古着屋の生い立ち(番外編)
1991年5月30日僕は誕生日した。
母親曰く大きかったらしい。
誕生の時から僕は母親を傷つけた、帝王切開だった。
" ごめん、なんか出だし重くなったw "
僕は小さい頃から喘息やアレルギーで体は弱かった。
" んーなんか、重くなるなーw "
小学校に入学して
一人っ子だった為、習い事をたくさんさせられた。
①お絵描き教室
②スイミングスクール
③硬式テニス
④バスケットボール
⑤ピアノ
シンプルに英才教育で育った。
今でもテニスが終わってから
母親の車でじゃがりこ食べて帰ってる思い出が蘇る。
※母親死んでない。
で、こんなスケジュールで育ったので、
喘息になってる暇も、
アレルギーにかかってる暇も無いので、
喘息もアレルギーも治った。
母親「病気は体力つければ治る。」
らしい、、、、。
僕はテニスのコーチに
小学5年生で、中学のチームの練習に誘われるほど
自分で言うのはなんだが、上手でした。
が、しかし、
根性のない僕は2日でやめた。
理由は、天狗になってた僕は
上手な先輩だらけで居心地悪かった。
そんなこんなで
小学校の5年生くらいで、徐々におかしくなって
ランドセルも背負いたく無いので壊して
赤のジャージ上下で学校へ行くようになった。
でも、コレには理由がある、、、。
母親と夜中の再放送で
《池袋ウエストゲートパーク》
と、言うドラマを2人で見ていた、
小学校5年生の僕には刺激が強かった。
ただ、一つだけ分かったのは、
キングがカッコいいって事。
僕はすぐに真似をした。
母親も言葉では厳しいかったり
まともな事を言う厳しい人だったが、
趣味は隠しきれかったらしい。
エミネムの映画、エイトマイル
RIZEのジェシーなどを
カッコいい物を僕に見せてくれた。
その経験が今に影響を与えている気がする。
そんな捻くれた僕は、中学校へ入学した。
英才教育だった僕は、反動か分からないが
勉強もしなくなって
学校ではひたすら寝ていた。
朝学校に着いて寝て、
起きたら給食になっていたり。
起きたら、自分以外の生徒が理科室に居るなど
とりあえず眠たかった。
まじで。
部活はしっかり行っていた、
バスケットボール部で何故か副キャプテンだった。
キャプテンになれなかった理由は
学校の態度とだらしなさだと思う。
あ、あと腰パンでユニホーム着て
相手チームの先生に怒られたり、
試合中よく相手チームの人と揉めていた。
でも、僕の中学校はまぁまぁ強かった。
あ、そういえば、
体育の授業で軟式テニスの科目があり、
僕の中学校は全国に行くほど強い学校でした。
学校にまともに行ってなかった僕は、
ふざけてやっ出たのにも関わらず、
テニス部のキャプテンに勝ってしまい、
そのキャプテンが半泣きでラケットを投げ捨てた事を
今でも忘れませんw
あ、話がそれたw
部活も終わり教室にもあまり行かなくなった
僕は、給食室みたいな所で
給食の準備したり、下級生の花壇に水をやったり
保健室に居たり、中学校の中で自由に何かしてました。
それも飽きてきて、学校にも行かなくなり。
朝先生が迎えに来て、不登校の生徒を迎えに行ったり、
髪を縛らない女子のヘアゴムを買いに行ったり、
僕の髪の毛を染める黒染めなど、
先生と買い物とか色々してました。
そんな感じで高校進学の話が出始め、、、
母親「えいすけは学校続かない。」
僕「高校は行く。」
母親「諦めて美容師になりなさい。」
何故か親に反発したい僕は、
高校に進学する事に決めました。
学校に行き担任の先生に話すと、、、
先生「えいすけくんに推薦はあげれない」
と、泣きながら言われました。
ん?でもね、先生!....今だから話すけど...
推薦の意味も分かってなかったし、
私立と公立の意味も分かってなかったよ!w
で、僕は進学するのである。
高校生活はまた続きを書きます。
ご視聴ありがとうございました。
次は高校進学編で会いましょう。
続く、、、、
今日の一言。
タバコ何吸ってる?って質問から
膨らむ会話には生産性が1ミリも無いと思ってる。