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【カーボンコピー】 Cp.1

代わり映えしない一日。
やや曇り空。
空調の音、わずかな陽気、昼食後の重くなる目蓋に抗いながらコーヒーを一口。
満足げな表情を見せた風炉は伸びをして再びモニターに視線を向けた。
羅列されている鑑識結果の整理と照合は終わる気配がない。
いくつかの現場証拠、指紋、靴跡、PTP包装シート……。
終わらないとはいえ、それは平穏無事な部類の遺留品である。


――環境課。


それは環境という治安を維持するための組織。
そのためにブロック都市の表と裏で日々を業務へと費やしている。
だから……モニターに映るのは、このように平穏無事な情報であるべきだ。
眠気に抗いながら書類を片付ける。
私たち環境課には、それくらいが望ましい。


代わり映えしない一日。
やや曇り空。
だというのに、両耳がざわついた。
コーヒーカップを片手に立ち上がり、窓際へと近付いて。
調査係の職員がそれに気付くが、横顔を見て、声をかけるのをやめる。
特に根拠のない嫌な気配――大きな事件を終え、このところ神経質になっているだけかもしれない。
風炉がそう自分に言い聞かせようとした瞬間、机の上に置いたままの携帯端末が鳴り響いた。

当たらないで欲しい予感でしたね、と思いながら耳につくアラームを止めて、端末に共有された情報を確かめる。
添付されていた画像をスクロールし――その指が一瞬止まる。

――吾妻ブロックにて殺人事件が発生。
――環境課員の到着時点で被害者は死亡。両耳切断。鼻梁切断。両上腕部及び両大腿部皮膚欠損、人相の認識が困難。非電脳。
――鑑識係による遺体の確認を要請。

「検死解剖の準備をしてください」

モニターの表示が切り替わる。差し込まれた言葉の意味を理解し、鑑識班の全員がデスクワークを中断して立ち上がった。


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『止まれ!』

鋭い声を受け、男は血まみれの眼鏡をなおして緩慢な動作で振り返った。

それは風炉のモニターに共有される視界映像である。
パイプ椅子をひとつ空けて座った軍警の担当者も同じ映像を確認するが、彼の手には端末など見当たらない。
電脳――ナノマシンにより、通信機器・計算機と融合した脳。
それで直接、視界映像を“見ている”からだ。


隣を歩くネオンイエローの腕章。
環境課員は二人で、その手には威圧的に警棒とスタンロッドがそれぞれ握られており、両者はかつかつと歩を進めている。
血まみれの男はこちらを一瞥して視線を戻すと、何事もなかったかのように作業を続ける。
つまり、地面に倒れた女性の頭蓋へもう一度ハンマーを振り下ろし、破砕された頭蓋骨の奥へ果物ナイフを差し込んだ。
さらにもう一本取り出されるナイフ。
女性は痙攣すら止まり、涙と折れた歯を地面に落としながら、男の手によって軟骨部位を慎重に切り取られていく。

『待ってくれないか?この……脳神経の後ろの塊と、耳の根本の骨が、一番いいんだ。何が良いって、触感がたまらなく好きでね。赤ん坊の指に似ているだろう?』

視界を確認していた軍警は少しうめき声を漏らす。
異常だ、冷めた表情のまま新鮮な耳介を揺らす男の様子は、どう見ても。
吾妻ブロックでこの手の事件が起きるのは、今月に入って二度目になる。
それはこの男が二人目の被害者に手をかけた――ということではない。
遺体を損壊する類の連続殺人事件が、これで二度目ということだ。

『クッ』

視界の提供者が駆けだして警棒を一閃――何の抵抗も受けずに振りぬかれたそれは、狙い通りにナイフを弾き飛ばす。
隣りにいた課員が男の背中にスタンロッドを押し付け、ヴンという振動音が響く。
腰から下の感覚を拭い去りながら、男をコンクリートへと倒れ込ませた。

『通報のあった容疑者を拘束した。搬送車両の手配を頼む』

『四分で到着するそうだ……どうした?』

拘束具を取り付けた環境課員の顔が強張り、その手は微かに震えている。
男性は俯せに倒れたまま、息もせず完全に拡張した瞳孔で空を見つめて、その白目が……にわかに充血していく。
容疑者は電脳だ。
処理係の環境課員は慌ててスプリングボードを整えアクセスを試みる。
しかし、そこに広がっているのは、わずかな光芒を瞬かせ、そして暗く沈んでいく格子。
情報が消えていき、踏み台越しでは間に合わないと思うのもつかの間に、永劫の闇が訪れる。
容疑者の脳は、既に死んでいる。

『なあ、こういう時ってどうだっけ…….。俺の判断ミスって事になんのかな』

視界映像はここで終了した。



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「死亡した理由はスタンロッドの照射によるものではありません」

軍警担当者が鉄床の顎を押さえ頷くのをみとめながら、風炉は向かいの解剖台へ目を向ける。
横たわっているのは見るも無残な遺体と、トレーに並べられた鼻と耳。
久々に見る肉の色はやけに鮮やかに映る。
風炉は目の前の男へと向き直った。
腹部をスキャンし、切創を撮影し、視認での検分を終えメスを手にしたところで、はたと手を止めた。

「ブロック内で直接対応したのが環境課員だと聞いている。解剖の許可は軍警からきみたちに委譲されているが……」

「ありがとうございます」

「……そんな許可をお役所に出してどうするのかと思っていたけど、君たちはこういう仕事もするのかい」

風炉は振り返らないまま血液を採取する。
手際よく進められる作業を横目に、担当者は無言で軍警のデータベースへとアクセスした。

「環境課では“カーボンコピー”と呼称されているらしいね」

「被害者群の関連性も、加害者群の関係性も全くない、それでいて類似性のある連続殺傷事件。ですか」

風炉は担当者の方を向いていないが、人工声帯の震わす通りの良い声が、そのままの調子で続けられる。
連続殺傷事件――その発生件数そのものは多くない。
吾妻ブロックの内外を問わず全体で四件。
しかしそれらは全て、今月に入ってから記録されているものだ。

「発生時間も発生場所も、殺害方法、動機、何もかもバラバラと伺っています」

これまでに軍警より共有された情報から共通点を見つけ出す方が困難なほどに。
担当者が脳裏で眺めているのは加害者と被害者の個人情報一覧だった。
住んでいる場所、年齢、性別、犯罪歴の有無や互いの面識など、あらゆる条件に統一性が無い――確保時に記録された加害者の証言を参照する。

「脳神経を経口摂取することでしかエクスタシーに到達できない、遺体の特定部位を触ることが快感である、電脳の優位性を示したいという、一見してわかる動機の異常性は共通点かもしれない……。君たちはどう思う?」

「加害者は今の所、全員が確保前に、あるいは確保時に命を落としている……と聞いています。ですので、」

ので、異常性という共通点について調べるには、加害者の周辺人物から、あるいは彼らの残した膨大で無意味な生活情報から、気の遠くなるような時間をかけて引き上げるほか無いのかもしれない。
……もしかすると。たまたま、偶然、至る所で散発的に、全く同じような殺傷事件が発生しているだけという可能性すらもあった。

「全く関連がない。という可能性もあるのかもしれないね」

それは風炉に投げかけるというよりは、独り言のような声色で投げかけられた。
肯定も否定も想定されていない、味気ない可能性を思い出すための独り言のような声色。
しかし――

「関連は……あると思います」

磁気スキャンを用いて遺体の脳を検分していた風炉の手が止まり、手袋を外して鉄床の顎を持つ軍警へ振り向く。

「後頭連合野――視覚情報の意味認識を司る部位ですが……この部分の損傷が、先の1件の被害者2名も含めて共通しています」

解剖台に載せられた顔のない遺体、そして血まみれの眼鏡の男。
調査1係の職員がてきぱきと内蔵をトレーに乗せていくのを後に、風炉はエプロンを外し、消毒室に入る。

脳神経の損傷が映された画像――その様相と対照的に、おそらくこちらは……神経接続が発達した部位。
データを情報係とヘレンへ送信し、研究室へと階段を登る。
高揚感ではない、嫌悪とも違う。
名前のない感覚に肺のあたりが冷たくなるのを感じ、長く伸びた耳がこわばっていることを風炉は自覚した。
不可解な事件、未知の事件――切り分けて、真相を明らかにしたい。


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「報告書を見た」

皇は課長室のコンソールを打鍵し、入室したフェリックスの挨拶も待たずにそう声をかけた。

「確認ありがとうございます」

損傷の激しい遺体写真が挟まれる鑑識報告の冒頭を読み飛ばし、風炉の所感、そして技術系――高次元物理学の専門家、フェリックスとヘレンからの検査結果へと目を向ける。

「他関係者の脳損傷についてですが」

フェリックスの言葉に先回りして、

「別ブロックのもう1件についても情報係に走らせたが、被害者加害者を問わず、全ての鑑識結果で同様の部位に損傷が見られるとのことだ」

そう皇が切り返す。
それよりも、

「サヴァン症候群についての記載が気になる」

「添えておりますが、脳神経の発達部位に偏りがある場合に――」

と言いかけて、フェリックスは皇の目に気付き、わざとらしく笑ってみせた。

「説明は省きます。人為的なサヴァン症候群――脳発達です。あるいは、盲目の方が超聴覚を持つことに似ているのかもしれません」

要点を話しましょう。
そう続けられ、拡大した脳のスキャン映像が皇の見ていたモニターに映し出された。

「電脳の後頭連合野の一部……ここですね。これを傷つけられると、多くの場合相貌失認の症状を呈するようになるのですが――」

一度区切り、

「代わりに、聴覚野近辺の一部。我々が重覚の感知に関連性があると見ている部位です。この部位の神経接続が異常に増加するという現象が見られます」

そう、締めくくられる。
重覚――“重力の感覚”。
四次元のエネルギーに関わる学問、高次元物理で取り扱う単語だ。
多くの場合、この単語が出てくる話題は……穏やかな内容にはならない。

「では事件の加害者、被害者全員が重覚を?」

「いえ……ヘレンさんの話では、電脳施術を受けていない限り、この部位へのダメージは致命的なようです。このため、“電脳を持っている加害者、被害者”に限り、重覚を得ていた可能性があります。」

それと――

「一部訂正させていただきますが、“鋭敏な”重覚です」

「…………」

一拍を空けて、

「“カーボンコピー”は続くと考えよう。生きた状態での加害者の確保と、襲撃を受けて存命している被害者の捜索が必要だな」

皇はそう返す。
脳の損傷が意図的なものだとして、その損壊が重覚を発現させる事を目的としているならば、儀礼派の策謀か――どうやって?
あるいは、その先に別の目的がある可能性も考慮した上で、それを探る必要がある。

「すぐに各部門に通達する。そちらからも各係への指示を任せる」

「承りました。失礼します」

丁寧に頭を下げてフェリックスが退室したのを見送った。

わずかに書類作業を進めた皇は、モニターに表示された連絡、そして携帯端末へのメッセージを見つめ、嗜好品ゼリーの袋を破く手を机に置いた。
そして少し間を置いて……秘匿回線を開く。
課長直属の工作部隊、環境課の裏側をすべる職員へ。

『環境変動値に異常を確認。変動値ファクターである対象者を“この連続事件と同様の手口で”処理する事。以上』

添付される対象者の情報は、R-1N地区の子供。
出身も、経歴も、家族構成も、犯罪歴も、社会的な害が一切認められないただの子供の情報だ。
あどけない顔写真と、彼女の家族についてのとりとめのない記載が走る。

『了解しました』

黒猫の工作員から簡潔な一言が返され、皇は目を閉じる。
……彼女の小さな背中を思い出し、深く息を吐く。


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【Cp.1】

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