Cp.2 "M"ystery
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VRC環境課
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[鑑識室] PM 20:00
現場で撮影された写真から一枚がモニターに拡大表示されている。
見れば見る程に綺麗すぎる切断面はまるで標本サンプルの様にも見えて、雪貞は口元を手で覆った。
「思い出したらまた吐き気が……」
血の気の引いた表情からは嫌と言うほどに彼の抱く感情が伝わってくる。
「状況写真を見るだけでもどれだけ凄惨だったかが分かりますね」
「まるで解体だな」
室内の温度が少し下がった気がして、ナタリアは慌てて話題を変えた。
「どういう手段で切断されたんだと思う?」
問いかけられた風炉は少し考え、自らの経験や知識の中に答えが無いことを早々に明らかにする。
「分かりません。状態から予測出来るのは恐ろしく鋭い何かで切断された事くらいですけど――」
更に拡大されたモニターから雪貞は目を逸らした。
「何で落ち着いて見れるんだろう。二人共やばいよ……」
風炉には聞こえていなかった様で、モニターに映し刺された一部分を指差している。
「皮膚や筋肉の形状が一切変形していないんです。例えば上から力が加わればそれに合わせて下方向に多少なり動くはずです」
「となると回転工具で切断されたって訳じゃなさそうだ」
「そもそも人体を切断するだけの力が必要ですし、例えば狼森さんであれば切ることは出来るでしょうけどこの切断面は不可能です」
あらゆる方向から推論を重ねたとしても辿り着く答えはそれでしかない。
だが目の前にある現実がそれを否定している。
「大企業が研究中のトンデモ技術とかだったりしません?」
「可能性としては否定しないが、そんな技術を一般人の殺害に使用するバカがいると思うか?」
「いないでしょうけど」
「あ――」
その呟きは二人の耳にしっかりと届き、思わず注目を浴びた風炉は顔を伏せた。
「何かあった?」
「トンデモ技術の下りで、少し」
モニターに映し出された写真を全て消して、別フォルダから開かれたのは文字だけが羅列された資料だった。
「【アーティファクト】?」
「【聖遺物】?」
耳馴染みのない言葉であり、あるいはどこかで聞いた事のある単語だった。
「【神秘】と呼ばれている、表向きには否定され尽くしたモノです」
半分ほど水が入ったマグカップを差し出して尋ねる。
「出来ます、よね」
「どの様に?」
「すごく熱くなった石を入れるとか、もう一回火にかければいいと思います」
頷く。
「ナタリアさん、この水を凍らせることは可能ですか?」
「冷凍庫に入れてしまえばいいだろ」
再び頷く。
「加熱によって沸騰させ、冷却によって凍らせる。どちらも熱エネルギーの移動によって成立する物理法則です」
では、と一呼吸置いて
「この水を金に変える事は可能ですか?」
「それは不可能だろ。そもそも別の物質にするなんて物理法則がどうこうの――」
「ナタリアさん?」
ナタリアが思い至った答えを察して風炉は三度頷いた。
「この二つは【ありえない事】を可能にしてしまうモノです」
【水】を【金】に変える事が出来るのだと風炉は断言した。
「じゃあこの事件は【アーティファクト】か【聖遺物】が関わっているって事ですか?」
「そうとも言い切れません」
モニターの文字がスクロールして、全ての項目に赤文字で『現時点での存在を確認出来ず』とある。
「今の私たちの社会において、これらの再現ないし起動をさせられた事例は極めて稀です」
そもそもの情報量が少ない事も相まって未だに解明されていないというのが正しいのだが、似た様なものだ。
「【ありえない事】を可能にするとしても、それを再現する事が出来なければ机上の空論でしかないか」
「雪貞くんの言った大企業のトンデモ技術の方がまだ現実味がある気がします」
その技術が成立するという事は何かしらの根拠があるからだ。
理論も根拠も無い【現象】など、絵空事と否定されて然るべきだ。
「でも実例としての観測記録はあるんですよね?」
「現時点ではその全てが【大戦】以前に製作されていたり、確認されていると言われていますね」
ナタリアの言葉通り、確定要素の無い情報を頼っても意味は無い。
これ以上深く掘り下げても無意味だと結論が出た所で、脱線しかけていた話が元の軌道に戻っていく。
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[解体室] PM 20:20
解体室の最奥の一室には入室制限がかけられており、皇純香によって承認された課員のIDカードのみがその扉を開くことが出来る。
室内には手術用の工具が一式揃えられているが、決して救命を目的とした行為の為に使用される訳ではない。
【解剖検死室】には二人の課員の姿があった。
「大丈夫ですか?」
顔をヴェールで覆ったメメリと名乗る課員に尋ねる。
「はい、大丈夫です」
No.966の後輩だと説明を受けたフローロは成程と思いながらも、回収された死体を前に怯えを見せない新人に感心する。
血と肉と骨で構成された既に生物でないモノから滲む不安や不気味さに慣れている――慣れてしまった――雰囲気は追及すべきではないのだろう。
「これから行うのは死体の解体です。もう半ば解体されている様な状態ですけどね」
手足だけが置かれた作業台はどこか滑稽ですらある。
「鑑識係に届けるためのサンプルを採取します。各部位の切断面は残す必要があるので数センチずらした部分から大きく切り分けます。そうでない部分は少量で問題無いでしょう」
メスを受け取って右腕の皮膚に添える。
片手でぐるぐると回しながら徐々に骨へと迫り、白い部分が見えた所でメスを戻した。
「?」
いつの間にか握られていた包丁サイズの鈍色の刃が骨を難なく切断し、大きめのサンプルが切り分けられた。
「メメリさん、どうぞ」
二人の立ち位置が入れ替わり、新しいメスを手渡されたメメリは丁寧に刃先を沈み込ませる。
綺麗な円形にくり抜かれたサンプルを密封処理された容器に移して再び入れ替わり、左腕にも同様の処置を施す。
「血液の採取をお願いしてもいいですか?」
「どの器具を使えば?」
「注射針に部位の名前が書かれているので、それに合わせて一本ずつお願いします」
「分かりました」
メメリの作業は少しだけ丁寧過ぎる様な気もしたが指摘する部分ではない。
四本の注射器が赤い液体に満たされたのを確かめて、作業台から手足を移動させた。
「疲れてはいませんか?」
決して長い時間ではなくとも死者と向き合う行為は思った以上に精神を摩耗させるが、
「大丈夫です」
メメリの言葉に偽りはなく、フローロは黒いシートに覆われた回収物を作業台に広げた。
「作業内容は同じです。原型はほとんどありませんが内臓は部位ごとに抽出してサンプリング、頭部からは破損していない眼球を摘出します」
この死体が電脳化されていれば眼球に蓄積された映像データを再生出来たかもしれないが、どうやらそうではないらしい。
「メメリさんは眼球の摘出をお願いします」
「分かりました」
手袋ごしでも分かる柔らかい感触に怯むことなく淡々と作業をこなすフローロは、彼女の外見からしてみれば異常な光景に見えただろう。
少女と呼んで差し支えない風貌でありながら、躊躇いなく細切れにされた内臓を選別している状況はこの密室でのみ成立する。
一切の会話が行われないまま作業は進行し、手の空いたメメリが手伝いに入って数十分もする頃には全てのサンプルが揃っていた。
「ここから先は鑑識係にお願いしましょう。メメリさん、長時間お疲れ様でした」
「お疲れ様でした」
一つ息を吐き、互いに小さく頭を下げる。
「ご指導ありがとうございました」
「私が教える事なんてほとんど無かった気がしますけど……。業務完了の連絡は私からしておくので、上がって頂いて構いませんよ」
「お先に失礼します」
一人解剖検死室に残ったフローロはデバイスを操作し、皇と風炉へと作業の完了を通達する。
次いでNo.966へと連絡を送り、すぐに届いた短い返答にカエルマークのスタンプを押した。
処理を終えた残りを丁寧に容器に詰めて保管用の冷凍庫に仕舞い込み、その奥から銀色の円筒を取り出す。
パスワード式のロックを解除した中から出てきたのは無傷の心臓である。
見下ろしながら自分の胸元に手を当てる。
目の前にあるソレと同じく、掌に鼓動は伝わってこない。
呼吸保護器の役割を果たしているマスクを外し、掠れた呼吸を一つ。
喉を抑えて、何かを飲み込んで。
「大丈夫」
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Cp.2 "M"ystery
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