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どんな「始まり」も、呪いの始まり
こんな風に考えてるから全部が怖いんだろうけど、怖いもんはしょうがない。
何かを始めることが難しくなったのは、いつからだろう。
どうしようもなくネガティブな話になるけど、頭の中の本当の話。
始めるということ。
それは、続けるか終わらせるかの選択を、後者を選ぶまで迫られ続けること。
当然だけど、始まったものは、終わるまで続く。
学業だろうと、その日の仕事だろうと、ひとつの命だろうと、この宇宙だろうと、そんな大層じゃない日々の細々としたあれこれだろうと。
目標達成や成功をもって終了するものもたくさんある。
何か外的な要因のせいでそもそも続行がどうやっても不可能になって終了するものもある。
だけど、そんなんじゃないことだってたくさんある。
自分が「ここで終わりだ、やめよう」って決断するまで続いていくものなんて、そりゃ星の数にも勝るほどあるのだ。
そもそも、「やめる」というのは紛れもなく自分が起こす行為なのだ。
目標達成とか不可抗力による終了だって、それを理由に「もう続ける必要はない」「もう続けられない」と自分が判断して終わらせるという決断をしている、と考えることもできなくはない。
そして、何もかも、終わるまでは続けている。
私たちは、やめるまで、続けている。
いつでもやめるという選択肢を抱えながら、いつかはやめる時が来ることを知っていながら、それでもまだ続けるという選択をし続けているのだ。
終わるまで、「終わる?続ける?」と迫られ続けること。
そんな果てしない2者選択のはじまりは、「それを始めること」にある。
そう捉えるようになってしまってから、どうにも「始める」ということに恐れをなしてしまった自分がいる……ような気がする。
いろいろ始めて、いろいろやめてしまえばいい。
そんなことはわかっている。
人生、大抵のことは割とどうでもいい。
けれど、「常にコンティニューの選択を迫られ続けるのだ」という意識が、「終わらせれば終わるものを、ずっと迫られると分かっていながら終わらない方を選び続ける旅が始まる」という意識こそが、私を縮こまらせる。
始めることが、継続との根気比べになってしまった。
根気比べは、私は相当に苦手だ。
気持ちが圧迫される。
こんな視点、noteに書いてしまっていいのだろうか、とは正直考えた。
摂取するには得より害の方が大きそうな考え方だから。
でもまあ、これは自己分析みたいなもの。
どこかのひとりの人間が、自分の苦手について心を整理してるだけ。