【簡易的ビターコーヒー】
「いらっしゃいませー。新発売の完全栄養タブレットはいかがですかー?」
流暢な機械音声で紡がれる宣伝文句はあまりにも味気ない。
だがそれに反して売れ行きは好調でカートに積み上げられていたであろうボトルの山は半分ほどまでその標高を落としている。
再び耳に届いた呼びかけに視線を向けかけたフローロの肩をナタリアが軽く叩き、
「見てたら買わされるぞ」
慌てて体の向きをナタリアと同じに向けた。
肘にかけられたプラスチックの黒い籠には何も入っておらず、そもそも食料品コーナーに足を踏み入れたばかりなのだから当然だ。
「結構買い物には来るんですか?」
以前ナタリアのセーフハウスを訪れた時に見たものといえば純水とアルコール飲料、そして少量のインスタント食品くらいだったはずだ。
あまり頻繁に通っている姿が想像出来ず、返された答えも想像の通りである。
「たまに来る程度だよ」
一玉千円程度の天然栽培されたキャベツを素通りする。
「ここの野菜は高いからな」
やけに脂身の乗った、というかほとんど脂身しかない真っ白な培養マグロの切り身を素通りする。
「脂っこくてしつこいからあんまり好きじゃない」
ベーコンのブロックと十個入りの卵のパックを一つずつ籠に入れて。
「後はこの辺だな……」
電子レンジで温めるだけで食べられる様なランチセットをまとめてその上に重ねた。
「じゃあ会計済ませて帰るか」
五分もしないうちに踵を返そうとするナタリアだったが、
「えっ」
フローロの驚いた様な声に若干顔をしかめた。
「必要なものはこのくらいだしな」
「何か買い忘れてるものとか……」
籠の中身を一瞥して、ふと気付く。
「コーヒーの予備を忘れてたな」
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「何で不機嫌になってんの」
「なってません」
結局フローロはナタリアのセーフハウスまでついてきていた。
家に上げるのが初めてという訳でもないし、追い返す様なつもりもない。
強いて言うならば『何故』という程度だ。
「お邪魔します」
模様替えもしばらくされていない部屋の中は雑多なようでそこそこ整理されている。
机の上にある空き缶から飛び出した吸い殻を目ざとく見つけて視線を送ると、ナタリアはそれを押し込んで何事もなかったようにゴミ箱へと放り込んだ。
「床じゃなくてベッドに座ってていいよ」
「ありがとうございます」
小さくとスプリングが軋む。
火をつけられた煙草が白い煙を立ち昇らせるのをフローロは眺めている。
半分ほどが灰になった頃、
「で、今日はどうしたの?」
庁舎の外で出会ったのは偶々だが、そこからの彼女の行動は予想していなかったものだ。
あまり意味のない行為をしない性格だと思っていたし、それは実際のところ正しくもある。
合理的でない無意味ともとれるこの時間の目的は、しかしフローロ自身もどこか困惑している様だ。
何度か口を開いて閉じて、言葉にしようとして形にならないその感覚を何度も練り直す。
一本目の煙草を吸い終わり、二本目に火をつけたところでその答えは唐突に表れた。
「なんとなく、ナタリアさんと一緒にいたいと思ったので」
服の裾を掴んでいたくなるような、得体の知れない感傷を抱いたのだと思う。
けれどその理由も、切っ掛けも、何一つ思い至るところは無い。
だから、なんとなくなのだ。
「――はっ」
「何で笑うんですか」
「なんとなく?」
少しだけ誇張した真似事にそうですか、と淡々と返されて少しつまらなさそうに。
そのやり取りを遮る様にケトルから電子音が鳴った。
マグカップにインスタントコーヒーをスプーンで一杯、二杯と入れてお湯を注げばいかにもらしい香りが漂う。
「飲む?」
「頂きます」
少しだけ冷まして口をつけて、目の覚めるような味わいが舌先から伝播した。
「にがい……」
顔をしかめたフローロに向けられた視線は生暖かい。
なんとなく追いかけて、なんとなく受け入れて。
友人の様な、あるいはまた別の。
高望みでしかないその関係性が言葉になることは無い。
口直しに手渡されたビターチョコレートはほのかに甘かった。
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【簡易的ビターコーヒー】
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