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アンスクーリング(学校に行かない)についてひろゆきの考え教えて。からの人情的ひろゆき理論。ゆたぼんに届け!

2021年7月2日発売のひろゆきの新刊だよ!


アンスクーリングというのは、「学校に行かない」ということですかね?

日本の憲法でいくと、「子供に教育を受けさせる義務」というのがあるので、子供は学校に行かせなければならないんですけど。

まぁ憲法っていうのを置いといたとしても、「子供のうちにちゃんと教育を受ける」っていうのは、「勉強する」っていうのと、後、「同じような学年の子供達と共同生活をする」っていうのが、結局コミュニケーション能力だったり、その後のその人のアウトプットに関わるんですよね。

例えばじゃあ、「学園モノのアニメを作りたいです」って言った時に、学校通った事無い人って、作れないじゃないですか?

「学校ってどんな事やんの?」みたいなのになると、もう全然何も説明出来ないになっちゃうんで。

で、仲の悪い人達と喧嘩をして、でも授業は一緒だから喧嘩してる相手がずっと隣に座っているまま、「我慢をして授業を受けなければならない」みたいなところで。

でも、「あれ?喧嘩してコイツ嫌いだったけど別に気にしててもしょうがないよね」とか、次の日からなんだかんだ言って顔を合わせなきゃいけない訳だから、「やっぱり仲直した方がいいのかな?」って思ったりとか。

あと周りの友達が、「お前ら仲直りしろよ」とか言われて、「なんか面倒くせぇから、じゃあするわ」みたいな。

っていうのをやって、で、今度は友達が喧嘩した時に、「お前この前仲直りしろよって言ったんだから、お前もやれよ」みたいにやって、「お互いに仲を良くさせようっていうのは、こうやって仲良くさせたりするんだな」とか、「揉めた後って、人ってこうやって仲直りするんだなぁ」みたいなところでちょっとずつ、「人間関係の積み重ね方みたいの覚える」っていうのもあるんですよね。

なので、タイミングを逃すとそういう事をする機会って、ほぼ無くなっちゃうんですよ。

小中高卒業して大学になると、別に授業でみんな同じクラスにいる訳でも無いし、座席も決まっている訳では無いので何か揉めたら、「じゃあ、ちょっといつもと違う机のとこ座ってアイツと関わらないようにするわ」で終わりで、もう一切関連、関与しない。

仕事とかも、「相性悪いな。この人」っていったら別に会話もしないで、仕事終わったら、「はいやめます。家帰ります」だし、「この職場嫌だなー」と思ったり辞めちゃうっていうのがありますけど。

やっぱり小中高とかって、辞められる選択肢があまりないので。
まぁ学校辞めちゃう人もいますけど、基本的には、「辞めないでひたすら続ける」っていう中で、「メンタルをある程度成長させる」みたいなのとか、「トラブルがあった時の対処法を学ぶ」っていうのがあるので、僕は学校行った方がいいんじゃないかなーと思ってますよ。

ただ、「学校行く事が出来ない人」っていうのもいるので、「それはもうしょうがないよね」っていう話だと思います。

行く事が出来ない人が、「行かない」っていうのはまぁしょうがないよ。

なんですけど、「行く事が出来るけど行かない」っていうのって、後でめちゃめちゃ後悔すると思うんてすよね。

大学は行き直せるんですよ。
でも、中高って理論上、行き直せるんですけど、例えば40歳になって「中学生です」って言っても、もう同級生として絶対扱ってくれないじゃないですか?

なので、中学生活ってやり直しが出来ないんですよ。
小学生活とか高校生の生活は。


大学はある程度、歳取ってても受け入れてくれる大学もあるので何とかなるんですけど。

なので小中高だけは僕は一生モノなので。
本人が嫌がってたとしても無理して行かせた方がいいんじゃないかなと思います。

結局、「小学校中学校高校行った方がいいよね」っていうのは、行った人しか分からなかったりすんですよね。

で、行って無い子供が、「じゃあ行かなくても大丈夫じゃん」って言ったとしても、後で、「行きたい」と思ったとしても、手遅れになっちゃうので。

で、別にスゲェやりたい事があるんならいいんてすよ。

例えばサッカー選手になりたくて。
要は、「高校に通うくらいだったらサッカーやりまーす」って言って、「その後プロサッカー選手になりました」とかなら、まだありなんですけど。

なんか、「学校に行かないかわりに何してんの?」っていうので、「別に学校卒業してからも出来んじゃねーの?」っていうのをするんだったら、なんか学校行った方がいいんじゃないかなと思いますけどね。