Cp.5 "M"ove away
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VRC環境課
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[自室] AM 1:00
解剖検死室の床下から続く梯子を下りてさらに地下へと向かった先にフローロの自室はある。
ベッドと冷蔵庫、そして部屋面積の半分以上を占める巨大な水槽が異様に目立っているせいで生活感はほとんど無い。
そんな無機質な空間の中心に立っているフローロは、ようやく修復された右腕に視線を向けていた。
時間経過による損傷の修復は規模が大きいほど時間が必要で、今回は一週間程度を要した。
その間に例の事件が起こったという報告は無く、同時に危険人物の周知と外出制限が発表されたと聞いている。
情報係の適度なミスリードと情報統制によって上手く回っているのだろう。
≪僕らはこの世界に二人ぼっちなんだよ≫
耳から離れない青年の言葉。
狂う事が出来ていればどれほど楽になれただろうか。
終わる事が出来ていればどれほど救われただろうか。
自分の意志を持ち、生物としての機能を持ってしまった事にどれだけ苛まれているか理解出来るのは、彼の言葉を借りるならフローロもまた【同類】だからだ。
≪そんなところに居ちゃいけないんだ≫
地を駆ける獣が空を舞う鳥に届かない事が道理である様に。
適用した環境が違う、住んでいる階層が違う、生きている領域が違う。
ほんの一瞬であれば交われるかもしれないが、それは果たして互いに望む結果を生むとは限らない。
≪君はどうしたい?≫
忘れる事など出来るはずの無い初めての問い掛け。
社会も、通念も、常識も、状況も、何もかもを棚上げして自分が望む事だけを考えろと言われた事。
「生きたい、です」
痛みと熱に浮かされた最初の記憶。
息苦しさで結ぶ二つ目の記憶。
影絵ごしに見た彼らの表情が三つ目の記憶。
何かを考える余裕もなく、思わず口から出たのはそんな当たり前の事だった。
死にたくないと怯えて、生きていたいと縋って、その為の全てを与えられた今も同じことを望んでいるのか。
自問に対する答えが出るのに時間はかからなかった。
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[課員用通用口] AM 1:30
足音を殺しながら誰にも見つからない様に細心の注意を払い、三回目にしてようやく通用口前に到着したフローロはほっと胸を撫でおろした。
少しだけ扉を開いて外に誰もいない事を確認して最小の動きで外に出る。
ここまでの道中に監視カメラはいくつかあったが、ボーパルからデバイスに何も連絡が入っていないという事は彼女が非番であるか、見ていて見逃しているか、あるいは――。
他に適任がいるかだ。
「……こんばんは」
「コンビニにでも行くつもりか?この時間からの間食は体重に響くぞ」
らしくない冗談に、少々呆気にとられてしまう。
「目が冴えてしまったので、少し散歩でもしようかなと思って」
「こんな雨降りに?」
「私はその方がいいんです」
「そうだったな。だが今は不要な行動を慎むべき状況だと思うが」
大規模な作戦行動の為に数名の課員に向けて個別の連絡が入っていて、フローロもその中の一人だったはずだ。
「すいません、見ていなかったです」
嘘ではないが、意図的でもある。
「外出理由は何だ?」
何処へなど分かり切っている。
何の為になど言うまでもない。
「やりたいことが、出来たんです」
それを止める事を出来ないことも理解してしまっている皇は組んでいた腕を解き、
「最後までやり遂げて来い」
「ありがとうございます」
皇の横を通って振り返らずに走る。
「帰ってきたら、始末書を用意しておく。だから――」
濡れた足音が完全に聞こえなくなってからも、皇はしばらくそこに留まっていた。
「必ず、帰ってこい」
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[資材置き場] AM 2:00
先日と同じ資材置き場を訪れる。
戦闘の爪跡が残る場所には『立ち入り禁止』の札が立てられていたが一切無視してその中へ向かう。
「来てくれると思ってたよ」
青年はフローロの姿を認めると嬉しそうに笑った。
「じゃあ、行こうか」
「いいえ」
雨音に消えないはっきりとした拒絶。
「一緒には行けません」
「どうして?」
様々な含みを持たせた問い掛けに、一つ一つ答えを返す。
「殺せという声が聞こえなくなって随分と経ちます。私は貴方と比べて中途半端ですから、上手くやれているのかもしれません」
死を与える事を役割とした【聖遺物】であるからこそ、それに繋がる行為の否定は不可能だ。
「何を食べても味はしませんが、食感を楽しむことは出来ます。白と黒の世界だとしても、たまに色が映ると綺麗なんです。眠れない時は目を閉じると落ち着くんですよ」
彼の言葉を肯定し、しかし反論を重ねていく。
「息苦しくて仕方ないけれど、だけど、それでも、呼吸が出来る」
引き攣る様な感覚は未だに慣れる事が無くとも。
「美味しそうに食事をする人を見ていると、嬉しくなります」
誰かと共にする食事は楽しい事だと教えてもらったから。
「楽しそうに過ごしている人が鮮やかだと、嬉しくなります」
その感情が尊いものだと知っているから。
「目を閉じている私に声をかけてくれる人がいると、嬉しくなります」
自分を気にかけてくれる人がいる事は得難いものだと理解しているから。
「貴方はどうありたいんですか?」
「僕?」
「【死】のその先に何を求めるんですか?」
「……【死】は【終わり】だよ。自分がどうありたいとか、その先だとか、変な事を聞くね君は」
青年の笑みという装飾が剥がれて何もかもが抜け落ちた後には深い虚無が張り付いていた。
「今の僕が僕の全てだ。この世界そのものから外れたのが僕たちじゃないか。何かを求めるなんて、そういう真っ当な感性が必要かい?」
交われない向こう側にいることを確かめて、それを憐れに思う事は傲慢でしかないとしても。
「本当ならば不要です。烏滸がましいと言っても構いません。だけど私はその先を求めてしまっている」
矛盾した発言は、中途半端なフローロにとって整合性が取れている。
「あの人たちに【生きていて欲しい】。だから――」
迷いのない視線は真っすぐに青年に向けて。
「貴方を否定します」
ここに立っているのは、他の誰も巻き込みたくないという個人的な我儘の為だ。
「そっか」
予測通りの、期待外れの、残念そうな雰囲気と共に、青年の周囲に真紅の燐光が漂い始める。
「君を殺して、僕は独りぼっちになるよ」
青年が刃を放つより早く、解体武装は心臓を貫いていた。
「【血戦武装】、解放――」
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