見出し画像

THE FIRST TAKEのピッチ補正とスレイヤーズのAI疑惑


ピッチ補正が普通になりつつあるものの

 THE FIRST TAKEがピッチ補正やらで何やら言われているという事を知った。ピッチ補正の件は今年の5月頃の記事が多かったので、その時に話題になっていたようだ。なぜ今頃知ったのかと言うとKEYTALKのベースボーカルの首藤さんの発言がニュースになっていたからだ。

 正直意外だなと思ったのはピッチ補正の認知度の高さだ。この件でコメントする人々の印象は割りと冷めた感じで、「ま、そんなもんでしょ」というスタンスの意見がよく見られた。中にはテレビ番組のヤラセに例える人までいた。
 俺はKEYTALKは名前しか知らないし、THE FIRST TAKEも10本も見ていない。「めちゃくちゃ浅いのに触れようとすんな」と思われるだろう。堪忍。でもこの空気に何となく違和感を持っているので触れたくなったのだ。

演奏技術によるカタルシス

 ここで一旦「弾いてみた」や「歌ってみた」について考えてみよう。彼らは主に既存の曲のコピーをする。そこに求められる要素として「技術」がある。難しいフレーズの演奏が実はツギハギだらけで後から編集しまくっていたらガッカリする人はいるだろうし、中には騙されたとすら考える人もいるだろう。
 理屈で考えればガッカリする必要も騙されたと考える必要も無い。しかし、人は難しい曲を完璧に演奏している姿にカタルシスのようなものを感じるのではないかと思う。だからこそ期待してしまう。それが故に、である。
 THE FIRST TAKEは意味的には「1つ目のテイク」なので嘘はついていないと思う(「実はテイク2でした」と言われても「ふーん」といったものだが)。しかし、撮ったものをそのまま出しているかのような印象を受ける人が多いのも無理はない(そのまま出せばいいじゃないかと思うが、それでは再生数稼げないとかあるのかもしれない)。

ピッチ補正前提の感覚

 グーグルで何かを調べるとそれに関連する質問を表示する機能がある(FAQ的なやつ)。その機能の「ファーストテイク 何がすごいのか?」という質問に対して引用元として貼られていたサイトを貼っておく。

一発撮りは思えないクオリティのパフォーマンス」と謳っているあたり、ピッチ補正については考えてなさそうだ。この記事が多くの人の総意とは思わないが、一般的な認識ってそんなもんじゃないかなと思う。
 実際にピッチ補正部分を聴き分けれる人は少数派だろう。俺も露骨にケロケロしてない限り多分聴き分けられないだろう。動画を見ている時も考えすらしなかった。巷でも「使われてますよ!」「だろうね〜」というやり取りはあれど、具体的にどのへんとかはわからない。「ピッチ補正はやっているのが一般的」という情報を元に「そういうものなんだろうね」と想像するしかない。
 「そういうものなんだろうね」という意味ではテレビのヤラセと似ているかもしれない。何となくそのなぞらえ方はイヤだなあと思ってしまうけど首藤さんが「ハリボテのエンタメ」と言ったのもテレビのヤラセと似たような雰囲気を感じたからなのかもしれない。
 実態を耳で掴めるのはごく一部の人々だろう。あとは知ってるっぽくフカしているのではないだろうか。俺もフカそう。
 リズムにしろ音程にしろ超正確な基準に慣れてしまった為に「以前は許容できた、あるいはよしとしていた人間的な揺らぎを、排除すべき対象と見なす傾向も生まれた。」と、冨田ラボさんの著作「ナイトフライ」に書かれていた。今回のトピックに刺さる言葉だ。
 ピッチ補正自体をやめるべきとは思わないが、それにより神経質になり過ぎている現状を俯瞰する視点が必要かもしれない。

AI疑惑がかけられたイラスト

 「スレイヤーズ」のあらいずみるいさんが少し前(これも今年の5月)にAIを使っているのではないかと騒がれていた。確かにAIっぽい雰囲気ではあったが真相はわからないままだった。その時はAIだと思う人の方が多かったと記憶している。暴言を吐く人も散見された。大体こんな感じ↓

 しかし、今年の8月(この記事を書いてる日)に制作過程を公開し、AI疑惑を払拭していた。カタルシス。
驚くほどの掌返しでAIの疑いをかけていた人を糾弾する人が見られたが、疑惑がかけられた5月頃からAIではないと主張する人は超少数派だった印象だし、擁護派の人ですら「AIを上手く使っている」という趣旨で、AI使用自体は否定していなかったりする

 便利なツールによって本当に優れた人の能力にすら疑いの目が向けられるようになってしまうのはあまり健全ではないと考えさせられる。何かを見たり聴いたりする度に疑心暗鬼になりそうだ。THE FIRST TAKEの件での漠然とした違和感はここにある。


いいなと思ったら応援しよう!