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【カーボンコピー】 Cp.2

青みを帯びたポニーテールが小さく揺れる。
日の高い時間帯に再び駅周辺を訪れた風炉と雪貞は、それとなく現場を通り過ぎていく人々を眺めていた。
右から左から交差する彼らは時折こちらを見て、環境課の腕章を見て、自分たちの足元を見て、……納得をして。
そして、足早にその場を立ち去っていく。

「目立ってます?」

これが尾行や、ともすれば捜査網を敷くような仕事であれば雪貞の指摘はもっともだが、二人の目的はそのどちらでもない。

「犯行現場に戻ってくる。というのはやはり楽観的な希望でしたね」

楽観的な希望――ではあるが、紛れもない一つの可能性だ。
それを潰せたのであれば、捜査は一歩進んだことになる。
あるいは半歩か、足踏みと変わらないような、砂を噛むような前進ではあるものの。

「ここまで各事件の関連性が乏しいと捜査のしようがありません」

雪貞は手元のデバイスに現状を打ち込みながら、渋い顔で当て所なく歩く。
加害者、被害者共に脳を損傷しているという共通項は、それだけでは犯人像を明確にするピースとして機能しない。
今はひたすら情報が欲しい。
些細な、事件に直接関係が無さそうな、どんなものであっても。
風炉は付近の監視システムの使用許可について情報係へ連絡し、別の現場へ向かうため雪貞に声をかけようと手を伸ばしたその時。

「業務中に失礼。少し時間を作れないかな」

軋んだ声。
振り返った先には、目深に被った帽子、角張った鼻筋、鈍色の鉄床の顎――それに指を添えた軍警の主任が立っていた。
周囲の視線を気にしてか軍警の表情はどこか穏やかで、そして僅かに陰りが見える。

「……移動しましょうか」

道路を一つ挟んだ先にあるカフェを指差した。
信号が変わる。


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――――。
耳障りの良い走行音が人気のない店舗に響いている。
かたり。
机には3つのコーヒーカップが置かれ、給仕用のレールシステムが通路の奥へと姿を消えていく。
軍警はたっぷりそれを見送ってから、ふむと一息ついて、そして指を開いて話し始めた。

「これは"カーボンコピー"と関連のある事件かどうかは明らかではないが……」

何かしようとして一瞬顔をしかめると、

「二人とも電脳化はしていないのか……」

やや面食らったように――苦笑いしながら、彼は雪貞のタブレットを指差した。

「それに送ろう」

ダイレクトドロップを開かせ、二枚の画像を送信した。

「見覚えは?」

一人は四十過ぎのように見える、身なりのよい男性。
もう一人はあどけなさの残る少女の写真だ。
風炉と雪貞は視線を合わせ、そして揃って首を横に振った。

「その二人が、何か?」

「亡くなったんだ」

カップを口元に運ぼうとしていた雪貞がその手を止めて、すいと皿に戻す。
実業家の男性と、R-1Nに住む女児。
男性は宿泊先のイイダバシグランドホテルにチェックインをした後連絡が取れなくなり、旧来の知人との食事の時間になっても、チェックアウト時刻を過ぎても現れず、部屋のバスルーム近く、小指を欠いた姿で死亡しているのを、ホテルのスタッフにより発見された。
監視カメラは全て正常に作動しており、男性が部屋に入ったところまでは映像で確認されているものの、その後その部屋を訪れたものは誰もいない。
――監視カメラはまあ、情報技術者であれば……正常に動かしたまま、誰も来なかったように見せることくらいはできるだろうが。

「部屋の中を荒らされた痕跡は無いし、電脳セキュリティを抜いて銀行系へアクセスされた形跡も無い」

「ボディーガードの類は?」

「彼はオフでその手のものを付けることを嫌うからね」

「知り合いですか?」

「講演会の会場警備の時と、旧開発区のビル撤去計画発表の時に。計画発表で彼を狙ったドローンを押さえた後、一言だけ礼を言われたよ。顔を覚えられていたようだ」

懐かしむ様な表情だが、その視線は直ぐに下に向けられた。

「この少女も?」

軍警は頷く。
この少女も軍警に関わりのある人物だったらしい。
ボランティア活動の際、彼の姪がR-1Nの少女と仲良くなり、彼自身がR-1N生活環境向上へと力を向ける発端になった人物だった、と端的に語る。

「死亡状況についても話そう」

軍警は言う。
少女はR-1Nに隣接する小規模な雑居ビル群の廃品回収の手伝いを行っていたらしく、日中から夕方までは多くの人が彼女の姿を確認していた。
しかし、ある日の業務終了後に忽然と姿を消し、半日たった後で、R-1N南西の食品加工業者の倉庫脇で同加工業者により発見され、後に死亡が確認されたという。
少女のプロフィールは至って普通だった。
もちろん、R-1Nの子供というだけで事件に遭う可能性も無いわけではない。
吾妻ブロックの中にはR-1Nの存在を恥部として良く思わない企業が無いわけではない。
彼らによる立ち退き工作の一環として児童に暴行を加える事件が過去に一度あった。
あるいは住民IDの登録が曖昧な子供を狙った強姦事件も、一昔前ニュースで取り上げられたことがある。

「どちらでもなかったよ。彼女の死体は小綺麗で、片耳の軟骨の一部が切り取られていた以外、暴行の跡はなかった」

小指、片耳。
雪貞が呟く。

「"カーボンコピー"なんですか」

風炉の問いに、軍警はそうだと思うと返す。
肩を叩く指に気付き、雪貞は話を聞きながらに情報係へコンタクトを取っていたらしい。
タブレットに返ってきた夜八からのメッセージを隣の風炉へと見せる。
――2名とも死亡を確認している。
男性の方は業務上の機密から、少女の方は遺族による遺体引き渡しの拒否によるもので電脳の状態が明らかになっておらず、課ではこれを"カーボンコピー"の関連事件だとはまだ判断していない――という内容だ。
確認して、風炉は目線をカップへと外す。

「彼らの遺体に共通する目立たない傷について、私の方で調べていてね」

画面を見られたかと思うような軍警の切り出し方に、雪貞がわずか眉を絞る。

「おっと、こういうの、君たちは聞いてはいけないんだったかな?」

軍警が手を開いたのを見て、いえ、とくせっ毛を抑えて雪貞が返す。

「続けて下さい」

「ダイレクトドロップをもう一度開いてくれるかな」

タブレット端末へ飛ばされる、数枚の画像データ。解像度が低い。いくつかの角度から撮られた脳の簡易放射線スキャンのように見えるそれは、いずれも同じ位置が黒ずんでいる。

「"カーボンコピー"がこれまでに出した被害者の脳、そして今知らせた二人……実業家の男性とR-1Nの少女の脳だ」

放射線スキャンなら……データを壊すことはあれど流出はなく、外見上遺体を傷つけることもない。
同じところが傷つけられているだろう?と軍警は目を閉じる――環境課ではすでに明らかになっている情報だ。
"カーボンコピー"の被害者に特有の傷。
後頭連合野に付けられたこの傷は電脳使用者の重覚を異常に向上させる。
共通する傷、粗雑な模造品。

「この傷にどんな意味があるのかは分かっていないんだが、"カーボンコピー"の被害者にはこれが必ず……ほとんど必ず付いていて、彼らにもそれがあった」

未確認の情報だからまだ内密なんだけどね、と彼は付け加える。
雪貞がタブレットに『軍警と環境課の共同捜査はローカルのデータベース単位でも行うべきでは?』とメモをするのを横目にしながら、風炉は少しだけ残っていたコーヒーを飲み干す。
目の前の軍警は落ち着いた様子だが、先程の語り口から言えば……内心穏やかでなくてもおかしくはない。
彼が仕事の上で培ったきた――小さく心に留めた信念が、恐らく困難にさらされているのだろうと風炉は感じた。

「共有ありがとうございます」

究明したい。
雪貞だって、"カーボンコピー"の捜査には率先して参加してきた。
何かしらこの事件群に危機意識をもっているのだ。
この未知の状況を紐解きたいという気持ちが彼らの力になるのであれば、それは良い結果のはずだ。

「必ず解決しましょう」

風炉はそう頷いた。
軍警は渋く笑い、雪貞がタブレットを叩いて――今しがた受け取った画像データを情報係へと流す。


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――――。
――傷つけられた二つの脳の写真。それが課長室のモニターにポップアップする。
それを確認し、環境課の代表である皇は軽く頷く。
彼女とデスクを挟んだ向かいには二つの黒い影……二人の腕につけられた腕章は、デスクの照明を受けて紫光を照り返す。
環境課の裏の顔。
皇はモニターに光る次のポップ通知を一旦見送り、口を開く。

「重力災害の遠因となりうるため割り込みで対応してもらったが」

コーヒーを机に置いて、

「問題が顕在化する前に間に合った様だ」

そして目の前の二人に目を合わせる。
黒猫は瞳を伏せるように小さく頷いた。

「ご苦労」

隣で佇む後輩もそれに倣い、持ち替えたデバイスのモニターが明滅する。
実業家と少女の写真が映るリストの下に、新たな写真がスライドする。
傷つけられた二つの脳と、内部処理完了の文字。
終始、ほんの僅かに口角を上げたまま表情を変えない黒猫の少女。
そして全くの無表情で、わずかに目線を落としたままの血の気のない女。
二人を確認し、皇は通知を開く。
矢継ぎ早のメッセージは逃走中の殺人犯と確保作戦の立案要請だった。
一息つく暇がないらしいと知り、ふっと息を吐く。

「我々も解決に向かって動こう」

皇はそう呟いた。

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「あの……えと……」

同時刻、環境課受付窓口。
案内係との業務引き継ぎというほんの一瞬。
臨時で席についていたフォスフォロスは、目の前で胸を張るスーツの男へと曖昧な笑いを返す。

「前!年度にご依頼のありました市民生活の調査について更新が御座います」

卓上に置かれた名刺には【三位総研ホールディングス】の企業名が燦然と輝いている。

『経済格差の是正について提言が御座います。機密情報の為、プライベート回線にてお伝え出来ればと思いまして』

そして――目の前の男からの電脳通信でのアクセス。怒涛の営業。彼が庁舎へ足を踏み入れ声をかけてからここまでの手順を踏むまでわずか数分。

「えと……岩世チトセ様ですね。アポイントメントはお取りになられましたか?」

「ええ!本件並びに情報の漏洩防止にについてはメッセージを確認いただいているはずです」

チェック――そのようだ。
けれど直接来庁するとは一言も書いていないので、フォスフォロスは困った。
“カーボンコピー”の対応は散発的で、突然動き出す。
D案件で庁内勤務する職員が減ったのもあり、人手不足な現状では、細やかなオペレーションを必要とする確保作戦を実行するのが難しい。
何の気なく席を代わってしまった自分をわずかに呪い、このようなケースの対応策を数パターン構築。
課員会話用のテキストセットへと組み込んで……、当然そうしている間にもセールスは続く。

『機械学習による無意識下での動機づけを利用し――』

ジッ、と呼び出し音。
――割り込み。
管制室からの通信は逃走中の殺人犯と対応する確保作戦を伝えている。

『フォスフォロス。衛星視界を共有して下さい。――どこにいるの?ああ……案内には枝を出すから、モニター対応させてこちらへ向かって下さい』

『――セキュリティ向上に関してもお話があるのですが』

フォスフォロスはやや混乱しながらも大きな背でお辞儀をして、岩世がひょいとアンテナをかわす。

「あ、あの!お呼び出しがありましたので、お話の途中ですが失礼します」

「おや」

「すみません、お聞きしておりました内容は蓬莱さんに引き継いでありますので、続きをお願いします」

『ご用件を、どうぞ!』

声を後ろにして、視界を切り替える。
庁舎内ネットワーク、各地の観測カメラが現場の課員を映す。
処理係や特対の姿、乾いていない血痕。


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――――。
管制室の物理モニター、そして視界にオーバーレイするARモニターには、複数地点から共有された視界情報と観測結果が瞬いている。
映像データを脳裏で注視しながら駆け下りてきたフォスフォロスは、座席の夜八がモニターの光芒を受けながら指示を出している姿をみとめ、次に出入り口のすぐ脇に立った隠岐に目を合わせた。

「見てのとおりよ」

フォスフォロスは指し示された座席へと戻り、視界共有の確認と状況ログの確認を行う――完了。

「短時間のうちに三箇所で“カーボンコピー”の実行犯が発生しているわ」

隠岐は目を閉じて何かを聞いているようだった。
時折顔を斜め上へと逸し、ARを確認しているような仕草。
フォスフォロスには庁舎内のリンク状態が見えている。
皇純香――個人回線。
祇園寺ローレル――個人回線。
そこまで確認し、自分のオペレーションへと集中する。


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瓦礫、砂埃、破砕音。

『コニー、先行くぞ!』

『置いていくなって……!』

荒っぽく足を鳴らすガメザを先頭に処理係が表通りを駆けていく。

「単独行動は危険ですよ……!ドーベルマンさん、その角を左へ」

『Copy』

疾駆する翠色の髪の向こう、建物の奥側、カメラ上では、挟撃の体制を取るドーベルマンが写り、徐々にポイントが近接していく――


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『その武器は捨ててー……投降してみませんかあ』

『瑠璃川、話の通じる相手じゃなさそうだ……私が先に行く』

暗がりにナイフを向けて声をかける瑠璃川は、声色とは裏腹に張り詰めた身のこなし。
ナタリアはスタンブレードをゆっくりと半身に構え、目を眇めて一歩前へ出る。

「視界情報が悪いです。走査する10秒間は向こうから動きがあるまで動かないで――フォスフォロス、ここはあなたの視界誘導が要りそう。代わって」

フォスフォロスは頷く。
オペレーションの主導を交代し、他の現場への画像処理を分体おキャットと隠岐に任せる。


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『武装解除のタイミングで既に一撃入れています。動かないうちに捕縛しましょうか』

『どうだろうね。まだ念の為構えておきたいかな』

「走査完了。サーモグラフィーの映像情報を視界にオーバーレイします。体温を見る限りではどちらもまだ生きています」

モニタの左側に映る工業地帯では、散葉と軋ヶ谷が倒れた人影を前にじりじりと歩を詰めていくのが見える。
二人の足取りは大胆だが抜け目ない。
ARの処理を行いながら、おキャットはコンタクトレンズより送られてくる映像の拡大を開始する――


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「係はバラバラですね」

「現場に近い人員を割り振ってもらいました!」

港の現場のオペレーションを代わったフォスフォロスが呟き、夜八が返す。

「D案件でも係混合作戦が主だったので問題はないわ」

夜八の頭が動く。
市街地外周、ドーベルマンとガメザの現場で動きがある。


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表通りを駆けていく課員たちの視界情報。
進行方向から逃げてくる市民の間を潜る様に、飛び越えるように、建物の壁に鋭い足跡を刻んでいく。
か細い声が耳に届き、ブレーキを掛け、ガメザは確保対象を睨みつける。
切り落とした自身の指と被害者の指を並べて、くぐもった声で断続的に笑っている女。

「ガメザさん、対象と接触します」

確保対象――痩せぎすの女は、大股で近付くガメザに気付いて一度だけ視線を動かしたものの、すぐに次の指を並べる作業に意識は戻っていく。

『環境課だ。今すぐそのデケーやつを捨てて投降しろ』

『……ほら、私の指の方が長いのよ。綺麗でしょう?』

『どっちも似た様なモンだろ』

咄嗟に出たおざなりな返答はこれ以上ない挑発になったらしく。
後頭部に差し込まれた洋裁鋏を引き抜いて女が立ち上がり――視線がガメザに向いた直後、飛び出したドーベルマンのスタンロッドがその脇腹に押し当てられた。

『動けば撃つ』


***************************************


隠岐の目は港の現場へと移る。倉庫の中は依然見通しが悪い。

「ナタリアさん……っ」

カメラの視界がはっきりして、フォスフォロスは息をつく。
ナタリアと呼ばれた金髪のサイボーグは凶器を持った右腕を捻り挙げながら、確保対象の首筋にスタンブレードを押し当てている。

『抵抗するな』

義体の力で抑え込まれた四肢はまともに動かす事さえ出来ない、詰みの状況だ。
このまま拘束すれば……とナタリアが捕具に手を伸ばした、その時。
抑え込んだ男の口から低い唸り声。その左腕がずるりと分解し、3つの爪を持った作業用のマニュピレータへと伸長する。
目を見開いて、

『抵抗するなって言いましたから……っねえ』

爪の一端に瑠璃川が差し込んだナイフが噛み合い、ナタリアがトリガーにかけた指に力がこもる。


***************************************

おキャットがモニタリングする現場では、画像検証が淡々と進む。

「被害者の体温は低下していきますね……既に死亡していると思われます」

動きはない。軋ヶ谷が獲物を構えたまま返す。

『そっか。もう一人の方は?』

「……体温は維持されています。俯せになっているだけかと」

『……死体の頭の上で?』

「…………」

インカムの向こうから、うっ、と呻く聞こえた気がした。
何かを啜る様な小さな水音。
見る間に険しくなる散葉の顔。
足早に近づく軋ヶ谷――

『そこまでにしておこうか』

指はもう引き金にかけられている。

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「状況終了」

加害者三人が拘束された。
かつて環境課に訪れた係合同作戦の困難が、こうして役に立つことは皮肉でもある。
電子戦もなくオペレーションも無事に遂行できた。
夜八とフォスフォロスが軽く息をついた瞬間、おキャットが声を上げる。
耳障りな焼灼音。
終了――していない。

「電脳にアクセスしなさい!早く!」

メインオペレーターを飛び越え、隠岐の通信が現場にいる課員に届けられる。
課員の目の前、首筋より黒煙を立てる男。
口元を血溜まりに埋めた男は耳から異臭を放ちだす。
そして痩せぎすの女も、額に指を当て糸が切れたように体から力が抜ける。
モニター越しに見えるのは前回の確保と同様、未知の手段で自死を図る加害者たちだ。

「くっ」

ナタリアが義手の男をうつ伏せにさせ、電脳のセキュリティ越しにハブを繋ぐ。
環境課のネットワーク上にフォスフォロスが仮想専用線を構築し、そこへ隠岐が滑り込んだ。
男の瞳から光が消える寸前……ほんの一瞬、男の電脳へ接続が通る。
隠岐が侵襲する。

…………。

僅かな抵抗感。
攻撃を受けたのだと認識すると同時に、視界には永劫の闇が横たわっていた。
か細い繋がりの糸は断ち切られ、専用回線の汚染チェックが始まる。
おキャットの分体が隠岐の電脳へと流れ込む。

「何かいたわね」

「侵襲秒数が僅かの為ログに残った情報が微細です。解析します」

頷いて、

「焼けたのは?」

言葉が指すのはスプリングボード――身代わり用の電脳――の事だ。

「仮想の後頭連合野……ですね」

フォスフォロスがダメージ位置を図式化する。
それはこの事件における、唯一ともいえる共通点。
共通する傷、重覚の芽。
おキャットのクリーニングを確認し皇へと各種のデータを送りながら、隠岐はこめかみを爪でつつく。

「あれがカーボンコピーってことでしょうか」

夜八が言う。
しかしその挙動は不自然だ。
脳の特定部位に対して攻撃を仕掛けるプログラムという認識――では不十分にさえ思う。
この事件の連続性、そして不特定多数に起こっている同様の症例。
単独ではなく、何らかの目的を持って、それらはまるで、
「仲間を探してるみたい……?」


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祇園寺はおキャットの言葉を、マサカ!と笑い飛ばした。

「あらゆる可能性を考慮する必要はある」

皇はそう返しながら、マイクを外してモニターに並んだ観測結果に目を通す。
クリック、クリック、携帯端末をタップ。

「電脳が使えないのは不便かナ?」

環境課の電脳化率を指して老人ホーム並だとぼやかれたことを思い出しながら、皇は眉の角度をちょっぴり変える。

「長い付き合いになる。モニターで十分だ」

そうかネ?と腕を組み、祇園寺も脳裏で同じものに目を通す。
隠岐の電脳の状態も――異常は見当たらない。
おキャットのスキャンでは疲労すら確認出来ず、スプリングボードの買い替えは吉と出た様だ。
観測結果に目を戻す。

「傾向と呼べる様なものではないけれド、加害者の電脳の傷はほとんど全てが神経の異常活動による焼灼から生じていテ、外部からの損傷ではないみたいだネ」

だろうな、と皇は返す。
今回の作戦をモニターを見る限り、課員は確保をスムーズに運び、大きな外傷をつけるような事は起きていない。
それでも彼らは息絶えた。
その一方で、

「被害者の方は加害者による物理的な損傷ト、ハッキングを受けての損傷なんかもあるみたいデ、いくらかのパターンが認められたということかナ」

電脳を侵襲した際に捉えた指示プログラムによるものだろうか。
皇は少しだけ遮って、モニターを指差す。

「先程追記された件、被害者が退院後に同様の事件の加害者として振る舞うという事象が気になる。今回の犯人も一名はその手合いだな」

ああ……と祇園寺は顎に手を当て、外部ブロックからの調査書類を流し見する。
損傷した脳が鋭敏な重覚を獲得した状態で――同じような事件を起こす。

「増えていく点が大変良くナイ。相模でも一件あるようダ。医療機関への調査は既に打診してあるヨ」

「事件後はどうなっている?」

「ハハ!いつも通りニ」

ローレルが指を鳴らして皇のモニターに映し出したのは、ここ数週間で発生した殺傷犯の遺体だ。

「もう死んでいル」

平坦な声で告げられた事実は、予想通りの結末だった。

「加害者を生きたままで確保する必要があル、と衿奈チャンは言っているヨ」

「そっくり同じフレーズを今メッセージで受け取った」

指を組む。

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「お疲れ様です、風炉さん」

やや前方から聞こえた鈴の様な声。
小さな体の、ピンと立てた耳の、赤と黄色のオッドアイの、

「お疲れ様です、霧黒さん」

ネオンイエローの腕章をした黒猫の少女はほんの僅かに口角を上げて、柔和な笑顔を浮かべている。
エントランスを出たところで、風炉は彼女とすれ違う。

「遅番ですか?」

風炉の見せた心配そうな顔に、黒猫の少女ははい。と一言応じ、背筋を伸ばしたきれいな姿勢でエレベーターへと歩いていく。
その背を僅かに見送って、風炉は軽く伸びをした。
確保された加害者たちの検死解剖、そして情報整理に時間を大きく割かれ、とうとうこんな時間まで帰路に付けなかった。
最後にデータ整理をしていた風炉は、鑑識班の課員の眠そうな横顔を数度見送り、その上でやっと執務室を閉めた。
結果得たものはなんだろうか。
死体の共通点は今までの加害者と同様に脳の傷、発達した聴覚野。
大捕物をしても状況が進展したような感覚は乏しい――とはいえ、時間のかかる検査もある。
明日結果を見てからでも、焦りを感じるのは遅くないはずだ。
まだ、やるべきことはいくつもある。
風炉は浅く深呼吸をして、スクーターのある駐輪場へと歩き出す。
警備係に挨拶をし、植え込みを脇目に進み、角を曲がって。
じゃりっ、と音がする。
重い靴がアスファルトを踏みしめる音。

「業務中に失礼」

軋んだ声は街灯から外れていて、その姿は良く見えない。

「少し時間を作ってくれないかな」

穏便な口調。
もう一度重い靴の音が響き、風炉は立ち止まる。
そして……声の持ち主へと歩を進めていく。


***************************************

……。
耳をひくりと動かして、黒猫の少女が振り返る。
彼女はエレベーターの前で立ち止まり、耳をすませて物音を聞いていた。
何を喋ったのかまでは分からない。
けれど、風炉と誰か――声の低い男性が、二、三言葉をかわしているように聞こえた。
その後の靴音も聞いている。
スクーターのそれではない、野太い走行音も。

「…………」

一瞬考え、駐輪場へと目を向けるが、エンジンのかかる音は聞こえてこない。
後輩からのメッセージを確認しながら足を運ぶ。

『一分だけ遅れます』

コンクリートの影から顔を覗かせると、風炉のスクーターだけがそこにあり、周りには誰の影もなかった。

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