【得て、越えて、意を澄むなれば】:Cp.1

結局のところ、案の定というか、フローロ・ケローロはロナルドの隣で、目的地である環境課ブロックに到着するまで一睡もすることが出来なかった。
セダンが走る。
今時めずらしいガソリン車。
右ハンドルで、その座席はハンドルを握ったロナルド・ハンティントンにはかなり小さすぎるように見えた。
視線をフロントガラスに戻せば、環境課ブロックの遠影が徐々に近付いてくるのが分かる。

法定速度きっかりの丁寧な安全運転を遅いと感じてはおらず、環境課へと戻ることをあれだけ心待ちにしていたはずなのに、とやはり自分が分からないでいた。
思考の中で言語化する事が出来ず、恐らく、多分、きっと、という曖昧な定義を積んでは崩し積んでは崩しを繰り返している。


――相模ブロックでの一か月という決して短くない期間は、フローロにあまりにも多くの変化をもたらしていた。
身体的にも感覚的にも精神的にも、これまでの価値観が覆っていくような、はたまた別の何かに繋がっていく様な。
例えばロナルド・ハンティントンに対する心象もその一つである。
三度の戦闘――その内の一度はほとんど戦闘にはなってはいないが――を行い、その度に銃弾で体のどこかを打ち貫かれている。
自分の立場から定義付ければ明確な敵対者であるはずなのに、芝居がかった口調も、仰々しい所作も、破壊的な多面相も、随分と慣れてしまっていた。
彼の行いによって記憶からも記録からも抹消された人への感傷は、無いわけではないが、仮に環境課に向けて現実改変の刃が振るわれていたのであれば、以前の自分が持てる力の全てでそれを排除していたことは間違いない。
そういう点では彼の行いに一定の理解を持っている、持ってしまっている。
つまるところ、ロナルド・ハンティントンという人物を理解しようとする自分自身は、思ったよりも抵抗感無く、それを受け入れつつあるという状態だ。
だからこそ、目的と行動の答え合わせが出来ていることは非常に有難く、自分でもそう思う様にした途端に、小さく引っかかる何かを抑え込める程度にはすっきりとしていた。
前提として彼は狂人であり、現実改変を壊す事しか考えておらず、自分をその為のセンサーか何かだとしか思っていない、と解釈することに自己嫌悪を抱かずに済んでいる。
もちろん警戒はしているし、疑いもしているし、過剰なまでに物理的距離を詰める所作にはたまにドン引きしているし、時々邪険に扱うにしてもそれが躊躇われるということもないが、いつの間にかロナルド・ハンティントンを単純な敵対者として見る事は出来なくなっていた。
そこまでを見越しての振る舞いなのだとすれば、盛大な溜息を吐くしかない。

トンネルに差し掛かる。
窓に映った自分の姿、白いワンピースとストローハットの組み合わせはまるでか弱い少女そのものだ。
人工肌の下には義体があり、意識は電脳に格納され、頭上には微かな重量を感じる蛙の瞳が鎮座している。
自分を構成する全てが入れ替わって、それでも自分を自分と認識出来た事には何よりも安堵していた。
感覚と呼べるものが研ぎ澄まされて、今でも眩暈や吐き気を覚える事はあっても随分と落ち着いてきているように思う。
しかし同時に不安に思っている事もあった。
ほとんど縁のない相模ブロックでの一か月で、もっといえば転写後のたった二週間で、あれだけ多くの衝撃を受けていたのだ。
環境課に戻った時に自分が受ける衝撃はどれほどのものだろうかと考えてしまうと、少し怖い。
つまり、『今の環境課』を受け止められるだろうか?という感情が胸中を占めている。
ロナルドの言葉によれば強制介入は差し止められており、それ以降の細かな情報の通りであれば復旧工事が行われている事や、少しずつではあるが街並みが活気を取り戻しつつあるという事は予測出来ているが、希望的観測なのかもしれないという疑念は常に傍らにあった。

「そろそろ「環境課ブロックですが「顔を上げられては「如何ですか?」

ロナルドの声がこちらに向けられるが、右から左に素通りしていく。

「ああ!「眠たくなったのであれば「そのまま寝てしまっても「結構ですよ」

「起きてます」

結構な間ぼんやりしていたらしく、ロナルドに提案された通りに顔を上げてみれば見慣れたスローガンが目に入った。
補修された信号で一度止まったので辺りを見渡す。
道路に焼け焦げた跡が残っているが、破損した車両や建物の瓦礫は撤去されていて交通に支障がないレベルまでは復旧が行われているようだ。
反面、下がったままのシャッターからは活気というものが感じられず、ブルーシートには泥や雨の汚れがこびりついたまま放置されている。

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セダンが進む。
立ち入り禁止のテープが張られた一角では工事業者と、そして環境課員が合同でその対応に当たっていた。
中途半端に倒壊したビルの解体工事が行われているようで、中には見知った顔もある。

「何か「気になるものでも「ありましたか?「車を止めても構いませんが「近くに駐車場は――」

「いえ、大丈夫です」

今の自分が声をかけて何になるというのだろうか?
若干の気まずさを抱えたままその場を後にした。

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セダンが進む。
ショッピングモールの近くを通る頃には道行く人の数が明らかに増えていた。
大量の色はカラフルを通り越して極彩色に近く、情報量に圧倒された感覚を落ち着けようと目を閉じて、それを見たロナルドは車の速度をそれとなく落とした。

「大丈夫「ですか?」

「……はい」

息を吐いて、再びゆっくりと街並みを視界に収める。
人々は笑顔だ。
どこか無理をしているような雰囲気は無く、簡易的なバリケードで囲われた街灯を極めて自然な動きで避けていく。
ああ、と。
彼らの中では、ド取による襲撃は既に終わった事になっているんだな、と感じた。
変な言い回しにはなるが、当事者ではない彼らと渦中にいた環境課員では感じ方も見え方も異なっていて当然だ。
そして、分かっていたつもりのことが分からくなった。
環境課の役割として彼らを守る事が、自分の役割だと信じて、今もそうではある。
彼らが笑顔で今を過ごしている姿は、環境課の役割が果たされた事を証明していて、喜ばしい事のはずだ。
だけど、だけれども、上手く言い表せない感情が、敏感になってしまった体と心が、そこで考えるのをやめた。

「大丈夫「ですか?」

「大丈夫です」

強くなった語気で返してしまい、はっとして横を見るがロナルドは笑って――なんとなく分かる様になってしまった――二度頷いた。

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セダンが走る。
大きな製薬会社があったはずの場所に差し掛かると、俄かに騒がしさが増していた。

「おや「通行止めの「様ですね「これは困り「ました」

その気になればいくらでも交通情報など取得出来るはずなのに、わざわざその手前まで来ておいてロナルドはそんなことを言い出した。

「戻ればいいじゃないですか」

目の前で行われている交通整理の様子に言ってから気付き、何度か口をもごもごさせて、やがて無表情にだんまりを決めた。
その様子を見ているロナルドが何も言わないでいるのが逆に、無性に、最終的にはこの男は、と相手のせいにする。
赤い蛍光棒に従ってハンドルを切る束の間、フローロの視界はその奥に向けられた。
輪郭こそ保ってはいるものの、徹底的な破壊の対象となったそこは凄惨の一言だった。
急造で拵えられたプレハブには慌ただしく人が出入りしていて、白い布が被せられた担架が今も一つ運び込まれていく。
その様子を見ていたフローロはあの暴動の規模を思えば当然ですね、と考えて、不意に気付いた。
環境課の手から零れ落ちた命に対して、さほど特別な感傷を抱いていない事に。

「……っ」

例えば地球の裏側で誰かが死んでも何も思わないのは当たり前のことだ。
顔も知らない誰かに心を乱されるのは感受性が豊かとかそういう次元を越えて、過剰な自己投影は狂人の一言だ。
だからこの感情はひどく自然なもので、それに違和感を抱いた自分が如何に【普通】とかけ離れていたかを理解した。
ウィンカーの音だけが耳に響いている。

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セダンが停まる。

「お疲れ様でした!「ちゃんと「環境課に「到着しましたよ」

随分ゆっくりと、遠回りしていた事もあって庁舎に着いたのは昼を十分に過ぎた頃だった。
真っすぐ向かうつもりが無かったのか、こんなにも時間をかけた目的までは読み取る事は出来ないがフローロは街並みを一通り見て回る事が出来た。
思っていたよりも復旧は進んでいて、感じられた人々の雰囲気も良好と言えるだろう。
度々見かけたガラの悪そうな、これまでにあまりいなかったタイプの顔が増えていた事は気になったが、この機に乗じた外部からの流れ者だろうと当たりをつけていた。
監視カメラやそれに類する設備が増えたようにも感じられ、環境課庁舎の駐車場に備え付けられたカメラはずっとこちらに向けられている。

「忘れ物は「御座い「ませんか?」

フローロの手荷物はロナルドがくれたポーチに全て納められている。
連絡用デバイス、腕章、そしてIDカードだ。

「本当は「付き添いを――」

「お断りします」

出来る訳がないし、されると非常に困るので多少強めに否定する。

「冗談ですよ「冗談「ロナルドジョークです」

全く笑えない。
助手席の扉を開き、ようやく地面に足を下ろす。
幾度と踏みしめたコンクリートの感触は、あの日となんら変わらない様に感じられた。

「何かあれば「いつでもご連絡を「何もなくても「ええ、全くもって「構いませんよ!「どうぞ「遠慮なさらずに!」

月に一度は「仕事」で呼び出される間柄ではあるものの、プライベートで連絡を取り合うつもりはさらさらない。
それこそ何か、自分では対応出来ないような事態が発生した時くらいだろう。

「まあ、はい」

適当に濁して三歩進んで、三歩戻って、足を止めて窓ガラスをノックする。
パワーウィンドウが下がり、ロナルドの上半身ごとぬっと近付けられて微かに身じろぎした。

「ロナルドさん」

「はい「何でしょうか?「あなたのロナルド・ハンティントンです!」

意識が無かった間を含めて一か月間の相模ブロックでの時間を思い出す。
芝居がかった口調に仰々しい所作、絶妙な距離感を保つ話術に破壊的な多面相。
全てが異常に見えても実のところそれは観測者の主観によるもので、彼自身にとってはそれが【普通】なのだと朧気ながらに理解した。

「ありがとうございました」

思うところはあれど、それでも彼の行いには伝えるべき言葉がある。

「今後もよろしくお願いします」

もちろんフローロに甲斐甲斐しく接していたのも彼の目的あっての事であるし、一切それ以外の思惑が無かったのだとしても、今こうして自分がここに立っているのは彼の協力があってこそだ。
そもそも彼の提案がなければこんな事態にもなってはいないのだが、それはそれとして。

「そうですか「そうですか「そうですか……」

一度の首肯で三度納得した――のかどうかは分からない。
少なくとも、部分的には、本心であるのだから、素直に受け取ってほしいとは思うが期待はしない方がいい。

「それでは、失礼します」

続く言葉を待つことなく、僅かに背中に向けられた視線を感じながら、立ち止まらず、振り返らず、課員用の出入り口へと向かう。
ポーチから取り出したIDカードはどうやら機能を果たしてくれたようだった。


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