第5話 (敬称略)
「あのゾウさんにのりたい!!」
歩いてると小さな子のこんな声が聞こえてきた。
はて、私はいつからゾウさんのことをゾウと偉そうに呼び捨てにし始めたのだろうか。
多分、恐らくだが私も幼い頃はゾウにも虫にも
生きとし生けるものには敬称的な何かをつけていた気がする。
それがどうした、今となれば
「うわっ…虫だ…」
と嫌悪感すら抱いている。
いつからだろう。あの頃の綺麗な心を失ったのは。
近年、一部ではあるが小学校等で
『あだ名禁止』や、『さん付け』がルールとして設けられている所が多いようだ。
これはイジメに繋がるあだ名を廃止した上で、さん付けで呼ぶことにより明らかに喧嘩やトラブルを減らすことが目的らしい。
実際に、広島県のとある公立小学校では「生徒指導規程」内に、〈人の名前は呼び捨てにしない。あだ名等で呼ばない〉と定めている。
たしかに、イジメを避けたい気持ちもわかる。
よくないことだ。あたりまえだ。
イジメの基準もかなり見直しが入っているのも事実だ。
しかしこの基準を我々のような、ある程度自我を確立した大人が決めるのも些か疑問ではある。
また話がそれた。
今回の私のコラムの論点はそこではない。
あだ名やさん付けに関してだ。
確かにあだ名からイジメに繋がるのは良くないし、呼ばれる本人が気分の良くない名前は止すべきだ。
しかし私個人の意見で言うなら、
愛のあるあだ名や、ある程度確立した関係性なら好きに呼んでもらってもいいだろ!
とは思う。
そうなのだ、度々でてくる愛なのだ。
相手との関係性、お互いを知っているからこそ呼べるものがあるだろうし、それを得てさらに深い仲に発展していく場合も。
正直、ラフに呼び合うことはメリットも多く感じる。
だが難しい話だ、これを小学生に理解してもらうのは。
「廊下は走らない!!!!」
そう怒られたことはあなたはあるだろうか。
これは、廊下を走った結果、転んでしまったり、人とぶつかる事で怪我をしたりと
走ったことにより、何か良くないこと(ザックリとだが)を巻き起こすから「ダメ」なのである。
ただ、上記の通りここまで小学生に理解してもらうのは難しいはなしで。
『廊下は走ってはいけないもの』
と言う認識で止まってしまう。
今回の「さん付け」問題も、喧嘩になった子供同士を先生が止めに入ると、
片方が「さん付け」で呼ばなかったことが原因らしい。
本末転倒だ。
結局のところ、前回のコラムにある
「物事の本質を見極める」
と言う話は小学生から始まっていたのだと気づいた次第だ。
改めて教育者の立場に立つ方々の課題は難解だ。
頭が上がらない。
私も初心に帰って、綺麗な心でも取り戻して少しは社会貢献をしようか。
窓をあけて空気でも入れ替えよう。
「うわっ…セミが泣いとるし、死んどる…最悪や…」