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■ 其の281 ■ no+eがほぼ、カンダさんへのメッセージボード状態になっています。それで、今回は火曜に伝えておこうとコピーし、用意していたものを書きますね。

📙ひとつは、すでに ■ 其の278 ■ に書いた、「下に見るひと」の話です。


📙もうひとつは、齋藤孝さんの、人生は「動詞」で変わるという話です。   

 「いまの自分を変えたい」という人が増えている。
 こころをこころで変えることはむずかしい。手っ取り早いのは、行動を変えることだ。
 人間の行動は、「動詞」の集積である。そのことをもっと意識して、自分を活性化させ、スイッチ・オンする「動詞」を持とう。ある動作が熱心に行われているときには、その行動を指す言葉も実体感が強い。逆に日常的にその動作が行わらなくなると、それを表現する言葉もすたれていく。
 たとえば、最近はタオルなどを「絞る」ことのできない子どもがいる。家でも学校でも、雑巾ぞうきんがけをしなくなった。「絞る」動作が生活のなかからどんどん減り、両手でぎゅっとねじって絞り込む動きを知らなくなっている。「絞る」という動詞はもはや風前の灯だ。
 日本人が帯やふんどしを締めなくなって久しい。「結ぶ」ことも苦手になっている。鉛筆を「削る」ことも、マッチを「すって」火をつけることもない。刃物を「とぐ」こともしなくなった。このごろは、米を「とぐ」という言い方もしなくなった。「洗うことでしょ」と、米を泡だて器で攪拌かくはんする人もいる。
 言葉がすたれ、その動作がもたらしていた身体感覚が失われると、そこから派生した比喩表現も実感が湧かなくなる。
 タオルを絞れない人は、ものを絞れないくらいだから、知恵やアイディアを「絞る」こともできない。ひもをきちんと締めて結ぶことのできない人は、気持ちを「引き締める」ことも、人と縁を「結んでいく」こともできない。米をとげない人は、感覚を「とぎすます」こともできない。
 からだの動きと直接的に結びついた動詞が身の回りからどんどん減ってしまったことと、現代人が「生」を実感しにくくなったことは無関係ではない。
 動詞は、その人の生きる姿勢に投影されやすい。
 たとえば包容力のある人は、「包む」身体性を持っている。どんな形状のものもうまいこと「包み込んでしまう」風呂敷のような柔軟性を持っている。この意見だけが正しいとか、これでなければダメだ、という考え方をしない。自分とは見解が違っても人の話に耳を傾けて「聞く」ことができ、相手を「受け入れる」ことができる。行動や考え方に「包む」という動詞の持つ特徴が自然にあらわれて、その人のひとつのスタイルになっている。
 「名は体をあらわす」という言葉があるが、私はむしろ「動詞が体をあらわす」と考える。
 自分のスイッチになる「動詞」をたくさん持っている人は、自分のからだをベースにして心地よく生きるすべを知っている人だ。
 生き方のスタイルは動詞で変わる。人生は動詞次第だ┄┄。

※ 良い「動詞」を身に付けて、人間らしく心地よく生きたいものです。      


📙そして、「マイルドドラッグ」の認識です。
  ドラッグは三つに分類されます。
 ● ハードドラッグ・・・覚醒剤・ヘロイン・MDMA・コカイン・アヘンなど
 ●ソフトドラッグ・・・アルコール・ニコチン・カフェイン・チョコレートなど
 ●マイルドドラッグ・・・清涼飲料水・スナック菓子・スイーツ・菓子パン・カ
  ップ麺、そしてファストフード店で提供される食品など

 食品は生態系が息づく自然界の産物であることから遠く離れて、工業製品化の度合を極限化し、最新のテクノロジーによって精製につぐ精製の技術を競い合いながら、自然状態とは似て非なる「マイルドドラッグ化」を進めている。「やめられない、とまらない」のは「かっぱえびせん」だけではない。食品メーカー側はどうすれば消費者が自社の工業製品の虜になってくれるかを研究し、すでにそのツボを心得ているのだ。

※ マイルドドラッグの摂取がクセにならぬように、若いうちから気を付けておきたいです。


📙最後は、山内太地たいじさんの紹介です。
 この方、日本全国800以上の国公私立すべての大学に行ったという教育ジャーナリ ストでYou Tuber。 ご自身は東洋大出身ですが、島根大も合格しています。とにかく大学に興味関心があり、それを極めて職業にしています。
 他者との比較による評価は気になりますが、自分の中にあるものを極めていく方が、道がひらけて自己肯定感が高まる気がします。



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