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サスケの死  細川 映三

勤務先で飼っていた犬、サスケが死んだ。13年生きた犬で、犬の世界で言えば大往生といえるのかも知れないが、やはり悲しい。

今朝出勤すると、いつもの場所で横になったまま、苦しそうに下顎呼吸をしていた。閉じることの出来ない口からは涎が垂れて、いつもにも増して毛艶も失せているようだった。

 頭を撫でてやると、精一杯の力を振り絞って立つのであるが、後ろ足は震えていた。顎の下を撫でてやると又体を横にして、僕の手に頭を擦りつけていた。涎は拭いてやっても後から後から湧いて出てきた。背中を撫でてやると、抜けた冬毛が僕の手にべっとりと付いた。

少し外出する用事があって、戻ってきたら息が絶えていた。

 昨日とおとといは僕は勤務が休みだった。昨日もサスケは様子が変だったというが、僕の出勤を待ってくれたのかと思うと、嬉しさと同時に悲しみが込み上げてくる。

犬は繋がれて飼われることが多いと思うが、それは自由が拘束されると言うことだろう。飼い主が連れ出さなければ外の世界もわからず、誰かがくれなければごちそうを食べることも出来ない。

 犬にとっては、飼い主は絶対の信頼をおけるパートナーなのだと思う。その信頼には僕は是非とも応えたいと思う。

犬は上手に感情を表現する動物であるが、サスケも又様々な方法で僕に意思を伝達してくれた。その一つ一つのしぐさが今反芻されるのである。そうはいっても、自分の気持ちを十分に表現し得る手段を持ち得ないことは何にしても気の毒である。

 タオルを敷いた箱の中にサスケを横にし、白いタオルを掛けてやった。まだ体は暖かく柔らかい。いくら目を閉じてやろうとしてもなかなか閉じない。「もっと僕は生きていたいんだ」と訴えられているようである。

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