なぜ私は心理技術を学びに行ったのだろう
この記事の音声はこちら
PNTトレーナー養成講座、東京でのスクーリングが終わりました。
あと1回オンラインで講座がありますが、心理技術についての学びは終了しました。
これからの私のカウンセリングがさらにバージョンアップする(もうしている)のは確実です。
そうなんです。
カウンセリングの精度を上げたくてこの講座を選びました。
仕事のスキルアップが目的ですから、十分に目的は果たしています。
ですが5回を終えた時に得られていたものは、そのような限定的なものではありませんでした。
私が今回の講座で得られたものは、最強のサポーターです。
その正体は・・・・。
自分
これに気が付いたのは、スクーリング最終日を終えて新千歳空港に降り立って、搭乗橋を空港入り口に向けて歩いている時でした。
まだ脳内ではっきりと言語化される前にどんどん涙が溢れ出してきて、手荷物を回収する前にトイレに駆け込んだほどです。
まるで「私」が、「ようやく気が付いてくれたんだね!」と嬉し涙を流しているかのようでした。
PNTではとにかく徹底的に「自分」を、「やりたいこと」を、「日常に思い浮かぶ思考・感情」を言語化せよと繰り返し言われます。
私は1冊のノートを準備して、初日からずっとこの間見たこと、感じたことを書き出していました。
そして(恥ずかしげも無く)アウトプットすることを意識してやっていました。
それでも最終日の最後の最後まで言語化できなかったのが、自分自身への感情だったのです。
と言いますか、そこはもうポジティブな意識でいるから、もう深く掘り下げるほどではないと考えていたように思います。
ところが飛行機から何も考えずに雲を眺めていた時に、ポカンとある思いが浮かび上がってきました。
「私はいつからか、自分は誰にも受け入れられないと思っていたんだ。」
できないことばかりに目がいって、人と比べて劣っているところばかりが見えて、なんでこんな体を選んで生まれてきたのかとか、ほんと、つくづく自分には価値がないと思っていたのです。
もう、あまりにも根強い思いすぎて、日常的にいちいち感じないほどになっていました。
例えて言うなら、日常的に自分の名前を意識していないような感じです。
もう、それが当たり前すぎて意識に上ってこないほどに。
それが今回の東京通いで、たくさんの人たちに受け入れられる経験をして(いや以前から受け入れられていたのに)、私は私のままで良いのだと腹落ちさせてもらえたことで、
自分は本当に失礼なやつだった。
と気がつきました。
まだまだ他人基準が顔を出す私は、
「こんなに私を好きだと言ってくれる人がいるのに、その私を私が嫌っているなんて、誰かが良いと言っている商品を馬鹿にしているのと同じではないか!」
という気づきから、ようやく私自身に失礼だったという思いにたどり着いたのです。
みんなの見る目を疑っているようなものではないかと。
最終日の同期とのワークで、私は「私が大好き」と言っていました。
その時は少しの違和感と、そう思っていいのかもしれない・・・と考えていました。
いいか悪いかで考えているあたり、まだまだその言葉に心が動いていなかったのです。
ところが搭乗橋を歩いているときに、感情から先に動くという経験をしました。
私は私が大好きで、この地球上で一番の味方は私自身であり、これは最強の味方であると確信に至りました。
「私が嫌い、私には価値がない。」
いつのまにか発症し、五十歳になるまで引きずった中二病を完治させた瞬間でした。
どう足掻いても棺桶まで付き合うこの私、好きになって協力し合えた方がいいに決まってる。
こんな事に気がつくのに、随分時間がかかってしまいました。
あの日から、自分が自分の中にしっかりいて、ちゃんと自分の中から世の中をみている事を実感しています。
今までは、ネガティブに自分を俯瞰していました。
やっと、「今」を生きる準備ができました!
私にとってPNTトレーナー養成講座は、自分と和解するために行ったのだと、そう思っています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?