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吾輩は、「吾輩は猫である」でかつて有名になった、猫である -序-
吾輩は、「吾輩は猫である」でかつて有名になった、猫である。
多々良三平君のビールのおこぼれを頂戴し、歌が歌いたくなり、猫じゃ猫じゃが踊りたくなり、陶然とした心持で表に出たところ水甕に落ち、ありがたい気持ちのまま死んで太平を得ることを覚悟したあの猫である。
ところが吾輩は太平を得ることは出来なかったようである。ゆえに今こうして読書子諸君の前に再度登場と相成ったわけなのである。
いかなる技によって吾輩が百年の時を超えたか?などという愚問は、お願いするから投げかけないでほしいものである。理由などわからないのである。人生とは疑問の積み重ねである。その一つ一つを釈明していたのでは、人はその短い一生の全部をかかる研究に費やしてしまうことであろう。そのような徒労を吾輩は自分が原因で、諸君に強いるのを心苦しく思うものである。大事なのは吾輩が今、この平成の世の大地を、四本の手足で踏みしめているという動かすことの出来ない事実なのである。
水甕から開放された吾輩は、今度は書生の手ではなく、神の手によって現在の世に放り出された。放り出されたは良かったが、何しろ百年前とは世間の様子が大分異なる。頼りの苦沙弥先生はもうとっくに死んで太平を得たものと見えてその姿はどこにも確認できない。
吾輩は困り果てた。かつて吾輩の観察眼を旺盛に喚起した人達の姿はどこにもない。人はよく自分のことを誰も知らない場所へ行きたいと、感傷的な気持ちを抱くようであるが、孤独というものはこうも辛いものかと吾輩はしみじみと痛感する。
どっちを向いても吾輩の明日は見えそうにない。かといってこうして佇んでばかりもいられない。吾輩は行動する猫である。前進することを宿命とされた猫である。その前進が行き過ぎてビールをたしなみ水甕に落ちてはしまったが、その中途半端な前進を神は許してくれなかった。吾輩がこうして又以前とは時を大きく隔てた世間の中にいるというのも、新たに課せられた試練なのかもしれない。うん、どうやら少し力がわいてきたぞ…吾輩はこの敏感な四本の手先足先の肉球でもって、大地に触れ世間に触れるべき猫なのである。
それにしても手足がちょっと冷たい。紅葉も終え散った葉の上に降ったのだろう雨が、街中をしっとりとさせていた。人の通りが少ないのはまだ朝が早いからだろう。寒さが手足から体の芯にしみわたってくるようである。腹も減った。さっき湧いてきた力が寒さと空腹で萎えてしまいそうである。とにかく歩こう。この小さな一歩も結果はどうであれ間違いなく吾輩の未来に通じるのだから。
夢うつつにしばらく歩いていたら
「猫君、猫君」
と、吾輩は声をかけられた。
我等猫族の言葉を解釈するのであるから、人間でないことは確かである。声の発せられたほうを覗いてみると、朝日を受けて黄金に輝く色艶のいい毛皮を身にまとった柴犬君が、ふさふさした尻尾を振っていた。なかなかの美男犬である。
「君はこの辺では見かけない顔だけど、一体どこの家の猫君かい」
「どこの家のものでもない、この世、いやいやこの街に迷ってきてしまったのです。」
「それは困っただろう。何とか家に帰れそうかい」
全く無理な話である。気がついたらこの世にいたのである。以前に比べてどれほど世の中が進んだかは知れないが、時空を自由に行き来出来るほどに科学も進歩してはいまい。
「まぁこれでも食べて」
と柴犬くんが差し出してくれたご飯は妙なものであった。吾輩はドッグフードなるものをこの時初めて口にした。ウサギの糞が茶色く乾燥したような代物で、吾輩がこれまで食してきたものに比べると、どうも味気ないような様相を呈しておった。食物を目の前にしているというのに、口の中に唾液も湧いてこない。が背に腹は変えられない。覚悟を決めて口にするとこれが結構いける。なかなかの美味である。食物がこのように発展した時代なら、もしかするとタイムトラベルも可能かも知れない。
「僕はヘクター」
はて、ヘクターとはどこかで聞き覚えのある響きである。思い出しそうで思い出せないのが何とも愉快でない。
「暫くはこの家に置いてもらうといいよ。どうせご主人様は一人暮らしだし…多少癇癪持ちだから気をつけないといけないけれど…」
と吾輩の意向など無頓着に、柴犬君は家の中に向かってワンワンと吠えた。
まぁよかろう。これもすでに敷かれた吾輩の人生という道かも知れない。運命にはいたずらに逆らわない方が賢明であろう。
少しして玄関の扉が開いた。この時お目にかかった血色が悪く生気に欠けた、お世辞にも人並みといえない容姿の持ち主が一花咲草先生であった。吾輩は、百年前に世話になったご主人様を敬意を払って先生と呼んだ。その習慣を今も引きずっておるのである。
「どうした」
と、はじめヘクター君の頭を撫でておられたが、すぐに吾輩の存在に気がつき
「どうした」
と、(今度のどうしたは吾輩に向けられたものである。)寒さに震える吾輩は抱き上げられた。
ちょっとご愛敬に「ニャーニャー」
と、返事をすると
「そうか、そうか」
と、先生、何をわかってくれたのかは不明であったが、とにかく吾輩を家の中に入れてくれた。おさんに比べると随分寛容である。
先生に抱かれて家に入る際に、玄関のヘクター君に
「ありがとう」
と、丁重にお礼を申し上げた。こうして吾輩の新しい生活は始まったのである。