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ゆめのオルゴール
朝だ。
朝って生きてる限り無限にやってきてイヤだ。夕方と夜だけ来てほしい。
一般に「朝が苦手」というのは恐らく起きるのが難しいとか寝覚めが悪いといった文脈だと思うのだけど、朝早くに起きるのはそう難しくないし寝起きで機嫌や体調が悪いということも無い。
単純に「朝」というものが苦手だ。なんか、「始まり」というイメージがどうしても拭えなくて、それに対して鬱屈とした感覚が湧いてくるのだと思う。
地球、回らないでほしい。
ゲーム「ゆめにっき」のオルゴールが届いた。
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セーブする時のあのオルゴールの曲が聴ける。つまり、主人公の「窓付き」が夢日記を書く時の曲。
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フラッシュを焚かないと上の「窓付き」の絵が見えない。画面が光らない頃のゲーム機を思い出した。ゲームボーイアドバンスSPから光るようになったんだっけ。暗くても画面が見える!と興奮した覚えがある。
オルゴールを動かしてあの曲だ、と認識できた瞬間に「ゆめにっき」にハマっていた2008年頃の感覚が一気に沸き上がった。懐かしさとか当時の自分のしんどさとかいくつもの要因で泣いた。
泣いたけど、あえて一括りにすれば感動の涙と言えるだろう。
2008年辺りはこういうフリーゲームやフラッシュゲームが盛り上がっていて、ゲーム実況が流行り始めて一つのジャンルになる手前だったと思う。
その頃の私は10歳くらい。兄の影響でネットやゲームにずぶずぶだった。びっくりフラッシュをたまに食らいつつ、無料でいろんなゲームが出来るなんて!と毎日のようにゲーム系のサイトを漁って面白いゲームを探していた。
その中で見つけたのが「ゆめにっき」。たしかランキング上位にあって知ったんだったかな。
ゲームは好きでも操作が下手くそなので、「ただ歩き回るゲーム」というのに惹かれたんだと思う。
プレイして色んな夢の世界を歩き回っているうちに、気付いたらそこが安住の地になっていた。
子供なので怖いところはちゃんと怖がっていたし、鳥人間に追いかけられる時も本気で焦っていた。でも夢の中なので死んでゲームオーバーということは無く、鳥人間に捕まっても9マスくらいの場所から出られなくなるだけで、頬をつまんで目を覚ませば現実の「窓付き」に影響は無い。
夢の世界の住人は誰も言葉を発さず、包丁で殺した時に悲鳴を上げるだけ。「窓付き」も喋ることはなく、現実の自室から出ようとする時に拒絶の反応をするくらい。「だめ」「むり」と言っているように聞こえる。
夢の中で意思を持って行動しているのは自分(窓付き)だけ。たくさんの世界があって色々なものがあったりいたりするけど、行こうと思えばいつでもそこに行けて、そこに存在するものは変わらずそこにいる。
その「実質ひとりだけど飽きない世界」というのは当時の自分にとって、まさに夢のような場所だった。
現実が真夏のアスファルトの上だとするならば、夢の中やゲームの中という虚構は高級ホテルのダブルベッドくらい居心地が良かった。安全で安心できる快適な居場所。
「窓付き」の現実が直接描写されることはないから推測に過ぎないけど、自室から一切出ずに夢ばかり見ていたり自室にゲーム機があったり、自分と彼女を重ねる要素としては充分だった。
だからこそあのエンディングには本当に救われた。
20年前のフリゲだからネタバレしてしまうけど、
あのゲームの最後は夢の中で得たものを全て捨て、目を覚まして現実の自室からベランダに出る。
柵の手前にはいつの間にか踏み台が置いてあり、「窓付き」は両手を上げてポップに飛び降りて死ぬ。死体の描写は無く、血痕と夢の中にいたものだけが映る。
そのエンディングを見た時、そうか、現実でも自由でいいんだな、死ぬも生きるも自分で選んでいいんだな、と心がふっと軽くなったのを覚えている。
覚えてる限りでは、小学3年生の時にはコミュニティーを離れては閉じこもる、というのをやっていた。放課になったらトイレに入り授業時間になっても出られず、大人達に怒られる。全く不毛なことを繰り返していたが、子供なりに少しでも集団から逃げようとしていたんだろうな。
子供にとっての社会なんて家と学校くらいなので、どちらでもすごく大変だ!となると、可能な限り外をほっつき歩いていた。ちょっとした田舎なので田んぼが広がってる場所とか川辺とか、人が少ないところによく居た。広めの公園で人がいなかったら、その辺の雑草やら砂利やらの味を確かめたり自分なりに楽しんでいた。
両親が夜に帰って来るまではパソコンやゲームをして、持ち帰ってきた夜ご飯を食べたら家を出る。
親は私がいないことに気付くということがあまりないので、両親が寝る頃に帰る。
ただ外に出たことがバレるとブチ切れ案件となり、完全に締め出され真冬でも入れてもらえなくなるので、家にいようがいまいがリスキーではあったんだけど。
なんか「ゆめにっき」の話をしようとするとどうしてもハマってた時期のことも思い出すな。
完全に過去のことだから思い出して暗い気持ちになるとかは無いけど、結び付いてるのは良くないな。
またプレイしてみようかな。
今気づいたけど他の地域では授業の間の休憩時間を放課とは言わないんだっけ。まあいいか。