第41回 なんとなくじゃ、伝わらない
【前書き】
今回、投稿するエッセイは7年前の2014年8月28日に水戸市の「文化問屋みかど商会」のファクシミリ配信誌に掲載されたものです。時節にそぐわない内容はご容赦ください。日本語と英語の表現の仕方にこんなに大きな違いがあるんだなぁっと沁み沁み思った出来事を扱ってみました。(著者)
【本文】
「ねえねえ、徳さん。ちょっとこれ見てもらえる?」
困り顔をしたDido が徳田の席まで来て、持っているプリントアウトを徳田に渡した。
「なに?」
まあ、こういう時はトラブルの始まり。
Native English Speakerからのお金の相談か、お客様からのクレームのメールか、はたまたラブレターか。鬼が出るか蛇が出るかと、ドキドキしながら徳田はプリントアウトを受け取った。
見るとA4用紙一杯に英文が書き連ねてある。一見普通の英文だ。
「これが?」
訝しげに眉を顰めながら徳田はDidoを見上げた。
「いいから読んでみてよ」
「はぁ」
まったくこの忙しいのに、どうしてこうトラブルばかりおれのところに持ち込んでくるんだ、Didoの野郎。だいぶDidoにはgive がたまってるように気がする。いつか取り立ててやる。
そんなことを思いつつ徳田は英文を読み始めた。
「繰り返される悲劇」
というタイトルで英文は始まっている。
内容は、オーソドックスな飲酒運転の危険を叫ぶもので、夏になり、飲酒運転での事故や危険運転による死亡事故が多発していることから書かれたものらしかった。
なんだか、これは……。
と思って最後まで読むと、文末にfrom ○○と有名新聞のコラムの名前が書いてある。続いてTranslated by Takahashi の文字。
「ああ、これ新聞のコラムの翻訳ね。高橋って誰?」
「それはおれの生徒さんなんだけどさ。レッスンの話のネタになるように何か書いてくるように言ったんだけど、持ってこられたのがこれでさ」
「いいじゃない。よくできてるようにみえるよ。ちょっと時制と冠詞は怪しいけど」
「確かに、そこも問題なんだけど。最も大きな問題は……」
「問題は?」
徳田はうすうす気が付いていたが、意地悪してDidoに先を言わせた。
「おれがまったくこの文を理解できないってことだぁ!」
ディドは観念して、徳田に告白する。
「やっぱり」
徳田はそりゃそうだろうなぁと思いながら、英文に目を落とした。
そんなことないでしょ。
と、思われるかもしれませんが、大学受験にもよく出題される新聞のコラムは英訳してもNative English Speakerに理解してもらえません。理解してもらえないどころか、不快感すら与えるようでなかには「文を読むという労力を支払っているのに、なんら対価がない。時間を返せ!」なんていうNative English Speakerもいたりします。まぁ、そこまで言うNative English Speakerはほっといていいとして(笑)、日本で論理的とされ、オピニオンの一つとされるコラムがNative English Speakerに理解してもらえないのは残念なことです。
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