【Hands to Growing】
両手をポケットに差し込んで歩く翡翠色の散切り頭。
訓練室に向かうガメザの足取りはいくらか重く、未だに本調子を取り戻せていない事への不満や、柄に合わないリハビリを面倒に思っている事がありありと見て取れた。
ドーベルマンの伝手で全身義体化の手術を終えて、元々両腕が義体化していたことで幾分か早く環境課に復帰したものの、もっぱらの業務は簡単な見回り程度だった。
事務仕事はそもそも性に合わないし、かといって本来の業務を行おうにも狼森の許可が降りていない。
一度フケてみたがその日のうちにバレてしまい、無駄な抵抗と理解したのは一週間ほど前の事だ。
「だっる……」
ぼやいても向かう先が変わる訳でもなく、曲がり角で盛大な溜息をついて――
「お疲れ様、です?」
フローロ・ケローロと鉢合わせた。
「いや、腹いっぱいでよ」
とっさに出た誤魔化しを信じたのかどうかは分からないが、二度瞬きをした少女は小さくはにかんだ。
マスクのない口元から視線を逸らす。
「ガメザさんもリハビリですか?」
「フーケロちゃんも?」
皇純香からの全体通知を受け取った時は半信半疑だったものの、普段の所作を見ていればなるほど確かに、と思わなくはない。
何気ない動作ほど小さな違和感は明らかで、特に食事では辛い物を避けるような献立ばかりを選択していたりと、彼女の変化は驚くほどに多かった。
「丁度いいや。一緒に行こうぜ」
気の入らないリハビリではあるが、一人でぼんやりと過ごすよりは幾分かマシな気がする。
廊下を歩く途中で何人かとすれ違うが、誰もがフローロにわずかな視線を送っていた。
「チッ」
「何かありました?」
本人は全く気にしていないようだが、それがむしろガメザを苛立たせている。
「いや何つーか……」
後ろを振り返れば未だに視線を向けていた課員と目が合って、無意識のうちに睨みつけるような形になった。
「ウザくね?」
確かに事情を知らない課員からしてみれば、事情を知っている課員であったとしても、フローロへの疑念や不安を抱くのはある意味当然とも言える。
彼女の急激な変化やその理由を考えれば、むしろガメザの様に接している方が異常かもしれなかった。
「仕方ないですよ。私も同じ立場ならそう思いますし」
穏やかに言うフローロは、どこか無理をしている様子もなければ、むしろ当然の様に受け入れている。
だからこその不満だった。
変わっていない部分を探す方が難しいかもしれないが、それでも彼女の本質的な部分は以前のままで、どうしてそれを見ようとしないのか。
「怒ってるんです?」
どうして自分がこんなにも苛立っているのかは分からない。
同じ課員を疑う行為が受け入れられないというのは、部分的には正しい。
内通者がいたという事実はその警戒心を抱く理由には十分で、それももちろん正しいと思っている。
ガメザがフローロに対して抱いている信頼や安心感は個人的なもので、それを理解しろと言う方が難しい事は明らかだ。
だが。
仮にそれだけだとしたら、どうしてフローロの態度に対しても苛立ってしまうのだろう。
「そんなんじゃねえけどさ」
話題を切り上げたくなって適当に言葉を濁し、訓練室へと向かう足が少し早くなる。
その背を追いかける視線には、気付かない。
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襲撃後の訓練室はそれ以前と様子が変わっている様に感じられる。
例えば備品を用いた戦闘訓練はほとんど行われなくなっており、必要最低限のやりくりが必要となっている現状が伺えた。
ガメザやフローロの様に義体化した課員が他にいない訳ではなく、治療後のリハビリとしてここに顔を出す課員は増えていたりもする。
「調子はどんなもん?」
「力加減をたまに失敗しますね。今日もドライバーを一本壊してしまいました」
義体の出力調整――特に弱い力から強い力への切り替えが段階的ではなく瞬間的に跳ね上がる事がまあまああった。
プラスチックのカバーを固定しているボルトを回そうとして慎重になりすぎた結果、力を入れたと思ったら先端部部を盛大になめて、持っていたドライバーは宙を舞う始末だ。
何でもない通常業務でそんなことが起こってしまうのだから他の解体係はフローロへの仕事の量を減らそうと努めた結果、やる事がなくなって訓練室に来る回数はかなり多い。
「早く慣れないといけませんからね」
ゆっくりとした動きで姿勢を変えながら、不安定な状態で一定時間を保つ。
例えるならば空手の型の様であり、地味だが気を張る動作だ。
「そっちはどうなんですか?」
「あー……」
歯切れは悪い。
紹介された義体は肉体労働や戦闘を想定したもので、運動性能という点でみれば間違いなくハイスペックの部類だった。
生身と比較しても以前を上回る事は間違いないが、実際のところはそれを持て余している。
イメージ通りの動きが出来ない事は相当なフラストレーションに繋がっており、義体に慣れていない事はその原因の一つだが、それとはまた別のところで。
もっと根の深いところで。
ファイヴと堺に敗北したその日から、何かがずれてしまったのだと気付いている。
暴力を超えた暴力で真正面から打ち倒されて、命があったのはせめてもの救いだった。
義体はその欠損を取り戻すための治療行為であり、それと同時に負けない為の手段でもある。
自ら望んでそれを手に入れて、確かに強くなったはずなのに、それを扱えていない事への不満や苛立ちが――本当にそうか?
何かボタンを掛け違えている様な――そんなはずはない。
目を逸らして――違う。
「ガメザさん」
至近距離からの声で我に返ると、薄紅色の瞳がガメザを見上げていた。
「何」
ぶっきらぼうになった返事を聞いても、フローロは小さく笑っている。
「組み手しましょう」
「俺?」
ぼんやりとした戦績を振り返れば圧倒的な優劣が浮かび上がる。
身体能力の差は歴然であり、戦闘経験もそれに倣っている。
元から両腕を義体化していたアドバンテージに加えて多少なりの心得があるガメザと、最近義体化したばかりで力加減にさえ支障が出るフローロでは、勝負にはならないだろう。
「別にいいけどさ」
正直、あまり乗り気ではない。
「まだあんま慣れてないから、怪我させたらごめんな」
それは自分が勝つだろうという予定調和を疑わない意識からだった。
「大丈夫ですよ」
フローロは小さく笑っている。
「今のガメザさんに負ける訳ありませんから」
一瞬自分の耳を疑うくらいには、明らかな挑発行為だった。
彼女にしては珍しい、というよりこれまでに一度も聞いたことのない類の言葉。
少しは真面目にやれ、というお小言のつもりだろうか。
「あー、言うじゃん?」
身体をほぐして向き合う。
その意図も、自分自身も、掛け違えたままで。
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「いつでもどうぞ」
どこまでも余裕を崩さない、それどころかかかってこいと言わんばかりの態度に流石にカチンと来たガメザは勢いよく踏み込み、鋭い右ストレートを放つ。
その直前――フローロは訓練室の全てのカメラの映像を共有した。
多角的に大量の視点から得た情報は次に何をするのかを容易く見抜いている。
筋肉の動きも意味が分かるレベルで、今たわんで、そして伸びあがる予測までが完了していた。
動作の起こりの時点で膝の力を抜いて這いつくばる様に地面に両手をつけて。
沈む勢いをそのままに、右足で鋭く足払い――これは誘い。
後方に飛び下がろうとした足先を踏みつけるように軌道を変え、訓練室の床に体重をかけて縫い留める。
背中から倒れこむガメザが受け身を取るよりも早く身体を跳ね起こしたフローロは、無防備になった両肩を押さえつけていた。
わずか一動作、時間にして数秒で勝敗は決していた。
「は?」
呆然としたガメザが見上げるのは、逆光で隠れたフローロの顔だ。
素早く立ち上がって距離を取って、ガメザが起き上がるのを待っている。
「いつでもどうぞ」
フローロは小さく笑っている。
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もはや何が何だか分からない。
手加減が頭から抜け落ちた剛腕は風切音と共に目の前の少女に迫る。
しかし、最初からそこに来ることが分かっていた様に、気遣いさえ感じさせる程に優しく添えられた手が斜め下方向の力を加えると、姿勢がそれにつられて前のめりになっていく。
転がる様にしてフローロの横を通り過ぎたが、その明らかな隙に攻撃は行われなかった。
「クソが……」
舐められている訳ではない。
仕掛けている間のフローロの表情は真剣そのもので、防御に全神経を集中させているのは理解出来た。
理解出来ないのは、何故それが成立しているかだ。
ヒントはいくらでもあって、何なら答えもすぐそばにあるというのに、余裕を失った精神状態では何一つ思い浮かばない。
「オ、ッラァ!」
頭部めがけてのハイキック――躱される。
屈めた体に向けての肘撃ち――いなされる。
フェイントを交えての裏拳――届かない。
繰り返す度に精度は落ちて、攻撃が当たるビジョンはかなり前から霧散している。
息が上がって、片膝に乗せた自分の腕が見えた。
義体の換装をしてからここまで長時間の訓練を行った記憶が無く、もしかして動作不良にでも、などとらしくない事を気にした瞬間。
「何を考えたんですか?」
言い訳にしかならない思考を読み取られたのか、その顔が目の前にある。
フローロは全く笑っていない。
「づっ、だぁ!」
頭突きを食らって痛がるガメザは、その程度で済んだ事実にさえ気付く事が出来なかった。
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「……飽きたわ」
そう吐き捨てて胡坐をかいて、
「強くなりすぎじゃね?」
素直な気持ちをぶつける。
「訓練室の映像を共有していましたから」
電脳の使い方を把握――教えてもらった様なものだが――しているフローロはその仕組みをガメザに説明する。
備え付けられたカメラ全てからガメザの動きを予測する為の情報を取得していた事。
動作の起こりから次に繋がる筋肉の動きまでを詳細に読み取っていた結果は先程までの組み手の勝敗が証明している。
単純な運動性能や戦闘経験を凌駕するもので、環境課員には馴染みの浅い技術。
「訳わっかんねえ」
説明を受けてもさっぱりだったが、フローロの強さが何によるものかは理解出来た。
「最初は処理が難しいかもしれませんけど、要は慣れです」
「マジで言ってる?」
技術的には、という言葉は飲み込まれた。
「ていうか、それなら最初から教えてくれても良くない?」
「嫌です」
拒絶の言葉は飲み込まれなかった。
笑顔で詰め寄って、散々人をシバき倒して、こんなに苛烈な性格だったか?と思うもののどうにも印象が一致しない。
「俺、フーケロちゃんに何かしたっけ?」
流石にここまでくれば怒っていることくらいは分かるが、
「何もしてませんよ?」
本人からは否定の言葉が返される。
じゃあどうして、という続く問い掛けは言えなかった。
「だって」
言う必要が無かった。
「今のガメザさん、恰好悪いですから」
今日一番の痛みが、傷口を開くようにして現れたからだ。
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戦闘で負けて。
その隣で、真っ向から切り結ぶ姿を見た。
生身で、技術で、化け物と渡り合う背中を見た。
憧れていたその強さを、生身であることの誇りを、どうして見落としてしまったのか。
勝ちたいと思って。
強くならなければいけないと思った。
機械の体はその望みを叶えてくれるだろうと飛びついて、手段が目的に入れ替わっていた。
鍛錬による強さを諦めて、一体何を残したかったのか。
強いと思っていて。
その矜持が折れて、何を支えにすればいいかが分からなかった。
自分の弱さを受け入れる事から逃げて、それでも自分は強いと信じていて。
信じていなければ、何もかも投げ捨ててしまいそうだったから。
病院でのドーベルマンとの会話を思い出す。
自分が口にしたのは、自分が強くなることだけだった。
俺は強い、俺は弱くない、あいつらより強くなれれば――それは何だ?
負けた事実を受け止めて、生身の誇りを捨てて、積み上げた自信を失って、それでもしがみつかなければならない信念は何だ?
誰かを守る事だ。
敗北を受け入れる事から逃げて、自分は強いんだと虚勢を張って、その根拠欲しさに自分の誇りを捨てて、何もかもちぐはぐな自分に不満を感じていただけだったと気付く。
「……ダサ」
自分自身への呆れや失望が色濃く混ざったその言葉をすんなりを受け入れる事が出来たのは、顔を上げて、目があった。
思えばフローロに対する苛立ちも、単なる嫉妬だったのかもしれない。
同じ様に変わって、受け入れて、受け止めて、それなのに。
全く変わっていないその在り方が自分とは正反対だったから。
深呼吸。
僅かに身体をこわばらせて、躊躇うことなく両手で頬を叩いた。
耳にしただけでも痛さを感じるような音を訓練室に響かせて、胡坐を崩して跳ね上がる様に身構える。
「よっしゃ、もうもう一本!」
真っ赤になった頬を見て、フローロは小さく噴き出した。
ごめんなさいと断りを入れて、
「いいですよ。でもそろそろ時間ですから、次で最後にしましょう」
「えぇ……?いやまあ……ん-」
「私は明日もリハビリの予定ですから」
「んじゃあ俺の相手ってことで」
嬉々として、それを見たフローロは小さく笑った。
「最後の一本、負けた方が晩御飯をご馳走するというのはどうですか?」
「えっ。俺今月キツいんだけど」
「負けるつもりなんですか?」
「……性格変わってねえか」
最近よく言われる言葉だ。
「欲張りになっただけです」
最近よく言う言葉だ。
「いつでもどうぞ」
フローロは小さく笑っている。
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訓練室を出る二人。
一人は肩を落として、二人の足取りは軽やかで。
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【Hands to Growing】
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