【妄想を中断する為の心得】

ホテル・カデシュ、ニューヨーク。
今日の会合は会員だけが出席できるものであり、本来であればエイルが参加出来る権利は無い。
裏社会への距離は遠ければ遠いほど良い—―そう思っていたのは数日前の話で、編集長から手渡された指輪には会員No.が刻まれていた。

「これは君の会員証だ。絶対無くさないように気を着けなさい」

ホテル・カデシュの名前に独力で辿り着いて以降、どうにも彼から強い興味と信頼を抱かれている様で困惑が残るのもまた事実。
あまり気は乗らないが、わざわざこんなものを用意してまで出席する機会を作ってくれた彼の頼みを断る訳にはいかない。
先日よりも浮ついていない空気を肌で感じながら、フロアへと続くエレベーターに足を踏み入れた。

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「……アンドロイドと人間の見分けもつかないのか?番犬としての爪も牙も無い、まるでポメラニアンだな」

「あ”ぁ!?」

暗い通路でボディチェックをしている二人の空気は険悪だった。
巌の様に大きな男が赤髪の青年を挑発しており、今にも飛び掛からんとするその姿のどこがポメラニアンだと言うのだろうか。

「おや、失礼しました」

殺意すら混ざる視線を意に介さず、目の前の光景に一歩引いた会員へと声をかける男。

「チッ……。おい、こっちだ」

不機嫌を隠すつもりもない青年のボディチェックは少し荒々しい。

「通っていいぞ」

「ありがとう」

「おう」

言い争いが再開する前に扉を潜る。
杞憂だったようで、背後からの怒声が聞こえてくる事は無かった。


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カウンターには先月会った女性ともう一人、色で例えるなら紫—―長身の女性が立っている。

「ウイスキーを一つ」

前回は在庫切れで飲む事の出来なかったグラスを受け取り、カウンターの端に座る。
今日の会合を訪れる人の数はどこかまばらで、幼い子供の姿も見て取れない。
耳に届く会話もどこか控えめで、探り合う様な喧噪とはほど遠かった。
故に。

「何してんだ」

そこから更に遠くにあろうとする自分が目についたのだろう。
赤髪の青年が自分を見下ろしていた。
武器の持ち込みが禁じられたこの会場で、腰に刀を下げる事が許される特権を持つ者。
胸元に輝く金色の証。
恐らくはコマンドメンツ—―武闘派の一人。

「お酒を、楽しんでいました」

喉の奥が渇く様な緊張感。
当たり前の事を伝えるだけの稚拙な返答に、青年は表情を歪ませた。

「会員限定の会合なんざ滅多にあるもんじゃねえ。どいつもこいつも繋がりを広めようと思ってここに来てる」

「そうなのですか?」

「俺たちとの関りをもっと強めたいってのもあるだろうがな。……俺たちに足りないのは物量だ」

絶対的な人数差は覆せない。
目の前の青年が見た目の通りに戦いに優れた人材であるとして、百の機関銃を前に生き残る事が不可能であるように。
ホテル・カデシュとて一枚岩ではない—―その上で、国家権力の全力を相手取る事は出来ないのだろう。

「なるほど……」

「んで、お前は何してんだ?」

ここにいるその他と自分の決定的な違いは、裏社会そのものに対する興味の有無。
純粋な興味と好奇心による行動は、言い換えれば観察だ。
ただ見る事、そこにいる事自体が目的であり、能動的に何かをする必要はない。

「……小説のネタを探したけりゃここじゃないどこかでやるんだな」

ホテル・カデシュの内々で来客の情報共有がされているのは当然であり、エイル・アーデンという人間の来歴を見ればその答えに辿り着く事は容易い。
しかし、彼の言葉はそこから来たものではないと直感的に理解していた。

「何故、私が小説家だと?」

「んなことは知らねえよ。ただ、この場所に来ておいて端っこに座って周りを見るだけのやつなんざ、情報を仕入れに来たとかそんなもんだ」

見透かされている――。

「周りの話を聞いて、そんで勝手に妄想して……。つまんねえことがしたいならずっとそこに座ってりゃいい」

侮蔑とも取れる言葉を残して彼は立ち去っていく。
それは本心であり、忠告なのだろう。
エイル自身の情報など彼らがその気になればいくらでも手に入る程度のものだ。
何もしないという選択は逆に目立つだけで、この場において無害な存在は彼らの席を一つ埋めるだけの邪魔者になる可能性もある。
青年の言葉の通り、自分が立ち入る場所はここである必要はない。
だからこそ—―彼の言葉は深く突き刺さる。
勢力を拡大したいホテル・カデシュにとって無害な異分子は何の利益にもならない、不要な存在だ。
それをあえて受け入れている真意と、その選択に至った彼らの価値観を蔑ろにする行為であると気付かされた。
倫理も常識も何もかも異なるこの場所で、白くあろうとする選択の愚かさ。

「見た目にそぐわない—―」

優しい人だと言うべきではないのだろう。


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足元に引いた表と裏の境界線を踏み越える決意はあっさりとしたものだった。
もちろん、本心の所で強い繋がりを求めている訳ではない。
彼らにとって何らかの利益を提供する事は出来ず、また彼らの何らかを自らの利益とすることも望むべきではない。
ただ、白い傍観者である事を良しとしない意図を汲み取る事は出来る。

「こんばんは。お一人ですか?」

自ら声を掛ける—―その程度の一歩。

「え?ああ、連れを待っているんだけどね。まだ来てないんだ」

「そうでしたか。私、エイル・アーデンと申します」

「エイルさんね。僕はエミリア・ベルウッド。よろしく」

金色の髪をした少女—―女性。
手に持ったビールを一口だけ飲み、視線が向けられた。

「エイルさんは何しにここに?」

「私は小説家でして。何か良い刺激になればとご紹介頂きました」

「へぇ……。まあ、ここならネタには困らないだろうね」

ほんの一瞬細められた目元に込められた警戒心はすぐに隠される。

「少し刺激的すぎますが……。エミリアさんはお仕事は何を?」

「僕はハッカーだよ。まあハッカーと言っても、ゴミの山からログイン用のパスワードを調べたり写真から個人情報に繋がる何かを見つけたり、その程度さ」

聞く限りは探偵に近い様にも思えるが、それ以上の詮索は必要ない。

「中々地道なお仕事ですね」

「そうなんだよね。まあ映画みたいにはいかないよ」

短い愛想笑いで返し、会話はそこで途切れた。
漂う無味乾燥な空気はどことなく居心地が悪く、しかし場を切り返す言葉も用意していない。
それはエミリアも同じだったようで、扉の方に視線を何度か向けていた。

「ああ、小説のネタと言えばさ」

彼女の背後で話す複数人を指差して。

「あっち、G.C.C.って連中は結構面白い話をしてるかもよ」

「教えてくれてありがとうございます」

気を遣われてしまったなと反省しつつ、その場を離れる事にした。


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結論から言えば、G.C.C.と呼ばれた彼らの会話に加わる事は出来なかった。
耳を掠めたのは商談に関わる内容で、それに割って入るだけの理由を持っていないという事。
もう一つは、たまたま—―そう、たまたまだ。

「貴方も支配人にご挨拶を?」

話しかけられて振り返った先、部屋の隅にある豪奢な椅子に一人の男性が座っている。
ホテル一階の奥に飾られた銅像と同じ顔—―マックス・シルバーフォーン。

「こちらに並んでいるのでしょうか?」

「結構長く待つかもしれませんが、よろしければ」

二つ返事で男性の後ろに歩を進める。
ずっと、気になっている事があった。
編集長が持つコネクションのおかげでホテル・カデシュとの繋がりが出来た事は事実だ。
しかし同時に彼はこうも言っていたはずだ。

『支配人には連絡をしておこう。断られた時はそれっきりだと思ってくれ』

つまり断られる事を前提とした申し出は、その予想とは真逆に受け入れられている。
その時点で、今も変わらずにだが、エイル・アーデンという個人が琴線に触れた理由はなんだったのか。
自分と同じように表社会に身を置く者も少なからずいると仮定して、それでも何故と思わずにはいられない。
それをそのまま伝える事は出来ないが、その一端でも感じ取ることが出来れば—―。

「失礼。列の最後尾はこちらでしょうか?」

耽っていた思考から引き戻される。
長身の男と、傍らには少女が三人。

「並ばせて頂いても?」

「どうぞ」

柔らかい微笑み—―そこに違和感はない。

「失礼ですが、初めましての方ですよね?RAVEN‘S EXPRESSの代表を務めております、ハンス・ギーベルトと申します。そして隣が」

「ナタリア・ディーチェです」

肩の近くで回るホログラムロゴ。

「エイル・アーデンと申します。あまり売れてはいない小説家です」

「小説家……ですか。どういったジャンルの作品を書かれているのですか?」

「主にミステリーを題材にしています」

「ミステリー!それって人が死んだりするやつですか?」

「まあ、そうですね。最近出したものは殺人事件が起こりますね」

「題名を教えて頂いても?」

「『晩餐を楽しむ為の心得』というタイトルです。もしご興味があれば、手に取って頂けると嬉しいですね」

思った以上に興味を持たれた事に驚きつつ、紙媒体の持つ魅力について語りあう。

「では、ここには小説の為に?」

「ええ。もちろん、ここでの事を書くつもりはありませんが」

その程度は弁えているつもりだ。

「そうでしたか。しかし、お一人ですか?」

怪訝な表情—―疑うというよりは何かを確かめる為の様でもある。

「そうですが、何か気になる事でも?」

「見たところ腕っぷしに自信がある様には思えませんし、護衛の一人もついていないというのは少し心配ですね」

人を殴った経験というのは思い返しても中々出てこない程度に無い。
護衛というのも考えから抜け落ちていた要素であり、必要がないとすら思っていた。
裏社会に生きる人々の価値観や生き様、そこに至った過程に僅か触れる事が出来れば良い—―などと自分本位に都合良く。
無害であれば、無価値であれば、道を歩く蟻をわざわざ踏み潰す様な振る舞いは起こり得ない。
その様に、妄想を描いていたのだと今日は何度も自覚させられる。

「あまり目立ちたくはないのですが……」

「その程度で目立つ事はありませんよ。護身程度に何かを用意しておくべきです」

それは初対面の相手に向ける当然の心配—―

「彼女はそうした銃器やアタッチメントを作成する技術があります。必要になりましたら相談してください」

にこりとした営業スマイル。
僅かかもしれないが、そこには思いやりの気配が含まれている様にも見える。

「ありがとうございます。その機会があれば、是非」


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「それでは、失礼します」

目の前の男性が下がり、数歩進めばそこにはマックス・シルバーフォーンが座っている。

「本日はご招待頂きありがとうございます。エイル・アーデンと申します」

「おお、君か!会いたかったよ」

—―困惑。
目の前の男性に、微塵も警戒心を抱こうとしない自身に対して。

「君の書いた小説を読ませてもらってね。非常に面白かった!」

「お褒め頂き、光栄です」

—―重ねて困惑。
編集長の紹介があればこそ、エイル・アーデンが作家であることを知る事は出来て当然だ。
しかしその作品を読むという行為に達するかはまた別の次元であり、自分がその程度に評価されている事に対しても同じく。

「……何故、私がご招待頂けたのでしょうか」

思わず口から出た言葉は無礼とも取れる問い掛けだった。
しかし気分を害した様子も無く、どこか楽し気に。

「君は何を書くべきで、何を書かないべきかを理解している人間だ」

—―恐怖、それを嚥下する。
これでも人を観察する能力は高いと自負している。
会話を経て、交流を経て、その人の持つ価値観や考え方を自分の中で言語化する程度は当たり前の事として身についている。
だが目の前の相手からはその一切を読み取れないでいた。

「次の作品を楽しみにしているよ」
「ありがとうございます。ご期待に添える様に」

すぐにでもその場を離れたい衝動を抑え、ゆっくりと礼をする。
そこを離れて深く息を吸おうとして、喉の奥が乾ききっている事に気付いた。


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マックス・シルバーフォーン。
ホテル・カデシュの総支配人。
相対して、何も読み取れなかったのは初めてかもしれない。
巨大な組織を束ねる長であり、背負うものもその覚悟も計り知れない。
その一端すら滲ませない振舞いと、何も読み取らせないその経験の差を痛感すると同時にそれを心地良くも感じている。
だからこその恐怖であり、それは一つの諦めにも似ていた。


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それからしばらくして、再びフロアの端に腰を下ろした。
時計を見ればそろそろ会合が終了する時刻であり、昂っている気持ちを落ち着けるには丁度良い。
カウンターで受け取ったワインを口に含み、周りから聞こえる声に耳を傾ける。
その中で一つ、明確な意図を持った言葉があった。

「それなら小説家のお兄さんと話してみたらどうだい?」

声の主は目立つ風貌の女性である。
それを投げかけられたのは横に立つ青年であり、彼に向けた視線が交わる事は無かった。

「そろそろ時間だ。さっさとロビーに出ろ」

赤髪の青年の声がフロアに響く。
会話は中断され、全員の意識が出口に向けられる。
手に持ったグラスをカウンターに戻し、人の流れに交わってエレベーターへと向かった。
次への予感を抱きながら。
境界線を踏み越えた自覚を抱きながら。

「ふふ」

声が漏れる。
それに振り返る者は誰もいない。


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【妄想を中断する為の心得】

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