【アントシアンの礎石】 Cp.2
「お待たせしました」
椛重工の役員用会議室に最後の一人が到着した。
祇園寺ローレルを含めた五人が集まり、環境課から提供された情報と自社の調査によって得られた情報の二つを眺める。
そして渋い顔をした。
この騒動の発端――
「結論から言えバ――まったくもって恥ずかしい身内の恥ダネ」
ハッカーをバックアップしていたのは椛重工の子会社だった。
数か月前のインフラ整備工事の際、仕事を回されなかった事が気に障ったのかどうか定かではないが。
「上を挿げ替えますか?」
「理由も無く切って捨てるのは余計な問題が生まれるかもしれませんよ」
こちらが情報を握っている事はまだ知られていない。
このアドバンテージを生かして、こちらが有利な条件を引き出させたい。
「イヤイヤ、好きにさせてもいいんじゃないカナ」
彼らが強硬策を取るまで泳がせて、言い逃れの出来ない完全な形でそれを抑え込むというシナリオが提案される。
環境課がハッカー集団を処理したという情報は隠蔽済みだ。
今も定期的にハッキングをしかけているように見せかけながら虚偽の報告を行う自動プログラムによる通信改竄は行われている。
「開発施設が襲撃されでもしたラ……大事だろウ?」
彼らの目論見は奪われた仕事を取り返す事だ。
自分たちに成り代わる設備、人員、施設、そういったものを機能不全に陥らせれば、自然と仕事は流れてくる――浅はかな考え方だ。
それ以外に理由があっても、自分たちの親会社を敵に回す様では経営自体長くはもたないだろう。
やりたい様にやらせて、完膚なきまでに叩き潰して、その心を折る。
折った後に自分たちの指示通りに動く様にしてしまえば良い。
ゼロから作り直すより、既にあるものを変えるほうが色々と楽だ。
「ではどうします?警備部隊を集中させて迎え撃ちますか」
「外部への委託も考慮しましょう。内々に片付けるだけでは面子を潰しかねません」
「気は進みませんが一部隊だけ借り入れるのはどうでしょう?部外者を入れても後々の情報処理に手間がかかります」
方針は早々にまとまり、対応の内容を検討する段階に入る直前。
「環境課はどうしますか?」
会話が僅かに滞る。
ハッカーへの対応から始まり、環境課は悪くない評価を受けていた。
彼らの目的は椛重工との繋がりであり、能力だけを見れば申し分ないと感じられる。
だがここにいる誰も首を縦に振れないその理由。
行政機関としての実績が不足している事、人員が少ない事、事前調査では明らかにならなかった不透明な部分が多い事。
「ここで切るというのは惜しいと思いますが……如何せん実績がありませんので」
「何かを任せるかどうかは別として招集しておく程度であれば、まあ」
「あくまでチャンスを与えられた、程度のものですから」
誰もはっきりとは言わないが、消極的過ぎる肯定ではあった。
流れは出来ている、後は最後の一押しのみ。
「キミはどう思ウ?」
視線が集中する。
「環境課に任せてもいいんじゃないですか?」
ローレルを含めた全員から異論は出なかった。
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「ブリーフィングを開始する」
皇純香の指揮の元、会議室に集められた数名の課員。
「先日軋ヶ谷が対応したハッカーの後ろ盾には”とある企業”が関わっている――椛重工から情報提供があった」
「ある企業、ですか?」
狼森の問い掛けに軋ヶ谷が回答する。
「アズマセメントっていう椛重工の関連会社だね。身内の恥だから言い辛かったんじゃないかな?」
「言うんですねそれ……。じゃあそこの摘発ですか?」
予見された犯罪行為に対して環境課が対応に動くのは役割として正しいはずだが、ナタリアの提案は否定された。
「椛重工からの要望は、発生するであろう襲撃に対する備えだ。我々はその一部を受け持つ事になる」
「なるほど」
片眉を上げた宗真童子が納得している隣で理解が追い付いていないフローロ。
「そこまで分かっているのに先手を打たないんですか?」
「向こうから仕掛けさせればこっちの行動は正当防衛を主張出来るから、それが狙いだろうね」
ハクトの言葉を皇は首肯する。
彼らには彼らなりの狙いがあるらしく、予想は付くが言及する事ではない。
「ナタリア、マップデータを開いてくれ」
会議室のデスク上にホログラムモデルが投影された。
襲撃対象と目される工場のラインの一角だ。
「三日後に新しい製造機械を搬入する予定がある。それが襲撃のタイミングだ」
複数の出入り口が赤く強調表示され、足元に侵入経路が刻まれていく。
「予測されるポイントは四つ。我々の配置は――ここだ」
そのいずれにも該当しない施設内部の警備員待機室がピックアップされた。
「この指示は覆らない」
好意的に捉えたとすれば、彼らの内々の問題は自分たちで解決すべきであり外部組織の手を煩わせる事を避けたいと思っているのかもしれない。
現実的に考えたとすれば、そこまでの役割を果たせると思われていないだけとも取れる。
「現地での指揮は私が執る。軋ヶ谷、向こうとの連絡役を任せるぞ」
「うん」
「搬入の前日には現地待機となる。手をかけている途中の業務があれば引継ぎを済ませておく様に。以上、解散」
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「本日はよろしくお願いします」
にこやかに手を差し出してきたのは椛重工専属の警備部隊だ。
義体や武装の品質は一目見て分かるレベルで洗練されており、何よりも自信に満ちた表情と態度がその練度を裏付けていた。
「よろしく頼む」
握り返す手に込められた力はどこか威圧的だ。
身長差から見下ろされているだけではない、と皇は理解した。
実力に裏打ちされたプライドは得体のしれない外部組織への反発心を生み出した。
言動や態度に表さないのは当然だが、それでも隠しきれていない不満が掌越しに伝わってくる。
「それでは」
立ち去っていく足音がやけに大きく聞こえるが、皇は無表情を崩さない。
「お待たせして申し訳なイ。会議が長引いてしまってネ」
振り返ると、顔を認識出来ない誰かが立っていた。
「初めましてかナ。私は祇園寺ローレル。椛重工の取締役をさせてもらっているヨ」
「環境課課長、皇純香。今日はよろしく頼む」
「うんうン。よろしク」
軽く飄々とした態度は先程の男性とは対照的に感じられた。
「作戦概要は?」
「そうだネ、これを…………」
何かを探す様な素振りを見せて、
「私は電脳化していない」
「…………へーなるほド。ではこの前の彼女に送るヨ」
軋ヶ谷との情報のやり取りは一瞬で完了した様だ。
「まあ、頑張ってくれたまエ。期待しているヨ」
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作戦概要が軋ヶ谷から説明されたものの、環境課に関わる部分は最後の数行だけだった。
曰く、全面待機。
「視線がなぁ……」
ハクトのぼやきは警備室に向かう途中に向けられたものに対してだ。
専属の警備部隊が主戦力で、二番手は外部委託の別部隊、環境課は保険の様なものだ。
彼らにしてみれば、行政機関が出しゃばるなと言いたくもあるのだろう。
吾妻ブロックは行政機関である環境課が管理を行っているが、別のブロックでは企業連が治安維持を含む管理組織として認められているケースもある。
より力のある組織がその役割を果たす事が、ブロックの発展にとって望ましいと考えるのは道理だ。
そして、自分たちの上部組織がそうであれば良いという願望を持つのは自然なことだ。
「気にしないでおきましょう」
近くを通り過ぎる警備部隊の面々を気にせずに会話出来る様な雰囲気ではなく、緊張感を伴う静寂のまま時間は過ぎていく。
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そして。
「搬入開始の時間ですね」
工場内の電灯の八割が落ちる――アラートが鳴る。
警告灯が回る、インカムから襲撃を伝える連絡、金属の足音、銃声、悲鳴、怒号、それらが綯交ぜになって耳に届く。
だが、どれも遠い。
正面入り口に大半の人員を割いていたのか音の出どころはほとんど集中していた。
散発的に発生する物理衝突は短く、襲撃側が対応に追われる状況である事は容易に想像出来た。
「手持無沙汰ですね」
宗真童子が退屈そうに言って皇純香に視線を向ける。
作戦概要の以前にこうなることは分かっていたはずだ。
環境課が外れのエリアに配置される事も、襲撃者が一方的に制圧されていく事も、このまま何もなければ望むものが遠ざかるという事も。
しかし皇の表情は不安や焦燥を感じている様には見えなかった。
分の悪い賭けに乗っているのではなく確証がある――そんな予感。
警告灯が回っている、インカムから制圧を伝える連絡が届く、足音、潜めた様な息遣い。
それらは近付いてくる。
「……出番の様だな」
静かな声。
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正面入り口への大人数も警備部隊への遊撃も全て陽動、本命は少数精鋭で構成されたこの部隊である。
目指すのはサーバールームであり、工場全体の管理システムの掌握が目的だ。
事前の調査で取得していた警備部隊の数は全部で10部隊。
それらの現在位置は電脳が捉える仮想モニターに表示されていて、そのどれもこちらに向かう様子はない。
製造機械の搬入に伴う電源遮断で一部の監視カメラが停止している事もその要因の一つだ。
ここまでは順調――そう考えて、気を引き締める。
油断してはいけないと自戒しつつ廊下を曲がり、
「おコンバンハ」
その中央に赤い鬼が立っていた。
声に出そうだった驚愕を抑え込み、身構える。
警備部隊の人員ではない事は一目で分かる、特徴的なネオンイエローの腕章。
「環境課……どうしてここに」
「そういう契約ですから。どうぞ、抵抗してください」
肩に担いだ凶悪な金棒はヒトを容易く粉砕するだろう――背筋を冷たいものが伝っていく。
七人に別のルートを指示して、彼ともう一人がその場に残った。
警告灯の光を浴びて、宗真童子の顔が一層赤く照らされる。
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背後から迫る気配の主、長巻を携えた狼が疾走する。
後方を走っていた一人が後ろ手に小銃を発砲、マズルフラッシュが廊下を照らし、その弾丸は壁を蹴る姿勢制御で躱された。
「はぁ!?」
思わず漏れた声。
二発、三発と発砲するが視線と銃口の向きから予測して、紙一重の回避を繰り返す。
四発、僅かに脹脛を掠めたがその足は止まらない。
「シィ――」
小刻みなサイドステップを織り交ぜて跳躍、大上段が振り下ろされた。
構えていた右腕が両断され、勢い流れるままに両膝から下が薙ぎ払われる。
切断面から破砕された部品が散らばり落ちて、襲撃者の一人は床へと倒れ込んだ。
「一人制圧しました」
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「環境課です。止まってください」
小柄な少女が立っている。
ネオンイエローの腕章はついているが、その両手には何も握られていない。
配置されていた警備部隊の一人であることは状況的に間違いないが、場違いが過ぎる姿に僅かに躊躇いが生まれた。
「仕事なんだよこっちも」
本来必要のない警告を聞いても、その道を譲るつもりはなさそうだ。
留まる事は出来ない――引き金にかけた指に力を入れた。
銃弾は少女の脇腹を貫通し、衝撃で後方へと倒れ込む少女。
鈍い音が廊下に響き、一瞬目を背けて、再び前を見て、
「な……」
痛痒を感じていない様に少女は起き上がろうとしていた。
裾を払う右手にはいつの間にか鉄塊の様な刃が握られている。
銃弾が通過した衣服に空いた穴から見える脇腹は生身である事を証明しているが、そこから流れるべき血がわずかも滲んでいない。
「これで正当防衛を主張出来ますね」
無機質な青い瞳が自分を見つめている。
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サーバールームの手前、隔壁を背にしている三人が立っている。
「何か切っ掛けを作れればな……。スモーク越しにやれるか?」
「視界の情報支援を加えれば何とか」
「任せる」
一人が監視カメラへとアクセス、セキュリティ用のサーモグラフィを起動させる。
視界にオーバーレイする形で壁越しにアウトラインが強調表示されているのを確かめてスモークを投げ込んだ。
白い煙が廊下を満たす――その向こう側の三人が遮蔽に身を隠す隙を与える前に。
「撃て!」
電子ロックを解除、トリガーを引いたサブマシンガンから大量の弾丸を吐き出した。
それらはコンクリートを穿つ、穿つ、穿つ、それ以外の情報が無い。
視界情報では間違いなくアウトラインの中を撃っているはずなのに、その輪郭は固定されたままだ。
何かが爆ぜる音、たんぱく質の焼ける異臭。
廊下の陰で監視カメラへアクセスしていた男が俯せに倒れ込んでいた。
薄れてきた煙の向こうに人影は無い。
「くそっ!」
悪態をついても失敗したという結果は覆らない。
近付いてくる足音は二つ、飛び出して即座に発砲するしかないが――。
「電子ロックを上書きさせてもらったから撃てないよ」
その言葉は正しく、引き金は微動だにしない。
「武器を捨てて降伏しろ。手荒な真似はしたくない」
その言葉に従って銃を降ろし、両手を顔の横に上げて……袖から飛び出した小型のナイフを握りしめた。
「課長!」
ナタリアと軋ヶ谷が構えるより早く、腕を組んだままの皇に一歩近付いた直後。
廊下の上部窓ガラスを突き破り、上空から撃ちおろされた弾丸がその腕を貫いた。
悲鳴を上げて倒れ込む男に警棒を押し当てて、無言で放電のトリガーを押し込む。
「軋ヶ谷、制圧完了を伝えてやれ」
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サーバールームへの襲撃が本命だった為か、その制圧が成功した時点で作戦はほとんど終了していた様だ。
警備部隊へ引継ぎを終えた環境課の面々は事後処理に参加せず庁舎に戻り、後は椛重工からの連絡を待つだけとなった。
軋ヶ谷経由で送られてきた連絡内容はほとんどがアズマセメントへの制裁や事業吸収に関する内容で、それ以外の情報はほとんど送られてこなかった。
そして数日後、椛重工から皇純香へ訪問依頼が届く。
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「まア、こんなところだネ」
監視カメラの映像情報や襲撃者の負傷状態などを追加で共有し、誰からともなく出た言葉。
「悪くはないですね」
ひねくれた評価に乾いた笑いを返し、祇園寺ローレルは手を叩いた。
「監察というポジションで私を組み込んでもらおうと思うけどどうカネ。出向という形にはなるカ」
こちらの都合も汲み取ってもらう為にも、意見を交わせるポストは必要だ。
環境課の能力は今回の件で高く評価されたが、それに関連して人員や設備が圧倒的に不足しているという課題も抱えている。
期待に応えてもらう為にも対応は必要不可欠で、まずはその提案を出させてもらう。
具体的な内容は、皇純香に考えてもらえば良い。
頭の中でいくつか提案書を受かべていくうちに、一つ駒が不足している事に気付いた。
管理をする立場には監察として自分が入れば良い。
しかし外部組織からやってきた何者かがいきなり上に立つというのは、課員の心情としてどうだろうか。
緩衝材は必要で、それは不自然でない程度が良い。
「もう一つ提案があるのだけド」
楔も兼ねてもらえるだろうか、本人がどう思うか別にして。
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祇園寺ローレルが環境課に出向して暫くが経った頃。
環境課の駐車場に椛重工のロゴがついたトラックが停車した。
そこから降りてきたのは見慣れない女性――環境課の腕章を付けている。
「これで何処に降ろします?」
「受け入れ口はあっちの方ですね」
「すいません、ちょっといいですか?」
やり取りを見ていた警備係が声をかける。
「これは一体何ですか?」
「不足しているものを持ってきただけですけど……聞いてませんか?」
顔を見合わせるがこの時間に搬入のトラックが来る話は聞いていない。
加えて、
「どちら様ですか?」
環境課の腕章をつけている――偽造品ではない事は分かるが、この女性を見るのは初めてだ。
警備係の困惑が伝わったのか、女性は少し考え込んだ。
そして電脳通信を繋げる素振りを見せて、すぐにそれは終了した。
溜息を吐いて、肩を落として、頭頂部で半透明の物体が小さく揺れた。
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【アントシアンの礎石】
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