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岩本 英佑(Eisuke Iwamoto) | 自己紹介①幼少期〜学生時代まで

はじめまして、岩本英佑です!
noteをご覧いただきありがとうございます。初投稿です!

このnoteでは自己紹介も兼ねて、自分がどんな人間なのか、何を大切にして生きてきたのか過去の経験も交えながらお伝えができればと思っています。
前編と後編にかけて、今回の前編では学生時代までをざっくり書いていきたいと思います。


後編はこちら↓

プロフィール

1993年:山口県柳井市出身
2015年:福岡大学 卒業
2015年:株式会社マイナビ入社
2020年:株式会社HRBrain入社
2022年:フリーランスとして独立
2023年:株式会社Another works入社
2024年:株式会社セブンデックス入社

1993年生まれ山口県出身。大学卒業後に人材紹介の法人営業としてキャリアをスタート。現在は会社員として働きながら、複業でたまにフォトグラファーとして活動しています。カメラを片手に自然を旅することが好きです。

経歴

幼少期

乗り物が好きな幼少期

母の故郷の山口県で生まれ、海に囲まれた港町で育ちます。1歳になる前に福岡県に父の仕事の関係で引っ越し、その後6年は福岡で過ごすことになります。当時通園した幼稚園がとても記憶に残っており、色々なものに興味をもつきっかけとなりました。園長先生とは大人になって16年分ぶりに偶然再会を果たし、飲みに連れて行ってもらえたのはいい思い出です。
恥ずかしがり屋だが好奇心旺盛、雑学やクイズが好きな少年でした。

小学校〜中学卒業まで

父が転勤族だったため、小学校から高校入学までに10回転校を経験します。せっかく作った繋がりも1年経てば、リセットされる。幼いころから頻繁に環境が変わることが当たり前の生活。中学では入学式の1週間後に別の中学へ転校(ブレザーの学校に学ランでいくのは恥ずかしかった。。)することになり、親とも大喧嘩したのを覚えています。転校生はいじめられるか人気者になれるかのどちらか。そのため、面白いと思ってもらえるために常に多趣味でいました。今の性格に繋がりますが、自分にとって何か新しいことを知ることは周囲との繋がりを作り、保つためだったのかもしれません。特にスポーツはどの環境でも人の繋がりを生み出してくれました。

小学校は硬式、中~高は軟式テニス部

中学校では部長を任されます。張り切りすぎてチームがついてこず、部員からのボイコットを経験。(初めてのどん底)唯一信頼しているダブルスペアからも「お前は人の話をもっと聞いた方がいい。俺もお前に言えていないことが山程ある」と言われたことを今でも覚えています。こんな身近なやつでさえ言いたいことを言えていないのか。全員の前でもう一度チャンスが欲しいと頭を下げました。リーダーに必要なものはは実力ではなく、人間力と対話力。一人ひとりの価値観と向き合きあい対話をすることで強いチームを作る。この経験は今につながる大切な経験となりました。

高校時代

高校入学のタイミングで父が単身赴任をすることになり、母の故郷山口に生まれてから15年ぶりに戻ってきます。中学校が広島だったため、県外受験という形で高校入試を受けました。もう転校しなくていいだという安心感もあってか高校時代は兎に角好きなことにがむしゃらでした。
テニスも続けますが、バンド、漫画を読んだり描いたり、麻雀、料理と田舎ながら色々な趣味を見つけては次の趣味にハマるという3年間を過ごしました。

ギターがしたかったけど、誰もしたがらないベースをすることに

好きなことを自由にさせてくれた、親に感謝です。
当時のセンター試験前に発売されたモンハン2ndGのせいで、受験勉強はまったくはかどりませんでした。(部室に集まって一狩りいく毎日)
とりあえず大学には行きなさいということで、近場で都会の福岡に行くことを先に決め、福岡大学へ入学します。

大学時代

福岡大学は全学部のキャンパスが1箇所にあり、2万人が集まるマンモス校。
授業の教室移動はバスで移動しないと間に合わないぐらい広い敷地。
九州全土から人が集結する大学です。
学生が多いのでそのうち友達でもできるだろうと思ってたのですが、入学して最初の夏休みぐらいまでは全く友達ができず、ややホームシック気味になりかけました。そのうちバイトやサークルがきっかけで徐々に友達ができ、この頃は授業にはほぼ行かず、昼過ぎに起きて、バイトに行き朝まで麻雀か飲み会といういわゆるTHE大学生でした。

1年生が終わる頃、実家に帰ることがあり大学の学費がどのくらいかかっているのか知る機会がありました。
その額は自分が想像していたよりもはるかに高く、そんな額を払ってもらってまで、何を得ているんだろう。何ならそのお金で親は好きなことや好きなもんを食べることもできた。ついでに自分は好きなやりたいことも自由にさせてもらってきた。自分は何をしているんだろうと、その時にふと思いました。親から受け取った時間やお金。なんとか取り返したいなと漠然と考え始めました。

ただ、何かを変えたいと思っても何から変えたらいいか、どうすればいいかわからない。そんな時に偶然出会ったのが恩師である福岡大学教授の阿比留先生でした。なんとなく友達に呼ばれて参加したゼミの説明会。先生は学生にこう言います。「人生の経営者になれ」。

「君たちは人生という非常に長く、先の見えない道を歩いている。その道を走る車の後部座席になんとなく乗車している人がほとんどだろう。友達が乗るから、親が乗れといったから、周りの人が乗っているから、いろんな理由はあるが、世の中なんとく乗っている人がほとんどだ。一度自分に問いかけて見てほしい。その車のハンドルは誰が握っている? どこに向かうかもわからない行き先不明の車に皆さんはいつまで乗り続ける?」
「皆さんには自分でハンドルを握る人生を歩んで欲しい。 」

By 阿比留教授

これだと思い、阿比留ゼミに入ることを決意。
その後大学を卒業するまで寝食忘れ、ゼミの活動に没頭することになります。この時の経験がマインドセットや仕事観のベースとなりました。

誰にでも対等な阿比留先生、本当にお世話になった。

※阿比留先生はつい先日の令和5年8月7日に旅立ちました。
先生の多くの言葉は私の人生を変えてくれました。
学生時代はよく先生とケンカをしてばかりでしたが、社会人になってからも気にかけてくださり、学生時代から変わらない様子で電話をいただいたりと本当に感謝ばかりです。

ゼミ代表としての活動

ゼミは通常のゼミとはやはり異なっていて、特殊なゼミでした。
3つの取り組みによって活動は構成されていて、全て学生が主体となって運営します。先生は全体コーディネートまでは行いますが、基本はなにもしません(笑)学生が外部との調整から当時のオペレーションまでを担当します。

①経営者を中心としたオムニバス形式の講義(ベンチャー起業論)
②プロジェクト活動(問題解決型の長期インターンシップ)
③ビジネスプランコンテストの開催・運営

経営者への登壇打診や日程調整は秘書チームが行い、インターン先の開拓や選定も学生です。インターン先での成果をいわゆるビジコンという形で社会人や経営者に評価をしてもらうのですが、その集客や運営までも学生が行います。(ここまでくるとほとんど会社ですよね)

講義にはTEDで有名な植松電機の植松社長や、レオス・キャピタルワークスCEO藤野英人さんなど、名だたる経営者の方が大学まできていただき登壇をいただきました。

500人以上がゼミの活動に関わる大きな組織で代表を経験し、数えきれないほどの貴重な経験やご縁をいただきました。
学生という肩書、特権を存分に利用し、様々なプロジェクト活動にもご一緒しました。
(例)島根県海士町と長崎県壱岐市との離島地域活性化、大学病院の待ち時間改善、他店舗展開する飲食店の赤字再生 など

活動で得た経験は言わずもがなですが、この活動で得た一生の仲間との繋がり、オーナーシップは30代となった今も大きな資産となっています。

出会った仲間、それぞれが違う場所で挑戦をしている

<ベンチャー起業論/break thoughについてについて>

ここまでご覧いただき、本当にありがとうございます!
ぜひ後編も読んでいただけると嬉しいです。


■ 後編はこちらから


noteでは複業を通して得た経験やノウハウ、キャリアに対しての考え方などを定期的に発信していけたらなと思っています。

ご縁があった皆様と、お仕事などでご一緒できることを楽しみにしています。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

岩本 英佑


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