「なぜ昔のゲームに価値が付くのか?」を解説。
おはようございます。SUKEPAPAです。
最近、レトロゲーム(どこからをレトロゲームと定義するのかはまた別の回に)が高騰していて、それに対してコメントを的なお仕事を自分の記名、無記名原稿(メディア)問わずいただきます。ありがとうございます。
自分は今から約30年前、年代でいうと1990年代からゲームが今後高騰化するのは予想していた部分もありまして、最新のゲームの攻略本、雑誌などの制作をしつつ、ファミコンはもちろん、ゲーム&ウオッチなどのLCD、LSIゲームを収集していました。
また、この収集についてですが、もちろん当時は「いつか必ず高値になるぞへへへ」的な部分もあり、普通に好きだったので足を使って探し回っていたのと50%50%の感じです。
まだ、転売ヤーなんて言葉はなかったですし、なんとなくの感じ。
例えば、具体的に商品名などを書きますと、ファミコンやPCエンジン等はこの時期はもう時代遅れ(あくまでも当時の感覚)のゲームだったので、新品も売れずに半額以下で新品が買えるのは普通でしたし、海外のみ発売されたゲーム&ウオッチの、ゼルダやトロピカルフィッシュ等も500円で新品が投げ売りされていました。
その時に、それらをすごい量購入して、ずっと押し入れの中に保管して約15年経った時にヤフオクなどを見てみると……?
おおおおお?! 500円とかで買ったものが8万、9万?
となっていたのです。
これを「先見の明」と呼ぶか、「転売ヤー」と思うかは感じる方の自由ですが、自分はそれらのモノに対しての愛も知識もありますし、実際に全てカンストはするくらいは遊んでいます。
そして半分くらいをオークション(だったと思います)で売却し、200万くらい儲けが出たのを記憶しています。これ、今だったらもっと高くなっていたでしょうね……。
では、こういったレトロゲームはどうして高騰が続いているのか? という大事なお題に入っていきます。
過去出演したラジオとかでも何度か話していますが、物の値段、価値というものの根底、土台、絶対的な要因は「需要と供給」です。これは何もゲームなどの娯楽品だけではなく、食料だって、トイレットペーパーだって、絵画でも、「それを欲しい人」という「分母」に対して、その欲しい人を満たすことのできる「分子」が少なければ少ないほどそのモノは高価、手に入りづらくなります。
例えば、ペットボトルに都会の水を入れただけのものは、その都会では売れません。売れても10円レベルでしょう。しかし、水が手に入らない砂漠地帯では数万円以上の値で買う人が出てくる可能性もあります。
つまり2024年現在に「レトロゲーム」をその定義で重ねてみると見えてくる。
まず高騰の要因として、当然ながら「もう新しく販売されることはない」というのが2番目にくるかと思います。ミニファミコン、ミニPCエンジン系のエミュ復刻機が数年前に盛んに発売されましたが、やはり当時の実際の「物(ぶつ)」と言うのはエミュ(プログラムのみ)では味わえない味がありますよね。
箱の存在、説明書の存在、そしてファミコンなら、カセットという物理的なフォルムと形状のガジェットとしての存在も含めての総合芸術であって、「ゲームができればいい」だけでは語れない魅力。ではなぜそこに魅力を感じるのか? ですが、これは「郷愁」「懐古」つまりは、あの頃の思い出をもう一度大人になって味わいたい。仕事や人間関係、恋愛とかそんな面倒なことなんてなかった……(子供なりにあったけどね)あの時代を「モノ」を通じて味わいたい! というのがある。
そして、奥様やお子様がいる方(自分はそうです)は、妻や子供にパパが小さい頃どういうもので遊んでいたのかを教えたい、伝えたい、分かってほしい(押し付けの部分もあるけど)もきっとある。
ここまでが「心」「気持ち」の部分。
ここからがちょっといやらしい、「人間の欲」のお話。
高級時計でも車でも、不動産でも、掛け軸でも絵画でも、
「寝かせておくと価値が上がる」というものが存在します。
しかし、全てのものにそれが該当するのではなく、そこにはブームや運、偶然のようなものも含まれます。例えば、僕は昭和の玩具を大量に保管、保存していますが、その中のほとんどはおそらくは一生価値が上がることはなく、そのままいずれ息子の遊び道具となっていくものばかり。
では、何が値が上がって、何が上がらないのか?
これはちょっとした方程式があるのですが、ここでは割愛します。しかし、断片的に書きますと、まずは「その存在」が世間に知られないと絶対に上がることはありません。知られないというのは、みんなの「記憶に存在するかないか」も含みます。
例えば、お宝番組(これは日本では少ないですが、海外ですと、アメリカンピッカーズ、ポーンスターズ他結構あります)で取り上げられると、それをみた人の中の一部が「なるほど!あれ、これは高く売れるのか!価値があるのか!」とまずは自分の周辺を探して、次第に知り合い、そしてお店を回ったりする行動に走る感じ。
つまり、情報があればあるほど、需要と供給の分子が増えていく。
話をレトロゲームに戻します。
レトロゲームの定義は当然ながら時代に比例して変わっていくので、今やゲームボーイアドバンス、プレステ2もレトロゲームと呼ぶ層が出てきています(歳をとったな……)ここでは、一応、初代プレステが境界線だとしますと、1994年、つまりは30年前にキッズ、もしくは学生くらいだった大人。そして、当然ながらファミコンやPCエンジン、メガドライブ、電子ゲームなど、45年〜前に子供だった方々は当時子供だからなかなか買えなかった恨み(?)を大人になった今!晴らそうと買って心を埋めていく。
その層が非常に多くなっているため(とはいえ実は狭い世界)取り合い状態になって、その結果高騰しているんです。
さらに! ここへ加えて、実は日本よりもフランス、アメリカ、最近は中国でもレトロゲームを文化としている傾向があり、そこに円高も重なって日本に買い付けに来て、かなりの金額を出して買い漁っていく(言い方は悪いけど)、そして日本から物理的に物がなくなっているのも一つ。
この「海外への流出」に対して、日本のゲームファンの一部が外国人が買い漁っていくんだよ! 貴重な日本の文化を! と怒るというか嘆くのですが、正直これはもう35年くらい前に分かっていたことで、逆にいえば、「だったらまだ高騰していない時から自分たちが保護しておけばよかったじゃん」としか言えないと自分は思っています。だって、その間、最新のゲームに常に夢中になって、過去を保存しようとしていなかったのは自分たちなのだし。
海外の方も、もちろん投資目的もあるかもですが、ほとんどの方は日本の人と同じく純粋に欲しいから、集めたいから買っているわけで、全く問題ない。
と、他にも小さい要素があるのですが、それは個人の感覚の要素も多いので、もし今後ご希望がありましたら書かせていただきます。
そして!よく聞かれるのが、
「今後も今以上の高騰はあるのでしょうか?」
についてですが、
作品にもよりますが、全体的にはもう頭打ち、上限に達していると僕は思っています。この根拠ですが、単純に購入者の方々の貯蓄や収入と相場がもう飽和状態だから。仮にお店が高くしても売れずに、じわじわ下げていく感じになる。
ということでございまして、簡単ではありますが「なぜレトロゲームが高騰しているのか? するのか」について書かせていただきました。
「おい!SUKEPAPA!それは違うぜっ!」などありましたらお気軽にコメントを残してくださいませ。お返事させていただきます! 論議は大事。
お読みいただきましてありがとうございます。
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SUKEPAPA