生い立ち② 小学生のころの事故と保険観
父が再婚だったので私には10個離れた腹違いの兄がいました。
義理の兄がいる話は正直ごくわずかな人にしか言ってきませんでした。
なんで言ってなかったのか。今は明確ではありませんが良い機会なのでしっかり書こうと思います。
小学校低学年の時少しだけ一緒に住んでた記憶があります。10個年上の兄は背も180以上あってかっこよかった記憶があります。でもすごい舌足らずです笑 スポーツカーとK1をこよなく愛していていつも見ていた記憶があります。
私が小学校三年生のころ先輩と東京に働きにいくと急に言い出しました。 その時父が大反対していたのを今でも覚えています。年頃の男はそんなのお構いなしですぐに東京に旅立ちました。そんなこともあったからか父は私が新しいことに挑戦しようとすると決まって大反対する。そんな父です。
数か月働いて夏に一時帰ってくるという話を聞き幼いながらに久しぶりに会えると喜んでいました。
ですが元気な姿で帰ってくることはありませんでした。帰省途中の高速道路で友人の車を運転し、単独事故を起こし車は大破。
そのまま現地の病院に運ばれ緊急搬送、入院、手術。
たった一瞬の出来事で脊髄損傷で全身に麻痺が残る体になりました。
お見舞いにいきましたがかっこよかった兄の姿はなく、変わり果てた姿でした。
まだ20歳でもう一生全身に麻痺が残るのは考えただけで辛すぎますよね。
幼いながらにこの思い出がすごくインパクトがあります。
今では少し回復して座れるくらにはなりましたが、施設で暮らしています。
当然仕事はできないため収入は国からもらえるわずかな障害年金のみ。
施設が離れているため、年に1度は顔を出しています。
そんな兄ももう45歳。未だにK1や格闘技を見るのが好きな兄。
今はコロナで行けないけどまた遊びに行きますね。
この出来事と保険の仕事をしているのとは直接的な関係はないですが、
若い方にも私は保険は絶対に必要だと思っています。
もし数千円の収入保障保険に加入していたら兄も全く違った選択肢があったはずです。
こういった出来事が今の自分の保険観に繋がっているのかなと改めて思いました。
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