【Answer Your Justice】 : Cp-3

フォーカスを電脳空間から目の前のディスプレイに戻す。
先程まで浮かんでいた格子は綺麗に消えていて、夜八は左右を見渡した。
平時の通りとは言い難いものの、自分が想像してしまっている根拠のない漠然とした不安感は、その光景に相応しくはない。

「大丈夫?」

声をかけられて努めて返した言葉はその通りに伝わってくれたらしい。
今現在、電脳空間への接続に対する忌避感は無い。
逆に未来予知を使い始めるようになってから、周囲から度々心配される程度にはどうにも抵抗がなくなってしまっている。
それは例えば――自分が納得しているという前提条件において――危険かもしれない情報に触れる事への躊躇いの欠如であったり、電子の海に潜る事への思い切りの良さであったり。
周りから言われて不意に気付く事はあっても、いや、本質的には気付いていないのかもしれない。
だから堺斎核との電子戦も――通常の業務を行っていても脳裏にちらつく程度には記憶と記録に染みついてしまっている。
自分自身への危機感ではない。
隣にいる誰かが、突然何かに襲われてしまうのではないか。
虹色に惑い、あるいは永劫の闇へ。
そうした不安感がつきまとって、フォーカスを戻した後は頻繁に辺りを見渡してしまう。
電脳汚染の治療が完了しても、心が背負ったものまでは取り除けなかったらしい。


そもそも電脳汚染とは『電脳化した脳が保持するマイクロマシンに不正なプログラムが作動し続けている状態』であって、大別すると機能不全として捉えられる。
マイクロマシンで作動している不正なプログラムの修正が行われる事でハードウェアとしての不調を取り除き、治療は完了する。
不正なプログラムによって異常刺激を発している脳細胞に外科的治療が行われていた時期もあったが、危険性などの面から禁止されて久しい。
万全の体調とそうではない精神面の乖離を薄らと自覚しつつある夜八の思考の隙間に割り込むように黒と緑の猫が右手を挙げた。

「おキャットちゃん、何かあった?」

問い掛けに応えるように、段ボールに詰め込まれた書類――ビジュアル的には――が夜八の知覚範囲に表示された。

「これって……」

瞬間的に共有されたソレは、至る所で散見される噂話から実際の音声データに至るまでを一つにまとめ、それらの共通項がピックアップされた情報として夜八は理解した。
「電子ドラッグの流通経路……っ!?」
驚愕する夜八を知覚しながら、果たしておキャットは電脳空間の格子に腰かけて佇んでいる。
短い脚をぶらぶらと振りながら、意図的に夜八を知覚外へと追いやった。
自分の仕事は終わりだと言わんばかりに、コピーキャットは列をなしたままその場から動こうともしない。
一言で表せば無気力で、詳細に語れば無気力だ。
堺斎核との電子戦が――自分の全てを否定された様な恐れを抱かせている。
過程も結果も完膚なきまでに叩きのめされて、ヒロイックな自己陶酔はそのまま無力感へと転換された。
環境課員と自分の力があればなんだって出来るはずだという無根拠な自信はあっさりと崩落し、後に残されたのは誰に向けたものか分からないままの負の感情だけだった。
「どうすれば良かったんだよ……」
問い掛けへの答えは無く、仮に返事があれば叫び散らしていたかもしれない程の不安定な自我を理解している。
災害だったと思い過ごそうとして、この問い掛けにいずれ戻ってしまう。
無かったことにしてしまおうとして、この問い掛けにいずれ戻ってしまう。
何が出来た?何をしなければならなかった?何を、何を、何を――目の前でコピーキャットが爆ぜる。
衝動に任せた行動はきっとよからぬ結果を生み出すと朧気ながらに、しかし明確に理解してしまっている。
目を閉じて、耳を塞いで、関わらない様に努めて、しかし意図的であるが故に思考の縁からそれが消える事は無い。
いっそド取に関わる人間を全て、誰一人残らず皆殺しにしてしまえれば、きっと心の重みは下ろせるのではないだろうか。
そんな実現不可能な空想を描いてしまうほどに、現実逃避は拍車がかかっていた。

『人間の真似事は楽しいか?マルウェア』

堺斎核の言葉がリフレインして、意味もないのに両耳をぺたんと閉じた。
ふと思い立ち、夜八に送った電子ドラッグの流通経路に手を伸ばす。
何か別のことをしていれば、考える余裕など失くしてしまえば、目の前の作業に没頭してしまえば。
孤独な海で、猫が気怠そうに立ち上がる。


「『Melt』って聞いたことあります?」

「電子ドラッグでしょ?精神安定剤みたいなものだって結構噂だよ」

「最近出てきたのの中じゃ一番真っ当っていうか、評判もいいらしいけど、どうにもね……」

治安の悪化に伴い、環境課ブロック内でも電子ドラッグの流通は増加傾向にあった。
とは言っても、アンクが製造したような――あれは存在自体が規格外だが――極悪非道かつ人体や電脳、人格に影響を及ぼす様な電子ドラッグは全くなく、どちらかといえば躁鬱状態や不安感を取り除く為の電子ドラッグが中心に取引されている。
物流や経済活動諸々の影響によって医療機関の動きが鈍くなる中、多少割高でも構わないと個人バイヤーを通じて電子ドラッグを手にする人は少なくないらしい。
需要と供給の関係上、とにかく人々が求めるのは安心や癒しであるらしく、更には価格や安定性など多くの条件がそれに加わった。
そうした条件、非常に安価であっても粗雑な電子ドラッグは一切の使用履歴が無く、逆に高額なものは購入できる層が限られている。
その中で最も流通が多いものが『Melt』だ。

「効能は『感情の抑制』、『特定の感情に結び付く記憶の抑制』、『心的負担の軽減』、『リラックス効果』――そこらへんの医療用より効果多いんじゃない?」

ただの宣伝文句と一笑するには、使用者の急激な増加がそれを否定する。

「値段も安いし、何なら紙煙草の方が高くないか?最近値上げきついんだよな……」

「やめればいいんじゃない?」

「簡単に言うけどさぁ」

同じ情報を閲覧している課員の会話を聞きながら、夜八の意識は別のところに向いている。

「この電子ドラッグって、色んな人たちが協力して作ったやつなんですか?」

ネットワークから拾い集めた情報を共有――概要はこうだ。
『Melt』は複数の電子ドラッグデザイナーやハッカーが協力して制作したものであるらしく、その値段設定は制作にかかっているであろう時間や手間を考えればほぼ原価レベルらしい。
更に販売経路の確保や、それを取り扱うディーラーの取り分を考慮すると開発者にとっては赤字にしかならない代物だ。
状況に合わせて作られたとしか考えられないが、利益を考慮しないのであればもはや慈善事業に近い。
そして利用者の一覧を眺める夜八は、その内訳からある共通点を見出した。

「この人たちって、そういうことですよね?」

感覚を共有した課員は顔を見合わせて、揃って首を縦に振る。
暴動に参加して、公的機関で電脳汚染の治療を受けた人。
暴動に巻き込まれ、家族や友人を失った人。
目の前で市民を打ち倒した警備隊。
経済活動の縮小による失業、収入の低下、社会不安の荒波の影響を全身全霊で受け止めてしまった人々。
理由も立場も様々だが、共通項は誰もが傷を負っているという事だった。
夜八は考える。
根本的な解決にならない電子ドラッグの服用は現実逃避の類であり、少なからず影響の出るものだと理解している立場からすれば、彼らの目線に合わせたとしてもあまり良くない事ではないと思っている。
だが、自分自身もむやみな緊張感や不安感が時折顔を出し、錯乱とまではいかずとも平常心を保てないでいる事を自覚していた。

「電子ドラッグの服用は、良くないとは思います。思いますけど……」

そうすることでしか痛みから逃避できない人々の感傷に共鳴してしまった夜八の声は弱々しい。
そしておキャットは考える。
電子ドラッグ――今最も目にしたくない言葉に猛烈な不快感を抱き、しかし彼らの現実逃避をどうして自分が責められる?
向き合うべき現実から目を背けているのは自分も同じで、彼らの場合は傷だが自分の場合は、一体何から目を背けているのかすら分からないままだ。
感情的に彼らを非難しかけたもののそれはあまりにも傲慢だと思えた。
あるいは自分に体があったなら、きっと服用していたはずだ――とも。


各々の抱く感傷は別にして、業務として電子ドラッグに関する調査は続く。
効能は短時間であり、何度も繰り返し服用するタイプのものであること。
嗜好品である煙草以上の依存性があり、それは服用と共に強まっていくこと。
目の前の問題と比較してどれも軽微なものと思えたがただ一点。
ただ一点のみは、軽視する事の出来ない問題が明らかになった。
それは『Melt』の使用に伴って、緩やかではあるが、最終的には必ず発生する脳機能の不全である。
既存の電脳治療では対応が困難であり、現行の法に照らし合わせると違法な電子ドラッグに定義される。
副作用と違法性の両方から『Melt』の服用を危険視する意見が掲示板に書き込まれていた様だが、大量の否定意見に流される様に現在は削除されている様だ。
あまりの低価格と不釣り合いな依存性、そして破滅を前にした人々にとっては一切の呵責を感じないレベルの副作用。
状況に噛み合い過ぎていて、何か疑問を抱いたとしても即座にそれが打ち消される程度には『素晴らしい』ものに見える。
問題があったとしても、彼らにとってはそれがどうしたと言いきられてしまう程に。


いくつもの前提が組み合わさり、パズルの様に一枚の絵を作り上げていく。
利用者を取り巻く状況も、あつらえられたような性能も、そのコミュニティの広がりも、何もかもが計算されているような。
『Melt』の製造者がこれに気付いていないはずは無く、それを知ったうえで流通させているのだとして。
例え緩やかだとしても、確実な脳機能の不全はある時期に大量の犠牲者が出る事に繋がり。
慈善事業の様相は可能性に思い至らせない為の隠れ蓑でしかなく。
違法性を知った上で利用が止められないほどに依存してしまっているのなら。

「もしかして……っ!」

最悪のケース――意図的なド取の介入を誘発させる為の撒き餌として捉えられるのなら。

「課長に連絡しないと!」

フォーカスを電脳空間に合わせて圧縮した情報を――目の前に段ボール箱が浮かんでいる。

『送っといたよ』

「あ、ありがとう!」

やや遅れて、軋ヶ谷と雪貞がバイヤーの現地調査を行う事が通達された。
襲撃から久しく、緊張感を伴った空気がオペレータールームに広がっていく。
杞憂であってほしいと、誰もがそう願っていた。
果たして。

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祇園寺からの連絡を受けた軋ヶ谷は庁舎を出て、すぐに後ろから雪貞が駆け寄ってくる。

「お待たせしました」

「丁度今だよ。場所は分かってる?」

電脳によって知覚したマップデータには目的地までの最短経路が映し出されており、雪貞の端末に同様のものが映し出された。

「あ、ありがとうございます」

ん、と短く返して繁華街へと向かうバスに乗り込む。
二十分ほどを揺られながら、情報係から送られてきた調査資料を読み返す。
その内に到着したのは人通りの多いメインストリート――から脇道を通ったこじんまりとした屋台が並ぶ直線へと移動した。
あまり整備されていない道は清潔とは言い難く、少し逸れたところではうずくまる人影もちらほらと見えた。
環境課の腕章をつけた二人はここの空気感からは逸脱しており、言うなれば悪目立ちしている。
視線を受けながら歩き、歩き、一つの屋台の前でその足を止めた。
木造の古めかしい屋台には紙煙草が大量に陳列されており、そのデザインもどこか懐かしさを感じ取れる。
その中心に立っている男性が店主だろう。
テンガロンハットに丸いサングラス、異常なまでに派手なアロハシャツという風体は、何故かこの場に馴染んでいた。

「何でアロハ……?」

「いらっしゃい」

一瞬だけ腕章に視線を向けて、環境課だと気付いているがその態度が変わる事は無い。

「どの銘柄がいい?お勧めはこの極細のやつで、ニコチンはガッツリだけど甘いフレーバーだから吸いやすいよ」

商品のパッケージをはぎ取って一本差し出すが、軋ヶ谷の視線はずっとアロハシャツに注がれており、雪貞は手と首を振ってやんわりと断った。
取り出したものを戻すわけにもいかず、自ら咥えて火をつけるとチョコレートに似た香りが漂ってきた。

「じゃあE-97番」

「350円だよ」

電子決済を終えた軋ヶ谷の手にはカラフルな箱が一つ。

「それどうするんです?」

「いる?」

「いりませんよ!」

なんだ、とまるで残念そうではない態度でその場を後にしようと――

「ちょっとちょっとちょっと!?」

「冗談だよ」

右手で煙草をくるくると回しながら、軋ヶ谷は店主へと向き直った。

「『Melt』もらえる?」

こんなストレートに言うと思っていなかった店主は呆気に取られ、それ以上に呆気に取られる雪貞。

「冗談だよ」

盛大な溜息と共に肩の力を抜いた店主のサングラスの裏側は伺い知る事が出来ない。

「真顔で言うなよおっかねえな」

ひらひらと手を振って追い払う様な動作を、しかし

「販売の差し止めでもしにきたってか?」

話題を切り出したのは店主からだった。
遠巻きに様子を見ていた人々の雰囲気ががらりと変わる。
怯えや恐怖、そして敵対心を隠そうともしない視線が二人の背中に、横顔に、環境課の腕章に、これでもかと突き刺さる。
目立ってしまったな、と軋ヶ谷は思う。

まさかここまで異常なアロハを着ているとは全く想定しなかった。周囲の人々もこんなに怯えているし――え?何この柄?燃え盛るナメクジの成人式を制圧する武装した人面犬に見えなくもない。


一拍を置いて。


あれ?心なしかさっきより一層異常なアロハになった気がする。さしづめ警戒アロハといったところかな。何それ?


もう一拍を置いて。


あまり刺激しない方が得策だろうと結論付けて、話題の誘導先をおおよそ決める。
念の為周辺の映像情報を共有出来る様に情報係に指示を出した。
元締めが張っていないとも限らない――警戒心を高め、表情には出さない様にする。

「別にそんな話をしにきたわけじゃない。ちょっと気になっただけだよ」

努めて穏やかに、そして冷静に。

「『Melt』を流通させている目的が何なのかなって」

主題は隠しても意味がない。
店主はしばらく黙っていたが、二本目の煙草に火をつけた。

「人助けだって言ったら信じてくれるか?」

閉口、そして思案する。
利益を得る為でないことは価格設定が原価ギリギリになっている事から読み取れる。
薄利多売とは言うものの、金を目的にしているのならそもそも方向性が違う。
電子ドラッグの効能もまさに今必要とされているもので間違いはない。
彼の言葉は真実なのだろう。

「でも危険だってあるんですよね?」

そうした思考の傍らを過ぎて、雪貞の問いかけへの返事は無い。
即ち、肯定。
脳細胞の不可逆な破壊は、人間としての死を意味する。
自らの終わりを理解しながら、緩やかであっても破滅への下り坂を進み続ける姿は恐ろしささえ感じられた。
それを分かっていて、

「なあ、兄ちゃんよ」

分かっていながら、それに頼らざるを得ない人たちは、

「俺たちの逃げ場を奪わないでくれよ」

弱々しく懇願する男性がいた。
息は浅く、明らかに両手が震えている姿はいかにも弱者で、雪貞にはそれがひどく傲慢に感じられた。

「……あなたの行いで、その逃げ場すらなくなった人がいたとしてもですか?」

言葉の真意が伝わらないだろうことは分かっていて、雪貞のこれは感情的な八つ当たりに近い。
電子ドラッグの効能は治療のみならず、あるいは破壊的な衝動を加速させるものも存在する。
直近の暴動に紐づき、孤児院に降りかかった惨劇が思い起こされた。
例えば、荒唐無稽な噂を信じた集団が、あの日の暴徒の中に紛れていて、その一人が目の前の男であったなら。
自分の怒りをぶつける為の都合の良い妄想であることは分かっているが、感情と理性は大きく乖離し、雪貞の見下すような視線には軽蔑がありありと込められている。
扇動されただけだから、とでも言うつもりなのだろうか。
自らの行いとその結果が無かったことになる訳がないのに?

「雪貞君」

「…………」

軋ヶ谷の呼びかけで我に返るが、高ぶった感情はすぐには治まりそうにない。
口を閉じていた方がいいだろうと一歩下がって、男性からも視線を逸らした。

「頼むよ」

気付けば周囲の人々から向けられていた敵対的な視線は、うってかわって懇願するようなものになっていた。
無責任な逃避と言われればそうかもしれないが、拠り所を失った彼らが責任を果たす意味は果たしてあるのだろうか。
電脳汚染が治療されて、真っ先に理解したのは自分の置かれている状況だったのだろう。
暴動に参加したという事実は経歴に傷を残した。
暴動に巻き込まれたという結果は家族や友人を失わせた。
守るべき市民をその手で打ち倒すという矛盾は信念をへし折った。
それまでの社会的地位や積み上げてきた信頼が理不尽に飲み込まれて、無力感を抱かずにいられるのは狂人の類だ。
破滅的な問題に直面して電子ドラッグに依存するその胸中は想像しうる。


しかし軋ヶ谷の考えはその先にあった。
電子ドラッグの流通は更なる依存や蔓延に繋がり、より深刻な犯罪組織の呼び水となる事は明らかだ。
ともすれば、再びド取――堺斎核の介入を招きかねない。
広域捜査権限こそ撤廃されたものの、電子ドラッグに関わる限り環境課ブロックであっても、遅かれ早かれド取と管轄を食い合うことになるだろう。
そうした懸念から、まだ穏便のうちに摘発出来る限り黙認する理由は無い。
祇園寺の回線を繋ぎ、摘発に向けた行動立案を促した。

「もうこれしかないんだよ」

軋ヶ谷に声をかける男性の両腕には無数の線が走っており、自身の手による自傷だと一目で分かる。
全てを諦めた虚ろな目が、揺らいだ手が、もがくように電子ドラッグを起動した。
瞳にはわずかな光が灯り、呼吸は瞬く間に安定し、彼の心に平穏が訪れたのが分かる。

「信じるも信じないもあんたら次第だけどな」

五本目の煙草に火をつけて。

「偽善だろうと、逃避だろうと、それでも唯一の救いなんだって俺たちは思ってるよ」

甘く香る白煙を吐き出した店主のサングラスの裏側は伺い知る事が出来ない。
少なくとも『Melt』の副作用は今日や明日起こりうるものではなく、将来的には避けようのない破滅であったとしても、目の前に垂れ下がった蜘蛛の糸に縋る彼らにとってはどうでもいい。
そして環境課ブロックの治安の悪化やド取の介入を促す事に繋がったとしても、どうでもいい。
自分以外の事は、どうでもいい。
追い詰められて、追い詰められて、逃げて、逃げて、何もかもどうでもいい。
自分の命さえも、どうでもいい。
その姿に、在り方に、雪貞はやはり軽蔑を覚えた。
覚えて、しかし飲み込んだ。
止めさせなければならないと考えてはいるが、所詮この場は氷山の一角に過ぎない。
強硬手段に出て、周辺に存在する電子ドラッグを全て回収しても本質的には無意味なのだろう。
それを見た市民が襲い掛かってこないとも限らず、二人だけで大立ち回りをするには不安の方が殊更に大きかった。

「……っ」

やりきれない感情のぶつけ先に唇を選ぶ。
しばらくそうしていたが、最後まで言葉も行動も起こすことは出来なかった。
この場所の記録を付けて情報係に転送し、派手なアロハに背を向けて。

「行きましょう」

雪貞怜韻の判断は、彼らの目にどう映ったのだろう。

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「――というところが電子ドラッグ摘発に関する報告内容だネ」

電子ドラッグ『Melt』の摘発準備を行っていたはずの軋ヶ谷みみみからの連絡は簡素で、それはド取構成員による介入によって事態が収束した事を伝えるものだった。
どうやら『Melt』は環境課管轄ブロック外でも広まっていたらしく、そこから紐付けてこちらにも介入の手が伸ばされた様だ。
末端に近い部分だったらしく、過干渉ギリギリのレベルで彼らの権限は保証されていた。

「電子ドラッグの作成者たちがどうなったかは分からないけれド、恐らく全員拘束されたカ、もしくは死んでいるのどちらかだろうネ」

販売ルートの拠点としてピックアップされた地点は全て制圧されており、環境課として出来る事と言えば事後処理程度しか残されていなかった。

「堺斎核の姿は確認されなかったそうだヨ」

流石に査問会の直後にド取のトップが動くことは無かったらしく、ファイヴやレイメイを始めとした班員たちの姿も確認されていない。

「今回は環境課ブロックから発生した事案では無かったから、この程度で済んだと思うけど」

日和見は許されない、といったところだろう。

「違法な電子ドラッグの取り締まりなんかは強化した方がいいだろうね」

何度もこんなことがあれば、間違いなく、今度こそ環境課はお役御免を突きつけられるはずだ。

「…………」

強制介入の可能性はすぐそこに転がっている。
治安の悪化は呼び水となり、復旧の遅れはそれを加速させていく。
人手不足はその解消を足踏みさせて、環境課の弱体化は全てを見過ごす原因となりうる。

「情報係に通達。電子ドラッグに関わる情報の全てを回収し、違法である可能性が拾われた時点で即座に対処させろ」

祇園寺は頷いて、どこかへと視線を移す。

「軋ヶ谷は情報係を始めとして電子ドラッグや電脳に関するレクチャーを定期的に行ってくれ。我々の知識や経験は圧倒的に不足している」

軋ヶ谷は頷いて、どこかへと視線を移す。
しばらくして祇園寺が視線を戻し、皇純香はそれを待っていた。

「先日の答えを覆す様だが、急ぎ人員募集をかける事にした」

時間は待ってはくれないし、事態は変わり続ける。
緩やかな変化は一方的な希望でしかなく、ならばいっそこちらから追い越すしかない。

「事前情報の時点で過去の経歴や背後関係の洗い出しを徹底しろ。監査の判断で問題があると思われればその時点ではねていい」

それは、

「人事の裁量を預かル、ということかナ?」

「最終的な決断を下すのは私だ」

組織を預かる長として、それは譲る事の出来ない部分だ。


何故か不意に、堺斎核の言葉が思い起こされた。

『軍部、企業、霊能局への不当な干渉。組織内人員を優先した情報の隠蔽。所有の認められないプログラムや遺物の秘匿、不正運用……』

白い鉄仮面が続ける。

『犯罪者まがいの私兵を運用し、許容されないレベルで企業と癒着する環境課には相応しくない権限だ。……お前たちの言う”良い環境”とは、誰にとっての”良い環境”なんだろうな?』

清濁併せ飲む事を選んで、その上に掲げる理想はどう映っていたのだろうか。
皇純香の心の内は誰にも分からない。

「さテ!そうと決まれば早速行動させてもらおうじゃないカ!」

関係各所に、あるいは公募に、彼の手は想像よりも広いのかもしれない、狭いのかもしれない。

「まあ今のところハ――」

ある種の決意を感じ取って、

「見限る必要が無くてよかったかナ」

静寂。

「アハハ!……冗談だヨ?」

「その顔で笑ってるの?見えないけど」

「アハハ!」

白々しい笑い声は二度続いた。

「もちろん私もタダで協力している訳ではないからネ。たまにはお駄賃の一つでも欲しいと思うのだけれド」

「……検討しておこう」

何を欲しがっているかはさておき。
話すべき内容は終わりとばかりに山積みにされた書類から一枚を手に取る。
偶然か、はたまた必然か、人員不足による業務停滞の改善を依頼する嘆願書だった。
承認の判子を押して、解体係から一人を救護係へと臨時移籍させる。
続く一枚を、続く一枚を、続く一枚を、続く一枚を。
既に祇園寺と軋ヶ谷は退室しており、一人残った皇純香は僅かに手を止め――ない。
続く一枚を、続く一枚を、続く一枚を、続く一枚を。
それこそが自分の責務だと主張する様に、承認と非承認を選択し続ける。


これまでに幾度も選択を迫られていた。
これからも幾度と選択を迫られるのだろう。
ならば応えるべきだ。
自らの手で、自らの足で、自らの声で、自らの覚悟で。



――さあ。



――私たちの行動を選択したまえ。



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【Answer Your Justice】

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