。それらを筆頭に別々のシーンがあってもいいぐらいなのに。プレイヤー人口が少なかったのかと邪推してしまう俺もいる。
 また音楽の内容云々よりも国ごとに分類されている印象がある。ドイツ(クラウトロック)、フランス、イタリア、細かいのだとイギリスのカンタベリーロックも地名だ。国ごとのシーンや類似性があるからだろう。ちなみにメタルも国ごとに分類される事がある。

 最近ちょっと気になったのは「Lampはシティポップなのか」という話題だ。Lampの染谷さんは2015年に「Lampこそシティポップスだろ、わかってないなぁ、とか思う」というツイートをしている。一方で「仁義なき音楽巡り」というブログを書いていらっしゃる相当コアな音楽好きのPeterさんはLampをシティポップと捉えるのは「よく分からない」と、つい最近言っていた。それらツイートを見てシティポップというジャンルの捉えにくさを思い出した。
 感覚的にはPeterさんの方が一般的だと思う。しかし染谷さんのシティポップに対する捉え方が創作に何らかの影響を与えているという側面も軽視できないので、安易に「それは違うでしょ」とも言えない。ま、批評的な視点からすれば言っていいのかもしれないけど。
 想像ですが染谷さん的には「これこそ2000年代型のシティポップだ」という自信があるのだと思う。音響的な変化が時代性を担い、骨格は大差無い的な(楽理に明るくないので証明できませんが)。それならば「Lampこそシティポップだろ」というのも理解できなくはない。
 ただ間違いなくJ-POPという要素における繋がりはある。過去にも触れたが、そもそもシティポップは偏狭なジャンルではなくメインストリームだ。Lampの音楽も偏狭な雰囲気はないし、そういう意味では共通した雰囲気を感じ取る事もできなくはない。しかしシティポップというよりJ-POPの血筋として。
 実際聴いてみるとシティポップという分類はちょっと難しい。しかし先述の通りJ-POPとしての繋がりがある為か、ちょっとした類似性を感じる事は出来なくはない。大事なのは海外の目からすればそういった繋がりはより強く感じられるものだろうという事だ。Lampは外から火が着いた。

 余談だがシティポップの中でもシュガーベイブらとそれ以降の時代では印象が違う。というかシュガーベイブがちょっと異質でそこまでシティって感じではない(異質って言うか黎明期なだけか)。ちょっと全盛を迎える前は素朴な雰囲気だ。
 この感覚は個人的過ぎるので言い換えるならば、70年代から80年代の変質を通過しているか否かといったところか。マーヴィン・ゲイ的な70年代の素朴さの延長にシティポップの黎明期があり、そこから煌びやかなネオン感が付与されていくように思える。ランプじゃなしに。

 音楽のジャンルは厄介な事に海外に輸出されるとまた捉えられ方が変わるという。これはPeterさんやみのミュージックさんから知った。確かに海外の人からすれば「日本語の音楽」というだけで独特な雰囲気を感じ取れるだろうし、もっと言えば「90年代の日本の音楽」という共通点だけで何らかのジャンル名が与えられても不思議ではない。
 それが日本側の認識とズレていたとしても、時代的な音色と知らない言語が生み出す音楽はそれとして独特に見えるだろう。みのさんが「これ渋谷系とされているんだ?」的な事を仰っていたのもそういう背景が原因なのではないかと睨んでいる。素人意見ですが。
 逆に「80年代の某国のロック」みたいな音楽が流行ったら、多分そのシーンをひとまとめにした呼称が用いられるだろう。当の某国の人々から「いや、これは正確ではなくて〜」と言われても、それ自体が新鮮なモノだから気にせずまとめてしまいそうだ。
 ジャンルの捉え方の違いは個人レベルのものから国境レベルのものまである。音楽は明確に定義しきれない要素を多分に含んでいる。音楽を語る人々にとってはなかなか火種になりやすい「ジャンル」だが、やっぱり多少間違いがあっても便宜上必要なものだ。

 俺としては音楽を聴くとき、ジャンルというのは極力排除したい気になってしまう。ジャンルという先入観が音楽の捉え方を不自由にしてしまう側面があるからだ。アーティストでもジャンルに分類されるのを嫌う人がいるのもそういう理由だろう。色んな角度から解釈してほしいのだ。それぐらい色んな角度から創作と向き合っているのだから。
 まぁ、聴く側が変に拗らせる必要も無いのかもしれないけど。


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