想像できる人間になりたい
高校の友人と行った韓国旅行。
旅行先に留学している友人とも合流して3人で過ごした韓国での夜が、あまりにも素敵だったので残しておこう。
会話の始まりは何だったのかあまり覚えていない。
なんとなく始まった会話の中で「想像できる人間になりたい」と友人が言った。
自分とは違う人に共感するには想像力が必要だと。だから色々な経験をして、想像するための要素を集めている。
あ、これが私のやりたいことでもあり、無意識にやっていることだ。そう思った。
旅にはまって自分の知らない世界を見るのが好き。
いつもならここで終わってた私の「好き」がその先に繋がった気がした。
想像できる人間
思えば私はそんな人を無意識に目指していた。
小さな頃から人の顔色を伺う子ども。
先生の言うことを素直に聞く優等生。
友達に嫌われたくない八方美人。
常に相手の考えていることを想像して、相手の欲しい反応を想像して、会話の良い方向を想像して、そしてやっと言葉を発する。
無意識にやっていたこの思考が正しいと思っていて、それができずに適当に勢いで話してしまったときには1人反省会をするほど。
こんなに相手の顔色を伺うなんて、自分を持てていない優柔不断な人間だって思うこともあった。
でも今日を経て、相手のことを想像できる人間になれているのかもしれないって少しだけ自分を肯定できる気がした。
自分の持っている引き出しは多い方がいい。縦横斜め、どんな方向からも開けることのできる引き出し。
想像するためにはまずは知る必要がある。
知るためにはまずは動く必要がある。
私の好奇心の大きな軸はここなのかな、と。
自分にないモノとコトをまずは知って、そして取り入れていく。変わるんじゃなくて重ねる。
何かの出来事や誰かと向き合うときに『1:1』ではなくて『1:多』で向き合いたい。
価値観は変わるモノじゃなくて積み重ねるコトっていう自分の中での想いが、なんとなく言葉にできてくる気がする。
今まではこんなに踏み込んだ話をしなかった友人たち。
韓国という異国の地がまた、会話を誘ってくれた。
場所、人、それぞれが置かれている状況
そして夜食に買ったチキン
どれを除いても辿り付かなかったこの会話、忘れられない韓国での夜になった。