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精神が不安定とは正しい表現なのか

ここ最近、漠然とした不安を長いこと感じていた。

不安の渦に一歩、入り込んでしまうと、止まらない。
それがやがて、マインドの病をもたらしてしまうのだから、舐めてはいけない。

私は、身体的な病は何度か経験してきた。脳腫瘍の手術もしたし、頭蓋骨を骨折したりもした。
しかし、それ以上に精神が病んだとき、不安にやられてしまった時の方が恐ろしいことを実感している。

精神が病むとは、一体どういう状態なのか。

私は、今こうして文字を書き起こしているときに、
精神という漢字の語源に気づいたのだ。

精神=スピリット、魂

精霊の精に神と書いて、精神と読むのか。
当たり前のように目にしていた精神という文字が、急に聖なるものとして、目に浮かんできた。

私たちは、おそらく精神という漢字を目にした瞬間にネガティブな事象として捉えることが多いだろう。
なぜなら、日常で精神という言葉に触れる時は、大抵「精神が安定しない」、「精神がおかしい」など、付随してネガティブなワードに変換されてしまうからだ。

しかし、よく考えてみれば、スピリットや魂というものは、常に完全な存在であり、
それが欠けたりすることはない。

精神、つまり魂は揺らいだりしない。
常にそこに輝いて存在しているものなのだ。

よく、人々は、路頭に迷った人に、
心の声を聞きなさい、本当の自分の声に耳を傾けなさい。
と言う。

ここでいう、本当の自分の声とは、魂、つまり精神のことを指すのだろう。

私たちは、常に自分の魂が答えを持っているということを自覚しているにも関わらず、その魂、精神が病んでいるという表現を無意識的に活用していたのだ。

精神が病むという表現に違和感を感じ始めた。

では、一体何が、いわゆる"精神が病む"状態にさせているのか。

その正体は、マインドだ。
エゴマインドと呼ぶとしよう。

私たちの真ん中に精神(スピリット)が宿っている。
この上を覆い被さるようにして、マインド(頭の声)が大きな声で、精神(スピリット)の邪魔をするのだ。

赤ん坊の時は、マインド(頭の声)はほぼ存在しない。
言語を知らないからこそ、思考もできず、社会のルールも知らないため、
こうであるべきという特定のルールは存在しない。

赤ん坊が「電車の中で静かにしておこう」とか、もし考えていたとしたら気味が悪いだろう。
つまり、赤ん坊には、ほぼマインドというものは存在せず、精神(スピリット)の状態だということだ。

成長する過程で、いろんな言葉やルールを学び、
やがて、エゴマインドが確立されていく。

私たちを、困らせるのは、そのエゴマインドであるということを、このあたりでお分かりだろうか。
もちろん、エゴマインドによって、向上心が芽生えたり、成功を目指したりできるため、上手に活用しうまく付き合っていけば、大きな味方になること間違いないのだが、エゴマインドが悪い方向に誤作用した際に、私たちは窮地へ立たされることになる。

ここまで、話してみて、精神とは我々の苦しみにほぼ無縁の存在であり、
苦しめていた正体は、頭の中で大きく叫ぶマインドであったことに気が付く。

じゃあ、なんと呼べば適切な表現になるだろうか。
精神は病むものではないことを、念頭に置きながら、
私は、一旦苦しみの状態を"マインドの大暴走"と呼ぶことにする。

何か良い、名称があれば是非教えていただきたい。

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