夫婦生活の底に潜むものとは? Dickinson"THE WIFE."を読む
はじめに
2023年3月26日開催分です。原文は下記。↓
She rose to His Requirement by Emily Dickinson (poetry.com)
(この詩に関しては、前回参照したサイトよりこちらのサイトの方がJohnson版に忠実だったため、こちらをご紹介します)
1863年、ディキンソンが30代の頃に書かれた作品です。1890年版詩集では、編集者が"THE WIFE."というタイトルを付しています。
翻訳案
第1スタンザ
彼女は[1]彼の要求を容れた[2]、
女性としての、また妻としての
名誉ある仕事を行うべき
彼女の人生を、慰みものに堕す[3]、という要求を——
―――――
[1] この詩の主人公である婦人を指す。ディキンソンは生涯独身であり、また詩の中で自分を指す場合、一人称を用いることが多いため、このSheはディキンソン自身ではないと考えられる。
[2] rise to 〜で「〜に対処する、〜を受け入れる」の意味。
[3] 直訳すると「女性としての(中略)を行うべき彼女の人生の(of)、遊び道具を落とす」となるが、以降の詩の内容からこのように解釈した。
第2スタンザ
彼女の新しい人生、
振幅のある、あるいは畏れのある[4]かもしれぬ——
あるいは第一に見込みのある、——あるいは黄金であるかもしれぬ、
そうした新しい人生の中に、彼女が恋しく思い、
また使い古されてすり減った何物か[5]があるのならば[6]、
―――――
[4] awe; a feeling of reverential respect mixed with fear or wonderということで、aweは純粋な尊敬ではなく、恐怖や(未知に対する)驚きが内包された感情を指す。
[5] ここでのoughtはaughtのvariant spelling(異表記)であると考えられる。1890年版詩集の編集者はaughtに変更している。aught; (archaic) anything at allということで、anythingの古めかしい表現。なぜこの表現を選んだかについては、①詩内容と距離を取った冷静な叙述をしたい ②リズムの点でanythingの2音節ではなくaughtの1音節を用いたかった の2つが考えられる。
[6] 第2スタンザ全体が、If (there is ) aught...,という、aughtをいろいろに形容する条件節になっていると考えた。
第3スタンザ
それについては言うまい——海底に[7]真珠や海藻が育つごとく、
ただ、彼自身に[8]だけ、それは知られている[9]のだ。
彼らが[10]耐えている水の深さ[11]は—
―――――
[7] the seaとあるが、詩の内容から「海底に」と訳した。
[8] 夫を指すと考えられる。
[9] 第3スタンザ3行目のbe動詞は、Johnson版では"be known"となっているが、1890年版詩集では"is known"に変更されている。主語が第3スタンザ1行目のIt(第2スタンザのaughtを指示している)であると編集者が理解し、強調する意図があったと思われる。
[10] 第3スタンザ最終行のtheyは「詩中の妻と夫」を指していると考えた。第2スタンザaughtを指すかとも考えたが、指示代名詞の数が一致しない。
[11] fathom; a unit of length equal to six feet(1.8 metres), chiefly used in reference to the depth of waterということで、水深を表す単位なのでこのように訳した。
内容の解釈
第2スタンザで何重にも繰り返されるorによって、夫婦生活(Her new Day)の可能性と複雑さが描出されています。その中で徐々に薄れ、忘れていってしまう人生の煌めきのごときものは、それでも「海底に真珠や海藻が育つごとく」夫婦生活の底に残りつづけて、夫もその存在を知っている——という、鈍く光る愛の詩でした。The Playthingsという、ギョッとするような表現からスタートするのですが、水底の比喩が巧みに用いられて、人生の深みを感じさせる展開になっています。
フェミニズム運動がはじまるのが19世紀末であり、それも女性参政権など公的権利をめぐっての闘いであったことを考えると、当時の結婚観は現在とはかなり異なったものであったと考えられます。その中で、結婚を通俗的・社会的なコンテクスト(先入見)でとらえず、第1スタンザのような表現でとらえたディキンソンの先進性(新規性?)は驚くべきものです。(と同時に、同時代人に変人扱いされるのもわかります)
詩の中で繰り返されるダッシュが、口に出すのを躊躇い、それでも前に進んでいる感じを演出していて、趣がありますね。リズムもよく、瞑想的な印象なので、ぜひ原文を口に出して味わってみてください。
エミリー・ディキンソン自身は生涯独身だったのですが、兄やロード判事夫妻など、親しく交わっている夫婦は何組か存在します。彼らの人生の歩みを見て書かれた詩です。
歩格は4歩格・3歩格の堅実な連続になっており、心理的動揺を描出するというよりは、愛という現象に対し、少し距離を置いて眺めている感じですね。脚韻については、第1スタンザがabcbでbが完全韻。第2スタンザがabb'cとなっており(AweとGoldがやや韻を踏んでいる)、Her new Dayにかかる形容の連続がテンポよく強調されています。第3スタンザはabcb'(Weedとabideがやや韻を踏んでいる)となり、第1スタンザから続いた言葉たちが、まとまって着地している印象を受けます。
編集者のつけたTHE WIFE.というタイトルは、少し生々しすぎる気もしますが、第1スタンザの印象や、詩全体のわかりやすさという点で、むしろその生々しさに味がある、と捉えることもできるかもしれません。
最後に
今回の記事はいかがだったでしょうか? 普通に英語教育を受け、日本で働く中ではあまり触れないものの、英詩って面白そう、と思っていただければ幸いです。
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