第5話 アウレリアとデイト
翌日も同様に午前中にアウレリアのところに日参し、ごく自然にたわいなく会話を交わした後、午後の再訪問までの間、ジョーに会いに行くことにした。
「オレはアベニーダ セントラル(中央通り)沿いのホテル・イスパーニャにいるから、エイシーいつでもヒマな時に寄ってくれ」
と彼が言っていた。
ホテルは木造二階建てのわりと小さな安宿であった。
笑顔で僕を迎えた彼は、
「オーよく来てくれたニューフレンド、ここがオレの寝ぐらの安宿だ」
「それでも月額にすれば相当するだろう」
「ウイクリーレイト(週払い)で安くなって、アパートを借りるよりはマシだ。寝るだけだから家財道具も要らないし、光熱費もなし、食事はどうせ外でするし」
「なるほど、そういう手もあるか。ややこしい賃貸契約も要らないし、僕が泊まっているような普通のホテルよりはずっと安くなる」
と僕は感心した。
「エイシー、それより昨日は久しぶりにアルコール浴びてしまい今朝は頭がガンガンするよ。酔い醒ましのコーヒーと、行こう」
セントラル通りを連れ立ってのんびり歩いていると、善良そうな初老のアメリカ人と若い東洋人のカップルなので安心してすれ違いに微笑みを浮かべる人もいた。
それが若い女性の場合、
「セニョリータ、ご機嫌いかが、お茶でも飲みに行きませんか?」
とジョーが気楽に誘う。
ほとんど多忙を理由に断られるが、相手が二人連れの場合はたまに承諾して付
き合ってくれた。
そういう時はカフェテリアで僕がすることはもっぱらスペイン語の勉強で、彼女らか
ら習うことだった。
ジョーのスペイン語はカタコトで僕の方がまだマシだった。
こうして互いに暇を持て余しているジョーと僕は快晴極楽の南国の楽園を朝夕に彷徨するのが日課となった。
アッと言う間に十日ほどが経ってしまった。
帰国の予定日がしだいに迫って来るのが気になった。
一日二度、日によっては三度と、ただただアウレリアに会うためだけに滞在していた。
当初予定のパナマまで足を伸ばす計画はもう止めにした。
何としてでもアウレリアとの関係を前に進めなくてはならないと気が焦った。
休暇はあと4、5日を残すだけとなっていた。
もはや勇気を出して彼女にデイトを申し込まなければならなかった。
それが実現しなければ僕は彼女から永遠に忘れ去られてしまうのだ。
つぎは無いのだ。地球の裏側まで再度訪れるときには、もうアウレリアは誰か他の男の彼女となっているかも知れない - - -
焦り気味で、はやる想いが胸を息苦しく圧迫した。
つぎの日に真剣な眼差しで彼女の前に立った。
「どうしたの、そんな真面目な顔をして、具合でもわるいの?」
「もうじき帰国しなけりゃならない。そのまえにあなたにデイトをお願いしたいと思って、仕事の後にデイナーでもどう?」
「帰宅が遅くなるから、父の許可を取らなければならないわ」
「じゃーお父さんにお願いしてくれる」
「いいわ、エイシー」
「ワーオ! やった! ありがとう」
なんと素晴らしい、彼女は同意してくれた。第一ステップはクリアした、一週間待った甲斐があった。一瞬、世界が明るくなった - - -
天にも昇る心地で胸がキューッと引き締まった。
翌日、意気揚々と、
「お父さんの許可もらえた?」
と訊くと、
「まだなの」
と同情の微笑みを浮かべるだけだ。
次の日も短い挨拶のあと,
「お父さんのお許しは?」
「未だなの、なかなか言い出せないのよ」
「じゃーあなたのお家に伺って僕からお父さんにお願いしてみるよ」
「ダメよ、そんなことしたら、私がパパからブン殴られるわ。パパはとても厳格な人なの」
次の日、三日目はさすがに焦りが出て、
「急かせてゴメンね、本当にもうじき帰国しなけりゃならないもんで、時間がないんだ。許可は出た?」
「いいのよ、わかってるわ。パパが許してくれたの。今日の仕事の後5時に外で待っててくれる」
「ファンタステイコ! ムーチャス グラシアス!」
ついにやったと、感激でもう足が地についていない感じだ。
後でわかったことだが、此処ではこういうのは急いではいけないことで、この場合多分に外国人特例であった。
そわそわとまるで初恋のときに戻ったみたいな胸の高まりを抑えながらマクドナルドの玄関脇で待っていた。
夕刻の涼しい風がドアの側で待つ僕の緊張をほぐしていた。
新たな恋の芽生えを祝福するかのように近くのカトリック教会から時鐘が響いてきた。
ドアを開け長髪をそよがせて出てきたアウレリアの容姿を見て、ハッと目を見張った。
勤務中は髪を頭の後ろで束ねたポニーテールで制服のライトブルーのシャツを着て働いていたが、今の彼女は髪を解かし私服の白いシャツを着て濃紺のパンタロンをはいている。
肩の上まで伸びた長い髪に被われた彼女の顔はあどけなく、どう見ても16、7歳にしか見えない。
身につけている服装は、街で時々見かける高校生の制服のように見えた。
仕事から離れた彼女の身の回りには清楚で初々しい雰囲気が漂っていた。
一緒に肩を並べて歩き出したが、複雑な心境だ。
マクドナルドでは彼女の立つカウンターより低いフロアから、少し見上げるようにいつも彼女と話していたが、こうして横に並んでみるとほぼ同じ背の高さであった。
「どこに行こうか」
「どこでもいいわ」
「何を食べようか」
「何でも好きよ」
言葉を交わすとき彼女の横顔を見るが、つい目が下方のシャツの方にいってしまう。
白い喉元を広げたシャツを突き上げている胸は程よく膨らんでいるが、まだ成人女性のそれではない。
シャツの間からのぞく胸元の真っ白い素肌は息をのむ美しさで、僕を幻惑した。
まだ高校生らしい華奢な身体つきに、そこはかとなく処女独特の清純な香りを漂わせていた。
近くのピザハットに入るとテーブルを挟んで向かい合って腰を下ろした。
ウエイターが注文を取って立ち去ると、神妙な顔つきのアウレリアに僕は恐るおそると口を開いた。
「あなたが働いているのを見て、また言葉を交わして、あなたがてっきり二十歳前のセニョリータかと思っていた。でも今こうしてあなたが髪を下ろした姿を見たらとても若く高校生みたいなのでビックリした.. ゴメンね、これじゃ、諦めなければならないかと..」
「いいのよ、もじき17歳の高校三年生、これは休み中のアルバイト。
あなたのことはよく家族に話しているわ。ところであなたはおいくつ」
「僕は31歳」
「へー、東洋の人って若く見えるのね。私はあなたが25、6歳かと思っていたわ」
「15歳も離れていたら申し訳ない。交際をお願いしていいのかな?」
「それぐらいの年齢差なんて構わないわ、交際してみましょう。パパからもう交際の許可をもらっているし、ママと兄弟は始めからOKよ。ここでは17歳になれば親の許可をもらって男の人と交際するのは自由よ、結婚する娘だっていっぱい居るわ」
「ホントに、ウワーッ素晴らしい! 有難う」
「ハ、ハ、ハ...」
彼女の屈託のない笑い声が響いて、僕は救われた。
もうこれほど感激した瞬間は人生で初めてだった。
まだ高校生で若いのにすでに人生に対ししっかりとした考えを持っている。それは大人なびいてるとかマセているとかいうのではなく、ここの社会文化がまともにちゃんと機能しているからである。
どこかの国のようにいい大人の女がこどもぶるようなけったいなマネはしない。
「それで明日はあなたを家族に紹介するため家にお連れしたいの」
「喜んで! ムチッシモ(最高に)グラシアス!」
もう地獄からイキナリまた天国へ舞い上がったような幸せの極致にあった。
コスタリーカがこの瞬間、天国の園に見えた。
お互いの家族構成、僕の仕事や東京での暮らし、彼女は僕の話を興味深く聞いていた。
その翌日、帰国前日であるが、勤務後のアウレリアと連れ立って彼女のデサンパラドスの自宅を訪問した。
真面目に白のYシャツとジーンズの服装で臨んだ。
中流の下クラスの集合住宅地の一角に位置する彼女の家は親子八人の大家族で家の中には活気がみなぎっていた。
彼女は長女で二男四女の兄妹構成であった。
居間にていかにも厳格そうな父ヘルマンの検問ならぬ質問に僕は緊張で体を強張らせながら応えた。
軽い半袖シャツに幅広のズボンを身につけたヘルマンは時々笑いを交えながらも注意深く僕を見分していた。
まあ、満点とはいかぬが何とか合格したようだ。
普段着姿のラフなワンピースを着た気さくな母のグロリアと五人の兄弟の好意的な応対を受けて僕はとても感激した。
緊張感で身が震えていたが実に楽しいひと時を過ごした。
そういう僕をアウレリアは始終微笑みを浮かべ見守っていた。
一応僕は家族全員に受け入れられたようだ。
満足感に満ちた僕は、彼女の家を後にして、ホテルに帰ってきた。
翌朝、ヘルマンの運転する古いダットサンのピックアップでアウレリアと相席に座り、感激も新たにホテルから空港まで送ってもらった。
彼女の柔らかい手を握りしめ、互いの頬に別れのキスを交わした後、搭乗口へ向かい、至福の中に浸りながらパンナム機でサンタマリア空港を飛び立った。