コーヒーというより、「淹れる」という行為が好きだから、その機会が増える、誰かにコーヒーを淹れる時間は幸せ。|日々思考雑記
こないだ徒小僧で行った手沢展で、とっても久しぶりにコーヒーを他人のために淹れた。
自分で言うのもなんだが、僕はコーヒーを淹れるのが多分得意だ。(僕の得意の定義は、息をするようにできて一定の評価をもらうこと。そのうちこの話についても書きたい。)おいしそうに淹れる雰囲気を出すのが上手いんだろうと自分自身で考察してる。
研究室にいたころは、何かと同期や後輩にコーヒーを配って歩いていて、コーヒーが飲めなかったのに好きになったと言う人が現れるほど。(多分、ちゃんとしたコーヒーを飲んだことがないだけだと思うけど)
そういえば僕は、人とコミュニケーションをとることが酷く苦手だった。
今は自分から生まれるもの、例えば企画書、デザイン、写真、そしてコーヒーで自分が表現できるからコミュニケーションに苦手意識はない。
きっかけなく話せる人を尊敬するが、そうなりたいとも思わない。出来ないことがあるから、それを埋めるために得たものがあると信じている。
ちょっと脱線したけど、そんな口下手な僕にとっては、コーヒーを淹れるという行為が、誰かとのコミュニケーションそのもの。
「こんにちは」と挨拶するのと一緒。僕にとってはそういうものだ。
コミュニケーションそのものだから、淹れると言う行為が楽しい。
今後も続けたいと思えることのひとつだ。
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