【得て、越えて、意を澄むなれば】:Cp.3

隔離室――以前に国分寺周防を収監していたものに比べると随分居心地の良い造りのそこで、フローロは壁に背中を預けて座り込んでいる。

「はぁ……」

皇純香の顔を見ていられなかった事を何度も思い出していた。
務めて無表情であろうとして、随分と無理が滲み出ていたそれは間違いなく自分の言葉によって作られたものだろう。
苦しめようだとかそんな事は一切思っていないが、では何故?という自問自答の答えは既に見つかっている。

「子供みたいですね、私」

自分の望み通りにならなかった――ただそれだけ。
そもそも疑われて、その上で叱られて、ともすれば叩かれて、そして受け入れられる。
このプロセスこそが、自分が変わった事を受け入れてもらえた証であると、勝手に思い込んでいた。
隔離室に入って二日も立つ頃にはあの時の行動の原因は理解出来たものの、自分で自分が分からないと感じるのはこれで何度目だろう。
敏感な体と心は、随分とまあ図々しくなった様だ。

自分の役割はこうだと割り切っていた頃に比べると、考える事が、感じる事が、あまりのも多すぎると改めて理解を得た。
その結果として、自分はどうなってしまったのだろうか。
持て余し気味な感覚は、電脳に届いた連絡で遮られる。
隔離室の扉が開き、その入口には祇園寺ローレルが立っていた。

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数日前と同じく課長室には皇純香がいて、その両隣には狼森冴子と祇園寺ローレルが立っている。
狼森冴子の腰に樒はない。

「さて監査の結果だガ……」

たっぷりと間を空けて。

「電子ドラッグの使用履歴やバックドアになりそうな不明なデータは一切無シ。記憶映像の確認はフローロ君と同性の者に対応させたけれド、報告内容と異なる点は一切無シ。相模ブロックでの期間に違法な行為やそれに協力したという事実も一切無シ。いやはヤ、全く健全で素晴らしい結果だネ!」

祇園寺は何度か頷いて、狼森はちらりとフローロへと視線を送る。
僅かに交錯した後にゆっくりと閉じられて、それに応えるように小さく会釈を返した。

「連絡先にロナルド・ハンティントンの名前があるのハ、まあ君自身の都合だから何も言わないがネ」

もちろんロナルドとの連絡は全て環境課に共有されるが、彼としてもその程度は想定済みだろう。
環境課としては二人の間で行われるやり取りについて口を挟むつもりは無いらしく、警戒はするがそれ以上の干渉をして藪に手を突っ込む様な真似事はしたくないらしい。
その判断は恐らく正しく、フローロとしてもその方がやりやすいと感じている。

「環境課のネットワークへの接続は承認済みだヨ。もちろん閲覧出来る情報には制限をかけているけれド、君の業務には支障がないはずダ」

一瞬だけフォーカスを合わせるが、情報量が膨大過ぎたので今は閉じておく。

「その関係もあっテ、先んじて情報係にはフローロ君の復帰とネットワークへの接続承認を伝えてあるかラ、内々に攻撃プログラムを飛ばされル、なんて事は心配してくても良イ」

既にいくつかの通知が届いており、中には説教染みた長文が怒涛の勢いで記されているものが目に入った。

「こちらからの情報も提示しておこう」

皇が言葉を繋ぐ。

「まず襲撃時の離脱についてだが、暴動の対応に参加していて、かつ庁舎襲撃の詳細を有していない課員には『庁舎襲撃時の戦闘で重篤な負傷をした為、医療機関で治療に専念している』という旨の通達が行われている」

そもそもそんな課員はいないのではないか?という疑問もあるが、それはさておいて。

「内勤に対しても同様だが、庁舎の襲撃に関する情報はいくらか伏せられている」

環境課が武力を有している事は秘匿されるべき情報であり、もちろん環境課員であってもそれを知らない面々がいる事は承知の上だ。

「そして」

一度言葉を区切る。

「この監査の結果が通達されたとしても、その行動に対しての疑念は間違いなく残ると思っていて欲しい」

ロナルドの提案を受けて襲撃の最中に姿を消した事。
同時にロナルドも離脱した為に、ある意味では戦闘の一幕を終える事が出来たとも取れる。
だが行動そのものとしては、敵対組織の一員の誘いに乗って戦場から離脱しており、これを事態からの逃亡や責任の放棄、あるいは裏切りとして認識されていても何らおかしくはない。
環境課に戻ってきた今の状態でさえも、特に現実改変に関する変化は根底から秘匿されなければならない情報であり、そうしたズレがある以上はフローロに対する不信感を拭い去るだけの根拠とはならない。
だが、

「そうでは無くては困ります」

マスクの外れた口元は小さな弧を描く。
変わったのだ。
環境課も、環境課員も、環境課を取り巻く環境も、何もかも。
疑われるべきで、距離を置かれるべきで、尋ねられるべきで。
何事もなかったかのように振る舞う必要は無く、むしろそうある事が自然だとさえ主張したいくらいだった。

「今から信じてもらえばいいだけですから」

義体化して、電脳化して、重覚を得て、現実改変を失い、これまでの自分を構成するほとんどが入れ替わってしまっても。
感情に振り回され、感傷に揺さぶられ、感覚に踊らされ、色が、味が、これまでの自分に無かった多くが積み重なっても。

「私は私です」

そう自信を持って言える程には、以前と変わらない思考の感覚を持つことが出来ている。

「私の正義は私が愛する人たちの為にあります」

あの時は、拒絶の為の言葉だった。

「その範囲は狭く、きっと両手が届く範囲でしかないとしても、多くの人にとっての最善の回答ではないとしても」

あの時は、自分の為の言葉だった。

「私は環境課、解体係、フローロ・ケローロです」

にこりと笑う――こことは関係のないところで、少し腹立たしさを感じた。

「……少し変わったな」

その指摘に少しだけ考えて、強いて言うなら、

「欲張りになったんだと思います」

自分はこうあればいいと思っていた。
今も揺らぐことなくその芯は変わっていないと堂々と言えるだけの自覚もある。

自分はこうありたいと思うようになった。
変化を成長と捉えるならば、自分はまだ二本足で立ったばかりに過ぎないけれど。

誰かにこうあってほしいと思うようになった。
出来事を切っ掛けととらえるならば、それを糧にして変化してほしいと願う。

押しつけがましい欲求は突き詰めれば自分の為でしかなく、なんというエゴイズムだろう。

「良い事だ」

それを肯定されただけでこんなにも心地よく、そして気恥ずかしい事を初めて知った。

「復帰の通達は私からしておこう。今日は自室でゆっくりと休め」

「ありがとうございます」

皇がいくらか手を動かしてしばらくすると大量の通知が届く。
溢れる何かを隠したくなって、深く頭を下げた。
ゆっくりと床に落ちたストローハットを拾い上げ、祇園寺が指す課長室の扉へと向かい、

「フローロ」

ドアノブに手をかけて、

「おかえり」

振り返る。

「ただいま」

帰るべき場所は、ここだ。


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