【得て、越えて、意を澄むなれば】:Cp.2

課員用入り口のセキュリティが解除され、そっと中を伺う。
自分がここにいることは駐車場の監視カメラによって把握されているだろうし、もしかすると今こうして覗き込んでいる姿も見られているかもしれない。
無性に恥ずかしくなって、駆け足で中に入る。
と、同時にポーチの中で連絡用デバイスが震え、電脳を通して通知を見る。
差出人は皇純香。
要件は至ってシンプルに『至急課長室まで来られたし』の一文のみ。
走るようなことはしないが、心なしか足早に課長室への道を進む。

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途中誰かとすれ違う事は無く、これは単なる偶然で、たまに離れた位置から庁舎内を歩くフローロに視線を向ける課員は何人かいたものの、特に気にすることなく自分の業務へと戻っていった。
そうして課長室の手前に到着し、一定のリズムで四回ノックをする。
数秒の間を空けて、ドアノブを捻り室内へ。

「失礼します」

ワンピースの裾が挟まらない様に気を付けながら、机を挟んで皇純香を見た。
狼森冴子と、祇園寺ローレルがその両側に立っている。
――狼森冴子の腰には樒が提げられていた。
それ見て何故か安心したフローロは、しかし話の切り出し方に躓いて口を閉じた。
短くない沈黙と重なって緊張感が、

「おかえり、フローロくン!」

祇園寺の調子外れに明るい声で霧散した。

「いやァ、皆君の帰りを待っていたんだヨ!」

笑い声とは対照的に、皇純香と狼の表情は岩のように硬いままで、それを当然感じ取っている祇園寺は唐突に無表情――多分――を作る。

「ト、素直に言えればよかったんだがネ」

肩を落とすこともなく、淡々とした口調で続ける祇園寺の顔は相変わらず見えてこない。

「今まで」

沈黙を割ったのは皇純香だった。

「庁舎を離れてから今日この時まで。一体どこで何をしてきたのか」

鋭い視線。
鋭い口調。

「お前の口から話してもらう」

そして、隠しきれていない疲労。
今もその表情の裏側では、大量の思考が行われているのだろう。
襲撃から一月が経ち、一通り見てきた街並みとは裏腹に、想像通りに、想像以上の状況である事が読み取れた。
そして抱えている問題をどう解決するべきなのか、その明確な答えや道筋が見えていないのかもしれないとフローロには感じられた。

「分かりました」

そのきっかけになるとは思えないが、自分の離脱と変化はその問題の一つでもあるだろうし、その流れを汲むのは当然として。
とはいうものの、何から話すべきだろうか。
まずはロナルドの誘いがどういうものであったのか、それに何と答えて、何故そう答えて、その後はセダンに乗って相模ブロックへと向かって――まで考えたところで祇園寺から待ったがかかる。

「口頭で説明しようとしていないかイ?」

どうして、と思ったが祇園寺は顔を指さして、何も見えないが。

「随分と表情に出やすくなったネ。まあそれはいいんだけどモ、今フローロくんは電脳化しているんだろウ?だったらそれを通して共有してもらった方が話は早く済むと思うんだけド、どうかナ?」

それは全くその通りで、電脳を使うという行為に慣れていない事が筒抜けだった。
間を置かずしてフローロに祇園寺からのアクセス申請が届き、それを承認する。

「場所はこちらで用立てさせてもらうヨ」

環境課に繋がる回線を通し、フローロと祇園寺が共有した情報は皇と狼森にも閲覧出来る状態になった。
一か月の記録を――もちろん重要ではない見せたくない部分は意図的にカットして――映像データとして祇園寺に共有する。
その要点を嚙み砕いて、分かりやすいように祇園寺が取り計らった。
電脳と非電脳の情報伝達速度の差を埋める為であり、場面ごとに区切りながらの報告が進められる。
第五元素の街並み、そこで暮らす人々の笑顔。
アルファマリアとロナルド・ハンティントンの会話、聖遺物の定義の共有。
義体化によって獲得した様々な感覚と戸惑い、嘔吐する映像は意図的にカットした。
様々なリハビリを行い、何故かほとんど傍にいたロナルド・ハンティントン。
後半にいくにつれてロナルド、ロナルド、ロナルド――いやちょっと待て。

「彼の割合が多くないかイ?」

振り返ってみて全くその通りだと思うが彼の顔を見ている時間がかなり長かったのは事実で、特別な意図はない事を伝えて再開する。
相模ブロックで発生した襲撃事件、その解決に当たった事。
転写と義体の費用をロナルドが用立てており、その支払いの代わりに一か月に一度程度のペースで彼に同行する取り決めが成されている事。
環境課ブロックを一通り回って、今この場に立っている事。

「以上で、以上です」

報告を見て聞いていた三人の表情に目立った変化は無く、やはり空気は張りつめたままだ。
そこからやや間があって、皇が口を開いた。

「それで?」

他に何か伝えていないことはあるか?という意図ではないらしい。
情報の秘匿を疑っている様には感じられず、何かを追及したりするような口ぶりでもない。
では何を尋ねているのか。
フローロ自身が伝えるべき何かを待っている様な、あるいは――。
その後の行動はほとんど無意識だった。
両手を前に下ろし、ゆっくりとストローハットが床に落ちて、頭部のアンテナが露になる。

「ごめんなさい」

勝手なことをしてごめんなさい。
心配をかけてごめんなさい、
大変な時にいなくてごめんなさい。
洪水の様に溢れてくる感情に従って、深く深く頭を下げた。
下げた目線と閉じた瞳では何も見えてはいないが、室内を覆っていた空気の重さが緩んでいく。

「二人は席を外してくれ」

二人分の足音が課長室の出口へと向かい、扉がゆっくりと閉まった。

「……フローロも頭を上げなさい」

どこか安堵した表情で、肩の力を抜いて大きく息を吐く姿が見えた。

「体の感覚はどうだ?」

「そうですね……。色がこんなにも眩しいとは思いませんでした」

特に誰にも伝えた事のない白と黒に覆われた視界。
環境課だけが唯一朧気な色調を感じられた対象であった頃に比べるとあまりにも、あまりにも目が眩む様な感覚だった。

「あと、味が分かるようになりました。前みたいにムッシュの激辛ソースを舐めたらひっくり返るかもしれません」

ようやく薄味を怯えずに食べられるようになった程度では、あの刺激物は危険物になり得るだろう。

「リハビリは済んだのか?」

「一通りは終わりましたけれど、本調子はまだ先になりそうです」

日常生活においてもかなりの不安が残っているレベルだ。

「さっきも階段でサンダルが脱げかけました」

「気をつけろ」

床に落ちたストローハットを拾って被りなおす。

「電脳化はどうだ?」

「機能としては理解出来ていると思います。ただ使用する機会や判断に慣れるにはまだまだかかりそうです」

先程の祇園寺の提案が無ければ長々と喋っていた事は明らかで、未だに理解しきれていない部分もあるのだろうとは思っている。
時間が出来れば、軋ヶ谷に教えてもらいたいと思っている。

「現実改変は?」

「もう使えません」

やり取りは二言で終了した。
それで十分だった。

「……ご苦労だった。環境課への復帰は業務に先んじて私から連絡しておこう。運動能力などが落ち着くまでは自室での待機とリハビリが中心になると思うが――」

穏やかな口調で告げられる言葉の意味を理解して、浮ついていた気持ちは瞬間的に冷え切った。
これは、違う。
間違っている。

「待ってください」

優しい言葉を遮って、フローロは鋭く皇を見つめている。
自分が戻ってきたことが歓迎されている事は理解している。
その程度には信頼されていた事も、涙が出そうな程に喜ばしいと思っている。
今が平時とは大きく異なり、感傷的になっている部分があることも十分に感じている。
だからこそ、『何事もなかった様に受け入れられてしまう事』が受け入れられなかった。
あからさまな態度に若干面食らったものの、皇はすぐに正面から向き合った。
――向き合ってくれた。

「まず、電脳の情報監査を行ってください。先程の報告では私個人のプライベートに関わる情報を、意図的に伝えていない部分があります」

そもそも、【フローロ・ケローロ】は疑われるべきなのだ。
ド取班員であるロナルド・ハンティントンと一月もの間を過ごしていて、それなのにフローロの報告を一方的に信頼するというのはお人好しが過ぎている。

「義体化してからの全ての映像記録と、この電脳から接続可能なネットワーク回線と、相模ブロックでの私の座標データの照会と――」

【国分寺周防】の一件もある。
根本的なところで彼女とフローロの立場は大きく違うが、電脳に疎いフローロには理解出来ない部分で何かが仕掛けられている可能性もあり、知らぬ間に新たな内通者として仕組まれていないとは言い切れない。
外面は普段通りであっても、内面がどうなっているかは確かなければ分からない。

「私の全てを、疑うべきです」

変わったのだ。
環境課も、環境課員も、環境課を取り巻く環境も、何もかも。
そうした流れの中で、変わったはずの『私』が変わらずに受け入れられるという事は、喜び以上にどこか悲しく、そして悔しいと感じてしまっていた。
待っていてくれたのに、待たせてしまったのに、何故か置いてけぼりにされてしまったような、敏感になった体と心は、そんな錯覚を抱かせた。
自分本位で、幼稚で、我儘な、一方的な考え方だと理解しながら、衝動的に口から出る言葉は紛れもない本心で。
そして、

「その結果に一つでも問題があれば、私を即座に破棄してください」

出来る事なら、誰かに知られてしまう前に。

「……祇園寺を呼び戻す。少し待て」

告げられた言葉はフローロの望むものだった。

「監査の結果が出るまでは隔離室で監禁させてもらう。課員への通達は無期限の延期とする」

「お願いします」

頭を下げる。
目の前の人にそんな表情をさせてしまった事実から目を逸らすために。


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