今年の夏はことのほか暑く、長く感じられた。日差しが強く、湿度も高く、毎日がまるで炎天下の中にいるようだった。エアコンの効いた部屋に避難し、冷たい飲み物を手に取ることが日常の一部となった。 しかし、11月の半ばになると、風も冷たくなり、季節の移ろいを感じるようになった。自然の変化は、僕たちに時間の流れを教えてくれる。 日常は様々な出来事で溢れている。ニュースでは連日、世界のあちこちで起こる事件や事故、災害が報じられている。政治の動向や経済の変化、社会問題など、情報は絶え間な
私たちは皆、自分自身の価値観や信念に基づいて「正義」を持っている。しかし、その正義が必ずしも世間一般の正義と一致するわけではないだろう。このギャップに気づくことは、成熟した大人としての重要なステップだと思う。 例えば、ある人は動物愛護を強く信じており、動物実験に対して強い反対意見を持っているかもしれない。しかし、医療の進歩や人類の健康を守るために動物実験が必要だと考える人々もいるだろう。このような場合、どちらの正義が正しいかを一概に決めることは難しい。 このギャップを埋め
――岩波文庫発刊に際して―― 岩波茂雄 真理は万人によって求められることを自ら欲し、芸術は万人によって愛されることを自ら望む。かつては民を愚昧ならしめるために学芸が最も狭き堂宇に閉鎖されたことがあった。今や知識と美とを特権階級の独占より奪い返すことはつねに進取的なる民衆の切実なる要求である。岩波文庫はこの要求に応じそれに励まされて生まれた。それは生命ある不朽の書を少数者の書斎と研究室とより解放して街頭にくまなく立たしめ民衆に伍せしめるであろう。近時大量生産予約出版の流行を
どんなに自己啓発を喚起していても、世間の中に身を置いていれば、頭にくることもあるだろう。漱石先生の言うように、智に働けば角が立つし、情に掉させば流されるし、意地を通せば窮屈である。無神経な人がうらやましいと感じることがある。あなたの何気ないその一言が、僕の心の棘となっていることをあなたは知らないでいるだろう。 僕は努力をした。あなたを変えることは、無理だろうから、自分を変えようと試みた。が、しかし、僕は自分に正直でいたい。自分を曲げてまであなたに迎合はできない。そんな僕が、
ふと漱石先生を思う時がある。 先生、僕は今、心が苦しいです。何に苦しんでいるのかさえも、判然としないのですが、とにかく苦しいのです。もし先生が生きておられたら、僕は先生の傍で先生と同じ空気を吸いたいと願います。先生を感じることで、僕はきっと勇気づけられると思うのです。 先生の作品を読むたびに、先生が抱えていた苦しみや葛藤が伝わってきます。その苦しみを共有することで、僕の苦しみも少しは軽くなるのではないかと感じるのです。先生の言葉や思想に触れることで、僕は自分の中にある不安や
今朝、部屋の外に出ると、ひんやりとした空気に包まれ、遠くの山の峰がはっきりと見えた。その光景はまるで一晩で季節が夏から秋に移ったかのように感じさせた。 清澄な空気の中で、日向に立つと心地よい温かさが体を包み込み、自然の偉大さを改めて感じる瞬間だった。 秋の訪れは、いつも僕に特別な感慨を抱かせる。 夏の喧騒が過ぎ去り、静寂と共に訪れるこの季節は、心を落ち着かせ、深い思索にふける時間を与えてくれる。朝の冷たい空気は、まるで新しい始まりを告げるかのように感じられ、その中で感じる温
秋の夜空に浮かぶ中秋の名月。 その美しさは、古くから人々の心を捉えて離さない。 月の光は、静かに、そして優しく、地上のすべてを包み込む。 その光を見上げるとき、僕たちは一瞬、日常の喧騒を忘れ、心が穏やかになるのを感じる。 しかし、この月の光には、もう一つの魔法がある。 それは、離れている人々をつなぐ力。 遠く離れた場所にいる友人や家族、愛する人たちが、同じ月を見上げていると思うと、不思議な安心感と幸福感が胸に広がる。 たとえ距離があっても、同じ月を見ているという事実が
今日は、パラリンピアンランナーの加治佐さんと、その伴走者である豊島さんの講演を聞く機会がありました。日本においてもノーマライゼーションが謳われるようになって久しいですが、健常者と障害を持たれた方が共生できる社会の大切さを改めて痛感しました。 講演の中で、加治佐さんと豊島さんは、互いの信頼関係と絆について語っていました。特に印象的だったのは、二人が一本の紐で繋がりながら走るという話です。その紐は単なる道具ではなく、二人の間に築かれた信頼と絆の象徴であると感じました。 講演の
迎合と共感は一見似ているように思えるが、その本質は大きく異なる。 迎合とは、他者の意見や感情に無条件に従うことであり、自分の意志や価値観を犠牲にしてまで他者に合わせる行為である。 一方、共感は他者の感情や立場を理解し、尊重することであり、自分の意志や価値観を保ちながらも他者と心を通わせる行為である。 僕は共感を大切にするが、迎合はしない。 なぜなら、迎合は自己を失うことに繋がり、長期的には自分も他者も不幸にするからだ。 共感は他者との関係を深め、信頼を築くための重要な要素で
混沌とした世の中で 僕は静かなる光を求めて 62の春を超えて来た それぞれの季節が教えてくれた 生きるとは変わるという事 若き日の夢は遠くにあっても 心の中にはいつも新しい朝が 僕の足跡は多くの道を作り それぞれの物語を紡いでいく 僕は峰々を超え 谷を渡り 星々に願いを込め 高きに登り深く息を吸おう 僕は知っている 世界は 宇宙は 人の頭の中は 無限に拡がっているということを 僕はこれ迄どれだけの自分を失って来ただろう けれども僕は自分の宿命を受け止めて 迷いながら
細川映三 寺田寅彦と言う物理学者で随筆家をご存じだろうか? 「天災は忘れられたる頃来る」の言葉を残した、夏目漱石の門下生である。 彼の随筆の中に鎖骨と言うのがある。鎖骨は比較的簡単に折れる骨であって、鎖骨が折れることによって、ほかの大事な骨が折れるのを防ぐと言っている。体の健康にも増して心の健康を維持するのは難しいものだ…鎖骨のようないわば安全弁的なものを持つことは非常に大事だと言っている。 かかりつけの歯医者からも、お墨付きをもらっている僕の歯であるが、先日左下の糸切り
夏目漱石と木瓜および拙の関係は、漱石が詠んだ俳句「木瓜咲くや漱石拙を守るべく」に表れています。 この句は、漱石が明治30年(1897年)に熊本で英語教師をしていた時に詠んだもので、自らの生き方を象徴しています。ここでの「拙を守る」とは、目先の利益に走らず、不器用でも誠実に生きることを意味し、漱石の理想とする生き方を示していると言われています。 また、『草枕』には、「世間には拙を守るという人がある。この人が来世に生れ変るときっと木瓜になる。余も木瓜になりたい」という一節があ
山路を登りながら、こう考えた。 智に働けば角が立つ。 情に棹させば流される。 意地を通せば窮屈だ。 とかくに人の世は住みにくい。 これは漱石先生の書いた『草枕』の冒頭部分で、多くの方が聞いた事がある出だしだと思います。 非常に印象的な書き出しですね。 漱石先生の『草枕』は、日露戦争の頃、30歳の画家が「非人情」を求めて旅をし、那古井温泉で出会った女性・那美との交流を描いた作品です。 画家は那美がいつも芝居をしていると分析し、彼女の美しさに魅了されます。 那美は出戻りで周
今日は星が綺麗だ。 この空は何処までも繋がっている。 然し、僕が幸せな思いで見上げているこの空であっても、何処かの国で今でも空から爆弾が降っている。 僕達は知っている筈なのに… 悪戯に争いをする事の無意味さを… しかし今日この日この時でさえ、爆弾の恐怖に心を震わせている人がどれだけいる事だろう。 寒さと飢えに涙する人がどれだけいる事だろう。 戦争は何の生産性もない事を… それでも闘う事をやめない意味が何なのかは僕には理解できない。 身を賭して…命を捨ててまでテロ行為をする
「そんな事君、書いた本人だって分りゃしないよ」 漱石先生が教鞭をとっていた際に、詰問する生徒に放った言葉である。 実際にそうした事はあるだろうと思う。 自分でも何故、あんな事を言ったのだろう? 何を思って、あんな事を書いたのだろう? と言う事は、ままある。 僕は自分の意識の外で、何か吐いてはいけない言葉を吐いていはしまいかを思うと、途端に不安になる。 寄り添いの気持ちを喚起して、他人と対峙したいと思いながら、自分の癇癪が顔をのぞかせ、他人を傷つけ自分ではのほほんととして
夏目漱石『愚見数則』(現代語訳) 理事がやってきて「生徒のために何か書け」と言われた。私のこの頃の頭脳は乏しすぎて君たちに語ることなんかなんも無い。しかし「ぜひ書いてくれ」と頼まれたのだから仕方ない。何か書いてやるか。私はお世辞は嫌いだ。時々は気に入らない言葉もあるだろう。また、思い出した事をそのまま書いていくので、箇条書きのような文章となり少しも面白くならない。文章は飴細工みたいなものだ。延ばせばいくらでも延びる。その代わり、中身は薄くなる物だと知れ。 昔の学生は、